年明けてからブログを始めたんですけども、全然更新できなくてあああ、となっています。
ちょっとあえて、Twitterとは連動しない形で、もし見てる人がいたらありがたいという気持ちで書いています。
フリーになってから3年目になりました。
私の美術家としての力量を測る手段がないのでなんとも言えないのですが、つながりが増えれば増えるほど仕事は舞い込んでくるもので、去年は、まぁどんどん膨れ上がってパンクするという事態があって。
13週連続小屋入りってなんだ、って今でも思います。今年は1つ1つの作品に想いを強く込めていきたいと量を減らして質を上げる志をしまして。それはそれで、とても精神的負担がすごいなともがいています。
私は劇団員でもある故に、よくいろいろな劇団の観劇をされているお客様から認知される機会が多く、最近はどの現場でも欠かさずに感想が頂けていて。見られている、んだなぁ、と。
3月に携わらせて頂いた埋れ木と
4月に打ったいつもの致死量
この2作品の美術の出来の反響がとても多くて、確かに自分でも今まで作った他のセットと明らかに異なる質のものを出してる認識はあって(あでも、力が及ばなく反省や悔いは、どちらもあるんですが。)ちょっと見たことないなって量の反響を頂きました。
その影響は今もあって。セットを見るために足を運んでくれる方が複数いらっしゃたり、知らずに見に来たけどこわっぱちゃん家の、いつもの致死量の眞野さんだったという感想が見受けられたり、自分でもびっくりしています。
1か月経っても、いつもの致死量を思い出してもらえるキッカケになれていることは、劇団員として、演劇の賞味期限を伸ばせる可能性を広げていることなので、とても嬉しいことです。そもそもトクダの力がなければそうはならないんだけどね。
質を上げるということ、って、本数をこなすよりもはるかに意味を成すことだなと実感しています。
で、言いたいのは、ちょっとした弱音で。
質を上げ続けることの難しさに対するびびりだったり、表現とお仕事を両立することの難しさだったり。なんか、分かっていないわけじゃないんです。
良いものを作りたいと、基本的には思ってる。
けど、ホイホイでてくるわけじゃない。時間がかかるから、お金も必要で、大人としてちゃんとしなきゃいけないし、約束も守らなきゃいけないし、現実はお芝居みたいに優しくないし、能力の足りなさも感じるし、逃れられないし、自信もない。得意なことと不得意なことの差がすごくて、不得意なことをカバーしきれなくなっているという事実があって。
今年はね、まだ予定がたくさんあるんだけども、少し、限界を感じている状況があります。それも絶対に言っちゃいけないことだと思ってるんだ分かっている。
こわっぱがキッカケで、こわっぱの為に大道具覚えてこわっぱに生かしたいし、返したいと思ってたんだ。なんか別に大きな世界に行きたいわけじゃない。
ただ、それができないこと、本末転倒だなって思った。
それこそ、いつもの致死量では表向きできているように見えてたと思うんだけど、見えていないところでそんなことなくて。
本当にそんなことないって分かってはいる。
演劇が楽しめないこと、夢中になれなくて。自分が一番下っ端だと思っていられる方が、心が自由でいられた。
負けたくない気持ちだけ先走って、詳細に物事を見られない。去年はもう少しキラキラしていた。
あーよくないなーって思ってる。心がざわざわするね。
格好良い人になりたいし、規則正しい生活もしたいし、自分の発言を信じられるようになりたいし、人に敬意を持っていたいし、
なんか色々総じて格好良くなりたいんだけども、本当に難しくて、本当に難しいです。
来年、休むもうかなってちょっと考えている。こわっぱは続けるけども。演劇もやりたいし、この仕事は天職だと思ってるけど、ひとりで戦うのは向いていない。
なんか色々ぐちゃぐちゃしています。いろんなストレスが絡み合って何が根本的な問題なのか分からないです。
旅に出たら何か変わる?
お花を見てると少し安らぐんだ。
お花ばっかり見ていられない現状。
そういうのが感覚を鈍らせるんだと思うのは思い違いなのだろうか。
ぜーんぶ受け入れて、忍者になれたらなぁ。わかるよ修行辛いの。辛い修行に耐えないと忍者になれないの、分かってはいる。