「井澄」
そう呼べばまるで犬のように駆け寄ってくることに、妙な満足感を覚えることがある。
テレビ局のパーティーでさっきまで話していたのがお偉いさんの娘だというのに、それを抜け出して私のもとに駆け寄って「千金さん?」とやってくることに満足すらしている。
「ね、井澄は本気で懐いてるんですよ」
「本当なのねぇ」
皮肉や悪意のこもった感嘆の声にはイラっと来るが、ここまで正々堂々と声色に悪意を込められるのは役者だなと思う。
小劇団女優から脚本家に転身して売れた人だから感情を体で表現するのが上手いのだろう。
「この人は?」
「脚本家の新島出穂、グットバイ・レイニーの脚本家」
井澄と同じ事務所の後輩の出世作となった恋愛ドラマの名前を挙げれば、ああと納得したように思い出した。
軽くあいさつを交わす様子からしても井澄は新島さんと仕事したことが無いのだろう。まあその方がいいだろうが。
「ほーんとこんなにかわいい子に懐かれて、どうやって餌づけたんだか」
「……新島さんだって懐いてる子はいっぱいいるでしょう?」
業界ではわりと有名な話だが新島出穂は男癖が悪い。
気に入った男の子にはとりあえず声をかけ、場合によっては枕営業や性接待も受けるらしい。結果50代にしてバツ4、子どもも複数人いるそうだ。
実際のところはよく知らないが、そういう噂がある時点でヤバい人だと私は思う。
「どうせなら私も井澄君に懐かれたいわ。年上が好きなら私もどうかしら?」
「んー、俺は新島さんのことよく知らないのでちょっと」
「じゃあ食事行きましょう、前に雑誌で最近紅茶にハマってるって書いてたでしょう?美味しいカフェを知ってるの」
そして小さな声で「いい仕事の話もあるわよ」とささやいてくる。
新島さんが噂通りの人物なら、たぶん仕事をネタに井澄を釣る気なんだろう。
「え、仕事の話もあるんですか?じゃあマネージャーと三人で行きましょう」
あくまでも自分の仕事のために行くことを井澄が強調すると、新島さんは当てが外れたような顔をして「サシじゃないのね」と呟いた。
「だって女の人とサシで食事なんて撮られたら大変ですから」
「真面目ちゃんね」
新島さんはなおも不機嫌に井澄の顔を見た。
「本命には優しくしたいんです、ね?」
井澄がこっちを向いてくるので本命が私であることを匂わせてくる。つーかここパーティー会場なんだけどそういう事言っていいのか?
「……井澄は趣味の悪い男ですからね、新島さんにはもっと趣味の合う人がいいと思いますよ。水取ってきます」
なんかもうすっかり嫌になってきた私に井澄も同調するように二人でその場を離れた。

***

「なんか変な気力使った気がする」
会場を抜け出してソファーに倒れこむ私に井澄は「お疲れ様」と告げる。
「……なんか私の妙な顕示欲のせいでお前を巻き込んで悪かった」
先に絡んできたのは新島さんのほうだが、巻き込んだのは私だ。
「俺はいつでも智幸さんのこと好きって言いたいけどね」
「言ってもしょうがないだろ。
それに今のは私があの人らにお前に懐かれてる事実を見せびらかしたいだけで、高い宝石と扱いが変わらないだろ。そのせいであんな余計な気使わせたのは悪かったと思ってる。新島さんの言う仕事の話、たぶん相当デカいぞ」
率直に言えば自分に向けられた好意を自己顕示欲を満たすのに都合よく使ったことよりも、そのせいで面倒事に巻き込んだ上に井澄のデカい仕事も流れた気がするほうに罪悪感がある。
その辺において私は性格が悪いと思う。
「別に良いよ。自分の実力で貰える仕事じゃなきゃ仕事に自分が食われちゃうもの」
「お前な、「自分が好きな人に都合よく使われるのは犬の権利。俺を捨てないことが智幸さんの義務だよ」
なるほど、これだけ都合よくいい男を使うのなら義務としてそばにいないとダメなのか。顔もいいが頭のいい犬である。
「じゃあ褒美をあげなきゃな」
「今夜一緒に寝たい」
「……会場戻ってお偉いさんの機嫌とっておいで、ホテルは探しといてやるから」
井澄の頬をひと撫でしてやると実にいい笑顔で笑った後「絶対だよ」と言う。


都合が良くて頭のいい男は、演じることなく私をまっすぐ見て笑う。

特に意味もなくいちゃついてる。
自分に惚れた相手を都合よく使う事に罪悪感抱いてもしょうがないよねというところから膨らませたら、いちゃついて終わった。なんか甘くなったね智幸さん……