卵巣がん治療記録

卵巣がん治療記録

卵巣がん 漿液性Ⅲb 再再再発 病とともに

このブログを読んでくださっている皆様へ

母の代わりに娘が書いてます。

先月、大好きな母が虹の橋を渡ってクッキーのところへ行きました。
今日、四十九日が終わり 納骨をしてきました。
皆様に母のステキな笑顔を見てもらいたくて投稿しました。

少しですが母のこと書かせてもらいます。
よかったら読んでください。





12年前の春に卵巣癌が見つかりました。

高1の宿泊研修の日が手術日でした。
研修どころじゃなかったことよく覚えてます。
予定にはなかった ストーマを作って
たぶん相当ショックだったと思うけど
「ピアスと一緒よ」「梅干しみたいでしょ」
って、受け入れて向き合って さすがです。
強すぎるでしょって。
そんなストーマを1年後には元に戻せて
看護学生だった私にはとてもいい経験になりました。

それから10年の間に5度の再発がありました。
その度に入院して 抗がん剤治療を受けて
もう1度手術も受けました。
ほんとはすごくすごく辛かったはずなのに
弱音も吐かず ずっと前を向いて治療を受けていました。

ですが、今年の3月これ以上治療するのが難しくなりました。
いわゆるBSCです。
いつかはこうなるとは思っていたけど
私はどんな治療でもいいから 母にはもっと生きて欲しかった。
けど、母は違いました。
「もう治療から卒業させてください」って
明るい顔で言ってました。
12年間、生き延びれてもう十分だって。
それくらい辛かったんだろうな。
全然分かってあげられてなかった。

BSCと言われてからはとてもとても早かったです。
写真は4月1日家族みんなでお花見に行った時のものです。
これが最後の外出になりました。
すぐに痛みが出てきて 動くのがやっと
痛みを取るために入院して 
疼痛コントロールができて家に帰れたあとは
嘔気でご飯も食べれず 水も飲めず
5月半ばに 入院になってから
お家に帰ってくることはできませんでした。

入院してからはお昼休憩も病室に行き仕事終わり、お休みの日にも。
同じ病院に勤めていてほんとによかったです。
6月に緩和病棟に入ってからはとてもいい時間を過ごせました。
ゆったりとした環境で ゆったりと時間が送れました。
6月12日姪っ子の1歳のお誕生日
病棟のデイルームでお誕生日会。
餅を背負って歩いた姿を見て 母は大喜びしてました。
この日、母らしくとても気丈に振る舞ってました。
最後の力を振り絞っていたんだと思います。
次の日からは会話するのも難しくなりました。
痛みと苦しみにもがく姿をみるのはとても辛かったけど
最後の4日間はお休みをもらって 父と兄と4人でずっと一緒に過ごせました。
とてもいい時間でした。

これからの人生に母がいない事、まだ受け入れられていません。
まだ花嫁姿も孫の姿も見せれていないのに。
ずっと見届けて欲しかったし 相談したかったし、手伝って欲しかった。

これから 母のような強い人になれるように
強く前を向いて歩いて行こうと思います。

今頃 お空の上からクッキーさんと一緒に
見守ってくれていると思って
父と仲良く過ごしていきたいと思います。

私は看護師をしていますが
ずっと手術室でしか勤務していないので
緩和ケアという状況は分からないことだらけでした。
不安もたくさんありました。

今治療中でたくさんの不安を抱えている方がいると思います。
どうか母のブログを読んで少しでも前が向けるようになっていることを願っています。
ひとりじゃないですよ。
どこかで闘っている人がいます。
一緒に前を向けるように ちょっとだけ頑張ってください。
ちょっとだけで大丈夫です。
あとは医療者が代わりに頑張るので。
肩の力を抜いていて下さい。

このブログは少し置いておきたいと思います。
読んでくださった皆さま
今までありがとうございました。