秋恵ちゃんは「ひとは簡単に死ぬからね」と折に触れて俺に言ってくる、ほとんど口癖と言ってもいい。
だから家族や大切にしたいと思える相手はことさら大切にしておきな、と秋恵ちゃんはいつもいつも俺に言う。
「でもめんどくさいもんはめんどくさい……」
「まあまあ」
春休みを使ってきょう久しぶりに父親の家に行くことになったのは良いけど、正直めんどくささの方が強い。
両親が離婚する前から仕事に不倫に多忙だった父親は家庭内での存在感は希薄だったし、祖母ももうすぐ中学生なのだからと口うるさくなってしまって会うのがめんどくさい。
「でも、おばーちゃんとか明日死んでるかも」
「そうかな」
記憶の中にあるばーちゃんからは弱弱しさよりも生命力の方を強く感じるので、秋恵ちゃんの言葉にはいまいち説得力を感じない。
「孫孝行だよ、夕飯はお前の好きなもん食べられるよう瑞穂さんに頼んどくからさ」
秋恵ちゃんはいつも俺をなだめてくる。
誰かを突き放したりなんて絶対にしない、そう言う人だ。
「……ほうれん草カレー食いたい」
「ほうれん草カレーね。うん、瑞穂さん起きたら頼んどくよ」

***

池袋から中央線で八王子、そこから八高線で小宮という駅に降りる。
駅を出て10分ほど歩くと小さな二階建ての一軒家がある。そこがばーちゃん家だった。
ここには果たして帰ってきているのか、遊びに来ているのか、今となってはよく分からない。
腹違いの弟妹達の小さな自転車やおもちゃが玄関わきに乱雑に置かれている今、ここは俺の家と呼んではいけない気分になってしまう。
ピンポンを鳴らすとバタバタと誰かが駆け下りてきた。
「英人、」
「父さんお久しぶり、です」
父親と逢うのは半年ぶり、去年の夏休みに以来だった。
玄関からは既にから揚げの香ばしい匂いがしてくる。来るたびにいつもばーちゃんが揚げてくれるのだ。
「おばあちゃんが奥で待ってるぞ」
「うん、」
そうしていざなわれるままに玄関を上がれば、床が小さくきしんだ。
茶の間を開けるとばーちゃんは笑って「久しぶりねえ」と言う。
「ちゃんとお勉強してるわよね?」
「あー……うん」
まるで勉強してない人間はクズだとでもいうような口ぶりで祖母は俺に確認する。
「うんと勉強していいとこ入って、おばあちゃんを安心させてねぇ」
子どものときは分からなかったけれど母さんはばーちゃんのこういうところが嫌だったんだというのが今になってわかる。
自分の普通や正しさを押し付けてそうあるように遠回しに命令するような口ぶり。
たぶん悪気はないけどめんどくさい。そう言う部類の言葉が雨のように降り注ぎ、言葉では俺を可愛がりながらもどこかで自分の理想の孫像を可愛がっている。
から揚げの香ばしい匂い、炊き立ての白米のつや、刺身や色とりどりのサラダ。
その他食欲を掻き立てるごちそうたちが少しだけにごるような言葉の雨粒に、少しだけ俺はげんなりした。

***

夜7時の池袋駅前は降り始めた雨に困惑する人でごった返していた。
「英人、お帰り」
秋恵ちゃんが傘を手に俺の迎えに来てくれた。
「ただいま……なんか疲れた」
「まあそうだよな、家着いたらほうれん草カレーだぞ」
「うん」
傘を受け取って夜の道を歩き出す。
急な雨に走る人たちを横目に妙に疲れてしまった俺に合わせて秋恵ちゃんはゆっくり歩く。
「ねえ、家族のことって絶対好きでいなくちゃいけないの」
俺がそう問いかけると秋恵ちゃんは驚いたように俺の眼を見て立ち止まった。
「……私は出来る限り家族のことを好きでいるべきだと思ってる」
秋恵ちゃんはそう言いながら頭をボリボリ掻いて「でもそれをお前に求めるのは一方的な押し付けだよなー……」と呟いた。
「英人が顔見るのも嫌だって言うんなら別に今度から会いに行かなくてもいいよ」
「別にそこまでは言ってない」
母さんのようにばーちゃんが大嫌いだと言い切る事は出来ない。
それはたぶん悪意がないことはわかるからだと思う。会うたびに小遣いはくれるし、いつもごちそうを作って待ってくれる。
「あんまり好きじゃないひとって誰にでもいるからなあ」
「いるの?」
「そりゃあね、でも努力しても好きになれないものは諦めるしかないよ。どうせお前とばーちゃんは年に1~2回しか会わないんだから金づるとでも割り切るしかない」
たとえ血の繋がった家族であったとしても嫌いだとか苦手だとか思っていいのか。
そして、それをあの秋恵ちゃんが良しとしたのだ。
「秋恵ちゃんもそう言うこと言うんだね」
「嫌いな人の死に目に会えなくたって別に後悔はしないだろ」
「そっか」
秋恵ちゃんの言う事はいつも単純だ。母さんもこういうところが好きなのかな。



英人くんと秋恵ちゃんの話