MJSの内装工事ブログ

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ほそぼそと施工した工事のbefor→afterを報告します。
仕事でも考え方でもなんでも解らないことは『分解』する癖アリ。

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1の続き




勝海舟の人生訓 童門冬二 から









●自分を売り出す好機を見逃すな







~賄賂はいらない。その分だけいい材料を使いな~








蘭学塾を開いた勝は、赤坂田町に住んでいた。



そこで鉄砲の政策に取り組んだ。



もちろん自分で作るわけでなく、鍛冶工を雇ったのである。



あるとき、ある藩から大砲三門の注文があった。



このころ、大砲一門作るのに約600両かかったという。



ところが、この600両のうち300両を、設計者に対して礼として提供するのが例となっていた。



それも、注文者が出すのではなく、下請けをした製作者が、バックをするのである。



つまり賄賂だ。



賄賂だというのは、制作過程で鉄や銅を質の悪いものを使い、いわば手抜きをするからだ。



300両の礼金は、この手抜きに目をつぶって欲しい、という事なのだ。



これが習わしになっていた。勝はこの習わしに目を付けた。



案の定、製作者は500両の金を持ってやってきた。



勝は腹の中で(一門の礼が300両なら、三門で900両のはずなのに、この野郎は500両しか持ってこない。



400両ごまかしやがったな)と心の中で苦笑した。



が、彼にはもともと賄賂を受け取るきもちはなかった。



これを逆用して、『自分の名を売り出してやろう』と思ったのである。



つまり、自己PRの手段に使用と手ぐすね引いて待っていたのだ。



そこへ製作者が金を持ってきたから、勿怪の幸いだった。



勝はこういった。



『おれはこの金を受け取らない。



この金の分だけ圧銅の量をふやしなそれだけいい大砲を作って、立派な仕事をしてみろ。



請け負ったこのおれの名前をの汚れになるようなことは、よしにしてくれ』



製作者は赤っ恥をかいた。



(自分だけいいかっこうをするつもりか?)と、思った。



しかしよく考えてみれば、勝のいうことは正しいし、また立派だ。



今までのように、製作費の中から半分を設計者に献上していたのでは、いい大砲をつくろうにも作れない。



コストを安くされてしまえば、原料で手抜きをするより仕方なかったのだ。



習わしは、いわばいたちごっこである。



鶏と卵のようなもので、製作者だけがわるいとはいえない。



半金を、平気な顔して受け取ってきた。




設計者側にも問題がある。




物を作る人間はもちろんいいものを作りたい。




製作者は思い返して、感謝した、




そして、『よくわかりました。いい大砲を作って、




あなたのお名前だけでなく私の名前も汚さないようにします。』




これを聞いて勝は




『うん、是非頼む』とにっこり笑った。いい大砲ができた。




この話はすぐにうわさになって、広く伝わった。




感心したのは幕臣の大久保一翁である。




当時大久保は老中筆頭の阿部正弘のお気に入りで、




『市井にいる能力者の発見』につとめていた。




このうわさを聞くと、大久保はすぐに勝を訪ねて行った。




勝の家はボロボロで、畳もロクになく、また天井の板もはがされ、薪にされていた。




しかし、そういう様を、大久保は好感をもって見た。




(こういう家に住んでいるからこそ、彼は、賄賂をビシッと断ったのだ)と思えたからである。




これも勝の立身出世のきっかけとなった。







引用終わり





職人からすれば勝さんのようお人に出会いたいと願うわけであります。




渋沢栄一さんの『論語と算盤』に近い考え方があり




商人にも武士道が必要だと説いた氏とシンクロします。




しかし今も昔も変わりませんね。




でももし勝海舟が現代にいたら重用されるかどうかわかりません。




戦前、それ以前から細い糸で紡がれてきた日本式の道徳は




急速に欧米流の近代化に傾倒してきた我が国にあって




虫の息、風前の灯、四分五裂etc




社会を論じるための言葉及びコミニケーションが




足らないのか追いついていないのか思索してしまいますね。




そういう意味では我が国とコーリアは本質的に似ているのかもしれない。




みなさん色々な武器をお持ちのようだが、




実はだれも自分自身の明確な基準を持ち合わせていないのではないか?




原始人にロケットランチャー持たせても脅威にはならないのと同じで




文明の利器や道具をもってして、使いこなせなければタダのゴミなのです。




先人達が残していった知識や




過去ばかりではなく現代に生きるか細い日本的なるコトに




敬意を表し『実』にしていかなければならないと考えます。




教えというのは過去の産物であるからして、




その教えを活かせなければただの体験主義になってしまいます。




インプットしたらアウトプットしなければそのモノ・コトは意味をなさないのは自明の理であるからして




すべての知識を総合知にし実践し現実に役立てる実学にしなければならない




日本流のモッタイナイ思想であります。




それを活かさない手はない。




ぜひその学を活用し、徳させていただきやす。