夏の甲子園が終わった、
今年は前橋育英も一回戦で早々負けて、カミさんの母校の長野の佐久長聖高校は県大会で敗退して、
今年は寄付の話も無く済んで余り関心も無かったが、この時期はラジオはずーっとFMグンマではなくて高校野球を聴いてました、

群馬県そんなに強い県だと思わないでしょうが、夏の甲子園で二度真紅の優勝旗をグンマにもたらしている、
桐生第一と初出場で初優勝した前橋育英その数日後、桐生第一の時は群馬県内のスーパーから、優勝記念セールをするので特注でキャベツを切って欲しいと出荷先に注文が来て、受けてくれるか頼まれた、もう1軒の仲間とその2軒で半分ずつ受ける事になって300ケースずつ切った、
前橋育英の時はもう1軒の仲間が忙しいと言うので600ケースを我が家一軒で2日掛けて切った、
そんな思い出があります、

他には、昔バイトで来た加藤君と言う人は、桜美林高校のエースとして甲子園に出ている子が来たが
、ヤクルトや他にも入団テストを受けた事があるそうだがプロにはなれ無かったそうだ、その後バイクで事故って、2週間ほど生死の境目をさまよったそうで、身体は元に戻ったが、頭はネジがだいぶ緩んで何も計算が出来ないし、仕事も覚えられない、冬湯ノ丸スキー場でスノーモービルに乗って虜になり、スノーモービルを買う為に我が家に来た、オツムが足りないからその都度色々教えてやらせていたが一度草むしりをさせたら植えた野菜も全部抜いてしまった、
余りの事でビックリした、
ウチで目一杯働いても、スノーモービルの値段に届かないと知って給料を払ったら、トンズラされたが、居なくなってホッとしたのを覚えている、
この加藤君は甲子園が始まると殆ど仕事にならなかった、一球投げる度に手が止まってしまい、長打が出たらその間手が止まってしまう、そんな男だったが、なんか憎めない男だった、体は大人だが、頭は子供そんな男だった
母親がいつも本人宛に色々送ってくれていてたまに我が家にも色々送って貰ったりしてました
その後お母さんから謝りの手紙が来て、無事に過ごしている連絡があった、長く居たバイトの中では一番変わって居たバイトだった、この加藤君のおじさんがステーキ屋さんと言う事で母親からステーキ肉が届いた、カミさんもおばあさんもステーキなんか焼いた事無いと言うと、
加藤君が僕おじさんの店でステーキ焼いてましたと言われたので、台所でフライパンで焼かせてみたら美味しくてビックリした(笑)