Are you happy ?

Are you happy ?

大切な人を守れるひとに!

意気地なしの大学生の日常

Amebaでブログを始めよう!
taylor swiftかわいいです。
みずほです。



長い長いJob Huntingが終わりました。

ここで働きたいなあ、と思っていた会社に
おいでって言ってもらえました。


こけしみたいな黒髪ともおさらば。
シルエットが気に入らなくて結局ほとんど着なかったリクスーともおさらば。
SPIの本たちは今年就活をする妹の部屋へ移動。






きちんと活動し始めた1月から約4ヵ月間を振り返ってみた。
(中身はほとんどなかった。)


なんともまあ、わたしらしい4ヵ月だった。


4ヵ月のほとんどの時間を
「あたしが究極的に実現したいことってなんだろう」
って問いの答え探しにあてた。
(答えは結局見つからなかった)


いまから考えてみれば、
仕事はほとんど探してなかった気がする。

説明会に行くたびに
「これは違う」「これも違う」
って駄目だしばっかりしてたし。
ピンポイントで行きたいところしか受けなかったし。

(ほんと駄目な就活生だったなあ。笑)




そして、とにかく泣いて泣いて泣いた。
何が悲しかったのか、もう忘れてしまったけれど、
(たぶん悲しいんじゃなくて、失望と絶望の涙だった気がする)
電車で泣き、梅田のど真ん中で泣き、病院で泣き、ベッドで何十回も泣いた。


そしてそのあとには、ほぼ必ず2人の頼れる先輩に電話した。
あたしの取り留めもない話をうんうんってずっと聞いてくれて
いつまでも子供みたいにめそめそ泣いてるあたしを
前に前に進ませてくれた。


ふたりがいなかったら、きっとあたしは途中でめげてました。
ほんとうに、ありがとう。

(やりたいことは結局見つからなかったけど
ふたりみたいに、悩んでる人の心を一緒にほぐせるような
優しくて強い人間になりたいと、心の底から思うようになりました)





就職活動する中で
あたしが小さい頃からずっと抱えてきた問題意識には
きれいにふたをしてしまいました。
ほんとうにしたいのか、皆目分からなくなってしまった。


けれど代わりに
どうしても貫きたいことが1つ見つかった。


あたしはこれを実現できる自分になるために
4月から働きます。


強くなります。
強くなって、優しくなります。

自力で立てるようになって
ひとりで生きていけるようになって

そして大事な人と一緒に生きていきたいです。




なんか今日は上手く文章が書けなかったけど
こんな日もあるよね。


あたしが許せないことは

誰かが、その人のせいじゃないのに
苦しんだり悲しんだり殺されたりすること。


そのシステムに
日本に住む自分が組み込まれていること。


自分が加害者になっていること。


自分のこの生活が、
会ったことのないたくさんの人の
犠牲によって成り立っていること。




そして多くの人が
この事実に気付いていないこと。









やったら、うちがすることは

このシステムを変えること。






自分にできることは
ほとんど何もないかもしれんし


何もないって言ってしまうのは
本当に本当に簡単で楽なことやけど。





少なくともあたしには
この問題から逃げていい理由はない。


日本に生まれたうちに
絶対にできひんことなんか、なんもない。



これは東南アジアを旅したときに
心から思ったこと。


日本に生まれたうちは
「できひん」なんて言葉
ぜったい使ったらあかん。



何でもできる環境が用意されている。








いま、この瞬間困ってる人がいんのに


自分の環境とか力とか
覚悟のなさとかを言い訳にして

逃げていいわけない。

そんな権利たぶんないと思う。


だって、このおかしいシステムを作り出してるのは
紛れもなく自分自身なんやから。






人生を通して何をすればいいかは
まだ分からへんけど


でも、あたしにも存在してる理由があると思うし


なにかしら役割があると思う。



問題を全て解決することは難しいかもしれんけど


それでも、少しずつ少しずつ

どこかにフォーカスを当てて

betterな世界にしていけば



あたしが死んだあとも
誰かがきっとbetterな世界にしつづけてくれて



いつかきっとbestな世界になると思う。




なると信じたい。






就活が近づいて


自分の本当の心に嘘ついて

多くの人が進む道に流れちゃいそうになったけど



山口絵理子さんの本を久しぶりに読んで

目が覚めました。






あたしに足りないのは


スキルとかそんなんじゃなくて




『決意』




それだけやと思う。






わたしにとって、国際協力は



苦い苦い苦い経験です。







1回生の冬から2回生の冬まで1年間



国際協力の団体に入って




ラオスに小学校を建てる活動をしていました。






小さいころから


国連に入るのが夢で


国際協力ってゆうものに憧れてて





だから




1回生の冬にこの団体に出会ったとき




やっと、憧れていたフィールドに立てるんやって



ほんまにほんまに嬉しくおもいました。









そしてちょうど1年たった2回生の冬に




ラオスの村に実際に行きました。







あたしはこの国際協力ってゆうものに実際に関わり始めて



それまでは想像もしていなかった



困難や



もどかしさや



疑問を



感じ始めてて








私たちが、何かを「与える」のは簡単だけど




表面的な問題を解決するのは簡単やけど




でも、それじゃなんの解決にもなってなくて。






小学校がないところに小学校を建てるのも




食糧がないところに食糧を届けるのも




鉛筆やノートや服を届けるのも




井戸を掘るのも





なにもかも。





私たちがするのは、ほんまに簡単やけれど。






それじゃなんの解決にもなってないんだと



関わって初めて気付いた。






だから



自分がいましていることに



自信が全く持てなかった。




苦しくて苦しくて苦しかった。






それでも、きっと心のどこかで




村の子どもたちの笑顔を見れば



誰かのためになってるって感じれるんじゃないか







って、期待してたんやと思う。








けれど、わたしを待っていたのは




そうゆんじゃなかった。






確かに、



小学校に通える子どもたちは圧倒的に増えて



読み書き計算ができるようになったおかげで


余剰作物をきちんと売買できるようになって



中学校に進める子が増えて




みんな笑ってて、ありがとうって言ってくれてた。




きっと、たぶん、



失敗はしてなかったと思う。


プラスの影響になったと思う。









やけど、


上手く言葉にできないけれど






ありがとう  


と村のみんなに言われる度に



心がいたんで



後ろめたくなって



一刻も早くここから逃げ出したくなった。









ある夜に



村のお父さんに家に呼ばれて



お酒をごちそうになりました。






お父さんは違う村で小学校の先生をしていて



英語がほんの少しだけ話せるんやけど






お父さんはカタコトの英語で




小学校をたててくれて本当にありがとう。


自分たちだけやったら、ぜったいにつくれなかった。


日本がこうやって助けてくれてうれしい。


ラオスは貧しいから、まだ小学校が足りてない。


ありがとう、ありがとう。





そう話してくれました。





きっと、お父さんは


ほんとうに、感謝の気持ちを話してくれたんやと思う。







やけどうちは



お父さんに、そんなこと言わしてしまうことに



ラオスの人なら大人でもつくれないものを

日本なら大学生でもできるんやと、分からせてしまったことに



なにより、自立の芽を剥いでしまった(と私は感じた)ことに







日本語が見つからへんけど




とにかく本気で自分にむかついて



悔しくて悲しくて



申し訳なくて






こんなこと二度と言わせないように





もっとちゃんと勉強して




もっかいこのフィールドに帰ってこようと





そう思ったのです。







わたしたちがしたことが



村の人たちにどんな影響を与えたかわかるには



まだまだ時間がかかります。





良い影響を与えるように、活動してきたけど




わたしにはまだ


良かったのか悪かったのかわかりません。








けれど、この苦い経験が



いまのわたしの原動力になっているのは確かです。







満面の笑みでくださる「ありがとう」が



こんなに苦しいものやって



初めて知りました。







大事なひとを、ちゃんと守るためには



自分を守るより、もっともっと



力がいるんやと気付きました。