「別れるなんて撤回しろ!」
そう言って掴みかかってきた元カレと地面に崩れ落ちたとき、アスファルトと強くぶつかった腕がボキリと折れる音がした。
それでも別れたくないとごねる元カレとつかみ合いの喧嘩をした挙句、元カレも鼻の骨を折った。
昨晩の夜の事だ。
「竹浪、さすがにいい加減にしろよ」
大学ラグビー部監督の磯原さんは診断書を手に怒りのこもった声で私を見た。
元日本代表という経歴を持つこの厳つい監督がここまで怒りに満ちた顔をしているのは初めてだった。
「去年だったか?お前に男を盗られたって言う女がうちに寮に不法侵入未遂してきたのは」
監督はラグビーが絡むと厳しいが、私生活の事で怒ってくることはそうそうない。
「はい」
「今まで指導者として選手の私生活には立ち入らないようにしてきた、だが今度の事はあまりにも目に余る。相手にも怪我をさせてるわけだからな。
……処分として一か月の活動参加禁止、それと年明けまで対外試合・練習試合への出場を禁止にする」
「分かりました」
処分を受け入れて監督室を出ようとする私に、後ろから声がした。

「竹浪、お前は恋愛とラグビーどっちが自分の人生の大黒柱なんだ?」

寮の自分の部屋に戻って、家族に骨折と参加禁止のことを伝えると父は「そうか」としか言ってくれなかった。
今回の事は身から出た錆、というか自分が悪いのだという事は分かってる。
佐藤くんを諦めたいからといろんな男の子と付き合っては別れて、だらしのない生活をしていたツケなんだろう。
家族にはその事実を明かしたことはないけれど、私も相手を殴ってしまったのだし少々厳しいが仕方ないと思ってくれただろうか。
人生の大黒柱はどっちだ?という監督の言葉について考え直す。
私にとってラグビーと恋愛のどっちかを選べという事ならば、初恋のためにラグビーを始めた私には矛盾している。
もう叶わないと分かっていて、それでもラグビーを続けられる理由がどこにあったのかはいまいち分からなくて深い深いため息を吐いた。

***

翌朝。
部活参加禁止の処分が下されても、身体は今までの習慣を覚えている。
寮を抜け出しての朝ランニングは骨折しても続けることにした。
大阪府内とは名ばかりの山あいにある体育大女子ラグビー寮は冷たい朝もやに包まれ、大きな道に出れば早くも犬の散歩に出る人とすれ違う。
府道115号線沿いを走って摂津峡公園を横断し、芥川沿いを遡るように走って帰る。
それが大学に入ってからのお決まりのコースだった。
公園の中の展望台まで着くといったん休憩。今日はもやがひどいのであまりよく見えないが、天気さえよければ遠くに街を望むことができて好きな場所だった。
冷たい空気と風が走って熱くなった身体いっぱいに吸い込まれていくのが心地よい。
「……ラグビーやめたら、もう走らないのかな」
運動は得意だったけれど特別好きだとは思わなかったし、佐藤くんがラグビー好きじゃなかったら絶対ラグビーなんてしなかった。やってると痛くてしんどいし、ある程度太ってないと当たり負けするし。
それでもこうやってラグビーのために走ってて、昨日もストレッチしてプロテイン飲んで寝た。そんな事しなくてもいい生活は、どんな生活だろう。
勉強と遊びと恋愛しかない生活。
朝はこんな早起きしなくていいし、ひとりで毎日好きなことして、カロリーとか筋肉とか気にせず好きな物食べて、好きなだけ夜更かしして寝る。
楽しいとは思う。
けれどもラグビーがない生活は想像しただけで空疎で、横に佐藤くんが来るという奇跡が起きたとしてもきっと寂しいような気がした。
だって佐藤君はラグビーを愛してる。
万が一奇跡が起きて私のことを好きになってくれたって、きっとあの目にラグビーが写るとき以上の情熱をもって私の事なんか好きにならない
(ああそうか、)
気づいてしまえば簡単なことだった。

私が選手として頂点に立てば、佐藤くんにラグビー選手として愛されることはできるのだ。

もうばかばかしい恋愛ごっこは止めよう。
本気で好きな人に才能ある選手として愛されるほうが、きっと一番大事だ。


どう頑張っても佐藤くんのことが好きな春賀ちゃんのはなし