信州(長野県)の実家にいた頃

約5年父方の祖母と同居していた。

 

 

明治に生まれ東京育ちの祖母、

大正時代、東京で青春を謳歌して

昭和に入り祖父と出会った。

 

当時祖父には

いいなずけ(婚約者)がいたけれど

祖母を好きになり恋愛結婚した。

 

明治生まれでも恋愛結婚!

家に人力車を呼んでよくふたりでデートしていたらしい。

 

さらに、二人は結婚前に長女(ワタシからは伯母)ができていて

出産後に入籍。

なので戸籍上、次女が長女になっている。

 

なんてフリーダムな明治生まれ!

・・・つか、おじいちゃん、おばあちゃんテキトー過ぎ

 

 

 

でも祖母が五十代半ばの頃、

祖父は別の既婚女性と駆け落ちして一時行方不明。笑

 

ワタシは東京生まれだけど

祖父母のごたごたで父は東京での電気関係の仕事を辞めて

両親は実家の長野に戻った。

 

祖父は実家から離れその女性と暮らすことに。

 

祖母は祖父の裏切りから長野を離れ

生まれ故郷の東京でひとり10年ほど働いていたが

 

祖父母と

家族や親戚の交流は保たれていたので

 

東京のおばあちゃんと

親戚から嫌われてるおばさん。

 

小学生のワタシは大人の事情なんてわからなくて

「おじいちゃんには奥さん?が二人いる」

ことが、なんとなく不思議だった。笑

 

 

 

 

祖母は60代半ばで退職し実家に帰ってきた。

 

そして

大好きなおばあちゃんとの同居が始まった。

 

 

祖母の若い頃の話を聞くのが好きだった。

 

当時見せてもらった

古いアルバムの祖母は可憐で

まさに東京モダンガール

 

女学校時代の話

流行のファッションの話

 

関東大震災の話

戦争時代のさまざまな体験談・・・

 

十代のワタシは祖母の話を聞きながら

興味深くて、ワクワクして、

 

「おばあちゃんの目に映ってきたもの」に

あれこれ想像をめぐらしたものだった。

 

 

細身でいつもロングスカートで

家にいてもちゃんとストッキングはいてたなぁ

 

真知子巻きのスカーフにサングラスがかっこよくて

憧れだったおばあちゃん。

 

 

ワタシが高3の11月のある日、

何の前ぶれも無く

いつものように「おやすみー」と言って部屋に戻って寝た祖母は

その晩、亡くなった。

 

大好きな大好きなおばあちゃん

 

今まであれほど人の死が悲しかった経験はない。

 

ちなみに別居中だった祖父は

祖母が逝った二年後にトイレで倒れて亡くなった。

 

「おばあちゃんが連れていったんだねー」

親戚は口々にそう言ってた。

 

 

 

明治、大正、昭和と激動の時代を生きた祖母

 

たくさんの困難があったけれど

いつも自分の意思を持って行動し、生き抜いた

幸せそうな祖母の笑顔を思い出すと

 

ワタシもおばあちゃんのように生きてみたい。

 

たぶん無意識にずっと思い続けてきた。

 

 

 

令和になって3年経って

昭和、平成、令和

 

ワタシも三つの時代生きたじゃ~ん!笑

おばあちゃんと一緒で嬉しいぞ。

 


 

 

特にこのパンデミックに入って

時代の流れというものを感じずにはいれない。

 

 

ネットを通じて世界のリアルな情報に触れること。

YouTubeの登録チャンネルもあっという間に130件超えてしまった。

 

あふれる情報に触れることによって

じぶんの内側と外側の違いをより強く意識するようになった。

 

 

 

昨年は眞子さまの結婚に対する報道やコメントも気になった。

 

なぜかといえば、ワタシも眞子さまと同じように

世間的にけっして褒められないダメンズを選んでしまったから、

つい眞子さまに感情移入、、、笑

 

 

結婚生活の道のりは女の覚悟でほぼ決まる

と、ワタシは思っている。

 

結婚記者会見での眞子さまからは

すべて引き受ける覚悟を感じて

グッと胸に迫るものがあった。

 

 

「より多くの人が心を大切に守りながら生きていける社会となることを心から願っている」

眞子さまが結んだ言葉

 

大切に守るべき心とは、なんぞや?

 

 

 

じぶんの心

 

じぶん以外の人の心

 

動物の心

 

昆虫や植物も含む生き物の心

 

地球の、宇宙の心

 

、、果てしない。

 

 

 

コロナ禍で生活様式は変わったけれど

我が家の生活は基本変わらなかった。

 

2019年、「令和になったから気分一新、引っ越したい!」

旦那サンの思いつきで広い部屋に引越しした。

 

その半年前から旦那サンは仕事のデジタル化を進めていた。

 

サラリーマンをやったことのない旦那サンはずっと前から在宅ワークだけど

仕事のデジタル化で打ち合わせや納品がラクになった。

 

そして起こったコロナ・パンデミック


なんというタイミング

 

ワタシはパートと家の仕事のダブルワーク

2020年の4~5月の緊急事態宣言で職場が休業したけど

その後は普通に働いている。

 

息子はサラリーマンだけど、元年に職場を変わってから

ずっとリモートワークだったから生活に影響なく働いてる。

 

ワタシなりに心を大切にしてきた。

 

できることを精一杯やってあとは天にまかせた。

 

 

 

 

あぁぁ~

 

17歳に戻って、おばあちゃんと話してみたい。

 

今の暮らしを、

今までの体験を。