父の会社の社宅があったからだ。
母の実家はとても大きくて、同じ神奈川県横浜市の保土ヶ谷にあったんだから、そこに一緒に住めばよかったのに、エレベーターもない、四階建てのボロい団地である社宅に住んでいた。
三ツ境なんて名前からして横浜市の果てなわけで、母は私を産むときに近くの病院ではなく、当時中区の相生町にあった国際親善病院に行った。
そもそも満州生まれ、山下町育ちの彼女にとってはそのあたりが慣れ親しんだシマで(笑)、国際親善病院がかかりつけだったこともあるのだろうが、なにより母にとって重大なことは「中区か西区で産まれなければハマっ子ではない」ということだった。
私も、そして四年後には弟も、無事中区相生町で生を受け、「ハマっ子」としての人生を歩みはじめた。
なんという執念!(笑)
ハマっ子魂は生まれながらにして受け継がれていく。
DNAに刻まれている。
それを私たちは誇りに思っている。
マツコ・デラックスがなんと言おうとそれは揺るがないのだ。