水谷孝のブログ「つれづれなるままに」 -2ページ目

みなさんこんにちは!

 

ご機嫌いかがですか?

 

今回は日常エピソード編です。

 

日常エピソード編第一回目の今回は、スペインに来てから僕と妻との関係が最悪の状態になってしまったことについてお話ししたいと思います。

 

結婚とは、、、

 

「一人の男と女が出会い、愛し合い結婚し、順風な時は一緒に人生を楽しみ、逆境の時はお互いを支え合い、喜びも悲しみも常に一緒に分かち合うもの」

 

と思っていました。

 

結婚前までは。(笑)

 

しかし現実はかなり違っていました。(笑)

 

妻は昔から生理の前後は、感情の起伏が激しい女性たちに比べてもさらに激しく、生理が終わって精神的に穏やかな時との差が信じられないほどで、日本で暮らしていた頃は、穏やかな時は同居していた僕の母とも和気あいあいと楽しく過ごしていたので、家の中はとても平和だったのですが、生理になると、突然僕や母に日頃の我慢の鬱憤を晴らしたくなるのが常で、いきなり僕や母にケンカを売ってくるのが毎月の恒例でした。

 

結婚前と結婚後はだいぶ変わったので「騙された」と思った時期もありました。(できちゃった婚だったので、時すでに遅しでしたが。苦笑)

 

それでも僕は、妻が日本で僕の母と同居してくれただけで、妻には感謝していましたし、妻には良いところも多かったので、生理の時にケンカを売られても、我慢出来ることは我慢し、妻のわがままも出来るだけポジティブに捉えて聞くように決めていたので、少なくとも妻と別れたいと思ったことは一度もありませんでした。

 

そのことは妻もよくわかっていたと思います。

 

妻がヒステリーを起こして僕にケンカを売ってきた時は「もう終わりだ!離婚してやる!」というのが彼女の口癖でしたが。(笑)

 

彼女にとっては脅し文句のつもりだったのかもしれませんが、実際に僕と別れたいとは思っていなかったことはわかっていたので、僕には「お腹が空いた!飯を作れ!」くらいの脅し文句にしか聞こえませんでした。(笑)

 

そんなわけで日本で暮らしていた頃は、僕たち夫婦は世間一般の夫婦と同じように、雨の日もあれば風の日もあれば晴れの日もあるようなごく普通の夫婦でした。

 

僕も夫婦とはこんなものだろうと思うようになっていました。

 

ところがスペインに移住したとたんに、僕たち夫婦はほぼ晴れの日がない、毎日が雨の日や風の日(ときどき嵐)のような夫婦になってしまったのです。

 

妻の「スペインに帰って暮らしたい」という希望を叶えるために、気の進まない鍼灸を勉強したり、スペイン移住のための資金を稼ぐために、命をかけて広域暴力団と戦ったり、僕なりに家族のために(特に妻のため)全力で頑張ってやっと実現させたスペイン移住でしたから、「少なくとも日本で暮らしていた頃よりも、妻はもっと幸せになるだろう」、「僕たち夫婦も日本にいた頃よりも仲良くなれるだろう」と思っていました。

 

僕の母との同居もなくなり、今度は彼女の親元で暮らすのですから、少なくとも日本にいた頃より不満が減って当然だと思っていました。

 

ところが僕の予想は完全に裏切られ、スペインに来たとたんに妻は僕が言うことやること全てが気に入らなくなったのです。

 

理由は、妻がスペインに帰って来てからガチガチの''フェミニスト''になってしまったからでした。

 

少なくとも日本で暮らしていた頃までの妻の頭の中には「長い間女たちは男たちから虐げられてきたから、男たちはみんな女の敵だ」という考え方は全くありませんでしたし、ましてや愛し合って結婚した夫の僕のことを「男だから敵だ、ライバルだ」などと考えたことはありませんでした。

 

少なくとも僕はこれっぽっちも感じたことはありませんでした。

 

なので日本で暮らしていた頃は、前述したように毎月彼女が生理の時だけケンカはしましたが、そうではない時は、まあまあ普通に仲の良い夫婦でした。

 

妻が子供たちを連れて先にスペインに帰って来て、僕は妻に送金するために日本に残って仕事を続け、2年後に僕がスペインに来た時には、妻にとって夫である僕は、愛して結婚した男ではなく、長年にわたり女たちを虐げてきた男たちの中の一人にすぎなくなっていたのです。

 

ではどうして妻はスペインに帰って来たとたんにガチガチの''フェミニスト''になってしまったのか?

 

理由は二つ考えられました。

 

続きは次回のお楽しみに!

 

それではまた来週の金曜日にお会いしましょう!

 

みなさんお元気で!

 

スペインのイルンより心を込めて、、、

 

水谷孝