8月8日、広島と同じ物が長崎に降るとの号外が蒔かれその報告紙は地面を埋め尽くした。

    慌ただしくできる限りの防御した長崎に結果、毎日恐れる空襲さえなく、『午前早く来る』と通告虚しく何もなかった。

長崎は全域に及び脱力的安堵した。

       つまりあえてのデマだった。

    

              救援・救護活動

原爆によって、爆心地に近く周りに遮ぎるものない建物ほど、熱線で火災が起き爆風で激しく破壊され多くの人命が亡なくなった。医療機関も壊滅的打撃を受け特に、当時長崎市内で設備の有力な、長崎医科大学さえ爆心地から約0.5KMであり大被害は補う術もなかった。
        


    翌日8月9日午前11:02、エノラゲイ;プルトニウム起爆爆弾投下され、あの世界惨状を生んだ。令和5年の今日で
  78年目を迎える。

       子を抱き包む親諸ともが灰に固まり砕け散る有り様に、
  あれから70年経った時
  アメリカから広島,長崎へ献花された。
       涙の追いつかない歴史を刻んだ。
    けして忘れてはいけない惨事歴史である。