娘の健やかな成長を願って
アメリカ大使館に用事があり
前日から東京へ
広尾の軍事施設に宿泊
子供達の一番の楽しみプール
平日の宿泊客も少なく
貸し切り状態
翌朝 大使館で用事を済ませて
赤坂から六本木方面へ歩いてぶらぶら
職場や住居があった数十年前とは色々と変わっていて驚いたり、以前と変わらないお店や景色もあって懐かしくなったりもして楽しい散策
コーヒーショップで一服をしていたら突然旦那が 大阪に行った時に食べたPABLOのチーズケーキが食べたいのだけれど東京にないの?との質問
調べてみると新宿と神田、秋葉原に店舗が
で、向かった
神田
車はホテルに置いて都内は電車で行動
普段あまり電車に乗る機会の無い子供達は電車移動も楽しんでいた様子
神田に着いてPABLOまでの道中
平日のお昼時 沢山のビジネスマンで街が賑わっていた
赤坂〜六本木周辺もビジネスマンで賑わっていたのだが、雰囲気は全く違った
ランチを提供するお店の雰囲気も違ってた
下町育ちの私は断然神田の雰囲気が好き
途中 小さな設計事務所があり中の様子が見えた
中では楽しそうお弁当を食べていた
何だかサザエさんに出てきそうな一コマ
すかさず旦那が一言
こんな所で俺も働きたい
日本語読めない旦那はどんな会社かも分からずに言っているのだが、社内の雰囲気が通りすがりの私達にも伝わって来た
下町と言うのか昭和感と言うのか懐かしい気分に思わず街並みを撮影
そして目的の
ただ この店舗は持ち帰りのみ
店舗での飲食が出来ずにチョとがっかり
この日のランチは
洋食屋さん
どこでもステーキを探す親分
この日は娘も
私はカキフライ定食
チキンカツとチキンライス
ナポリタンスパゲティ付きランチ
一番洋食屋さんのランチらしいのを頼んだ旦那
美味しく頂きました
1月7日 12歳になった親分
本人の希望で家族だけで親分の好物の
しゃぶしゃぶディナー
12年前の今頃は陣痛で苦しんでいた事なんかを思い出しながら しゃぶしゃぶを頂いた私
私は物心ついた頃から絶対に結婚はしない‼︎
子供なんて以ての外と考えていた
理由は…多分 母が「今の時代 結婚なんてしないで自分で生活力をつけて自由に生きた方が賢いわよ‼︎ 」と言っていたからだと思う
両親にはとても感謝しているけれど、色々とあった家庭だった(どの家庭でも多少なり何かはあると思うけれど) とても偏った考えを持っていた私
恋愛は大いに楽しみ勿論真剣に相手を想ったけれど、周りの女友達とかなり違った考えだった
付き合ってる相手と交際期間が長くなり同棲
そろそろ結婚の話が出ると パニックに陥っていた私
当時 付き合っていた相手は凄い拒否反応を示す私に変な疑いを持ち始め 鬱陶しくなった私は同棲していたアパートメントから家出した事もあった
女友達と交際相手の浮気の話になると全く意見が異なった
私はもし相手が他の人とセックスしても大騒ぎはしない。それよりも他の人とドキドキしてキスをされる方が傷つくし多分 その相手とはお別れ時だと思う
どんなに長く付き合った相手でも結婚相手でも人間
自分の所有物には出来ないし、されたくもない
この考えは今でも変わってないけれど
結婚を政府が国を管理しやすくする為に考えたシステム位に思っていた私
結婚と言う物に不信感、恐怖感さえ感じてた私
実際に結婚をしてみて
結婚前後の私と旦那の間柄は何も変わってはいないけれど
共有する物が増えたのと 生活する上で家族になる事で色々と便利になったのも確か
今 思うと何をあんなに怖がっていたのか?
結婚→出産 →人生の終わり
と思ってた私
タイミングが良かったのか?
結婚して子供を授かった
勿論 色々な人生の形はあるわけで今も結婚 出産が全てとは全く思っていない
ぐずぐずしていたから
親分出産時から高齢出産
基地の病院にはNICUがない為リスクの高い私は日本の病院を選んで親分を出産
自然分娩
予定日が12月25日だった親分
2週間もオーバー
当時の私は体重がかなーり増え
妊娠糖尿病にもなってしまった
陣痛の痛みってどんな感じなのかな?
お腹の赤ちゃんどんな顔かな?
どんな声かな?
元気に生まれてきてくれるかな?
毎日 毎日 色々考え
その時間がとってもとっても幸せだった
出産は人生の終わりって考えていた私何だったのだろう?
実際に陣痛がきて出産に至るまで17時間かかった
痛みには強いと思ってた私も 陣痛は別物だった
帝王切開にして下さいと途中頼んだりもした
やっとの事で親分が生まれてくれた時は命の神秘というか?言葉には出来ない幸福感、満足感に満たされた
でも、当時はもう二度と出産の苦しみはごめん、もう耐えられないと思ってた
当時は、この後 娘を出産するなんてこれっぽっちも考えていなかった
そんな事を次々と思い出され過ぎた
親分の誕生日
あっと言う間に感じると共に
年を取ったなと感じる自分もいる
少しでも私の姿が見えないと
ママ‼︎ ママ‼︎
と私を探していた頃の親分
買物誘っても中々一緒にも来ない
でもでも ホント生まれて来てくれてありがとう‼︎
当たり前の事だけれど、自分の息子でも1人の人間、私の所有物ではない。
どんな時も側にいて どんな時も愛する息子には変わらないけれど、自分の人生は自分次第
ただ一つ
親分の誕生日に願う事
この曲が流行った時代を考えると意味合いは違ってくるのかもしれないけど
親分世代が大人になっても平和で
その何でもない日常に幸せを感じる事の出来る人間であります様に





































