元日の高崎駅前に午後5時半、それが実祖父との待ち合わせであった。
予約した席数の関係で同行できない井澄とは食事後に高崎駅で合流することを約束し、両親と兄と私で待ち合わせ場所に立ち尽くすと同じような家族がこちらに向かってきた。
「度会さんご家族ですか?」
「……野崎天彦さん、ですね」
車いすに乗った齢90は確実に過ぎてるだろうご老人は二人の息子(それでも私の父親と同じぐらいの年頃である)を連れて私たちに頭を下げた。
三人の身なりはよく整えられており父と比べるとセンスに差を感じる。
言葉遣いも整えられた印象があり、方言はあれどきつく聞こえないように気遣われた印象がある。
(足尾であの年代って事は鉱山関係の偉い人かもな)
推測の範囲を出ないが考えるだけなら自由だ。
簡単な自己紹介もそこそこに父が「行きましょうか」と促した。
店は駅から徒歩圏内にある高崎パスタの有名店で、正月早々なかなかの盛況ぶりであったが個室を取っていたおかげでスムーズに案内された。
父は実の祖父に祖母の事をよく訊ねた。
なぜ祖母とどうにかして一緒になろうとしなかったのか、祖母が身ごもっていた事を知らずに他の女性と一緒になったのか、祖母と別れてからの事。
実の祖父はそこに一つ一つ誠意をもって答えているように見えた。
婚約破棄も考えたが自分の一存で行えなかったこと、祖母が身ごもっていたことを父が自分の元へ来るまでずっと知らずにいたこと、祖母と別れてからの生き方について。
時折母や兄はへえと相槌を打ったり、二人の息子さん(私から見て叔父になるのか?)が時折補足をし、私はパスタを食べつつ話を聞いていた。
長話をしつつの食事はずいぶんと時間を喰ってしまい、全員がデザートを完食したころには8時前になっていた。
酒を飲んだ両親と兄は電車に乗るため高崎駅へ、実祖父一家は駅近くの駐車場に止めてある車で足尾に帰るという。
「やっと心のもやが一つ晴れた気がする」
ほろ酔いの父が妙に晴れやかな表情でそんなことを言う。
父親なりに葛藤し気持ちの整理をつけ、20年近くかけてここまでたどりついたのだ。

(じゃあ、私のもやはいつ晴れるんだろう?)

10代の私を苦しめた言葉が作る私の中のもやをいったい誰が晴らしてくれるんだろう。
『でもその前に謝るべきだと思う』
『誰が?』
『智幸さんに八つ当たりしてきた家族が』
井澄の言葉を思い返す。
そうだよな、私のせいじゃないんだもんな。
「でもこれで終わりじゃないよ」
全部壊そうと思った。
「家族が壊れたのは私が発病したせいじゃないって、ばあちゃんと野崎さんがちゃんと向き合わなかったせいだってこれではっきりしたよね?
私がむかし言われた言葉、あれ全部八つ当たりだったんじゃん」
ぼたっと地面に雫が落ちた。
そうか、私はずっとこの件について怒りたかったのか。
泣き喚いて絶対に許さないと怒鳴り散らしたかったのだ。
父は突然の事に凍り付いた表情でこちらを見つめ、野崎さんは暗い表情でうつむいた。
「智幸さん」
「井澄」
荷物を抱えた井澄が迎えに来てくれた。
「……ちゃんと言えたじゃん」
「そうだな。私は東京に帰るから、そのこともちゃんと考えといて」
泣きながら高崎駅前を井澄と並んで歩いていけば憂鬱な元旦は終わっていく。
いつの日か何の憂いもなくあの家でともに元旦を過ごせる日が来ることを祈りながら。



正月恒例の中編でした
Twitterではすでに明言していた渡会家のはなしを軸にしようと思い立って書いてみたら、何故か最後の最後で一部の文章が消えるバグに見舞われてひどい目に遭った。アメブロめ……
正月は何かと家族を意識する時期だなあと再認識しつつ。