昨日、友達と話していたら
視点を変えさせられる感動がありましたので、それについて書いていこうと思う。
私、物心ついた時から、まじめだね、優しいよね、とよく言われるのです。
たしかに、人の役に立つことが好きで、そのような行動をしている部分はある。でも、どうしてそう思われるような行動を、自発的にしているのか、突き詰めて考えると、
義務教育時代の道徳とかの授業におけるの刷り込み教育を、間に受けた結果だというところに辿り着く。
人の悪口を言ってはいけないとか、困ってる人を見かけたら声をかけよう、とか。
だから考えていた。
自分が好きなこと(人の役に立つこと)さえ、人にやれと言われたからやっているのではないか。
習っていなければ、
そんな行動してないんだから。
音楽が好きな人って、音楽を好きになれ、と言われたから好きなのではなく、
そんなの勝手に、自然と気づいた時にはもう好きになっちゃってる、みたいな感じじゃないですか。
人に言われて好きになる、なんて、そんなことをあるのだろうか。
もしそうなら、その好きという感情は、それを指示した人に認められたい、とか、嫌われたくない、などの違った感情であるのだと思う。
なのできっと私は、義務教育を受けていた当時、先生に対してそうゆう感情を持っていたのだと思っていたし、確かにそうだった気がするな…と納得していた。
なんたる、浅はかな感情
結局私の行動動機は
人の気を引くためなのか…
まじかよ
そのことを考えて、友人に話したら、
細胞レベルでの解説をして、
私を肯定してくれた。
人間、というか、体をかたちづくる細胞は、いつも生き残ることを考えてる。
そこでその手段として、2つの方法があることを見つけてそう。
1つ目は、他より自分が強くなること。
戦って勝っていくことで、他を潰していくパターン。確かに、全員より強いことを示せば、生き残れる!
2つ目は他の人(細胞)より、必要とされるものになること。
周りから大切にされるから、困っても助けてもらえて生き残れる。
それでこの2つの方法を出した上で、彼は
あなたの正義感は、確かにあなたが意図したところじゃないけど、
それって人間の本質だから仕方ないんだよ、と言っていた。
自分が納得したのかは、ちょっとよくわからないけど、なんだか少しそうなのか。まあいっか。
と思えた。
