昔からご覧下さっている方はご存知の通り、私は摂食障害でした。
食べられない方の拒食症です。23歳の時死にかけて、その頃体重は23キロになっていました。約10年、食べることが怖く、頭の中は食べ物と数字に支配されていました。

自分をコントロールできなくなって、止めることも、助けを求めることもできなくて。出口の見えないトンネルの中を行ったり来たりしている感覚。こんなにも苦しいのなら死んでしまいたいと思っていました。
でも、本当にその時が来たのを感じた時、助けを求めた自分がいたのです。

救急搬送された時、私は体重23キロ、血糖値20。血小板が足りなくて、次第に全身斑点だらけになりました。髪が抜け、歩けなくなりました。




あれから10年の時が過ぎ、そんな私が今料理の仕事をしています。
おかしな話しであり、不思議な話しです。でも、そうなることが必然的であったようにも感じるのです。

やりたいことを見つけたわけではありません。一人でできることを探したのでした。





今回、はじめて料理とは違う本を作らせていただきました。
病気になってからどのように過ごし、向き合ってきたか。葛藤し、乗り越えてきたか。
この本には、今の私を形成した道と、今をどう生きているかを記しています。






本日発売
[普通のおいしいをつくるひと]










構想6年、制作2年。
この本ができるまでもまた長い道のりだったように思います。
企画の坂本さん、ライターの晴山さん、カメラマンの佐山さん、主婦の友社編集長の町野さん。5人で長い時間をかけて作ってきました。

実はもう少し早い段階で原稿ができたのです。ですが''こうではない''と思い、もう一度企画から練り直しました。
これを''ただ病気だった''という悲しい本にはしたくないと思ったのです。

昔、私は母がこういう本を読むのが大嫌いで、ほんとにやめてくれと思っていました。
そこには直す為のHow toとか、ハッピーエンドしか待っていない結末とか、私にとって焦ることしか書いていないのだと思っていたからです。開きもせずに。

そんなことは言われなくてもわかってる。私だってバカじゃない。そんなことができるならこんな病気になってないわと、情けないような悲しい気持ちになって、そこから頑なに目を背けていました。

治す為の方法なんてそれぞれで、そこに答えなんかなくて、正解も不正解もありません。もがいてもがいている内に、たとえどんなに時間がかかったとしても一筋の光が見えてくる。それが見えたなら縋り付いてでも進む。私たちはものすごく弱い部分を持つ反面、そのくらいの強さも持っていると思うのです。
これは私という一個人の経験ですが、私たちはきっと似ていて、かたちは違えど同じ風に思い、考え、悩み、すすむ。苦悩と葛藤の中に何かを見いだすことができるはずです。


100点をとりたい。1番になりたい。
0か100、白か黒しかない私に
『グレーを見つけようね』
そう言ってくれた先生の思いが、今になってやっとわかるようになりました。

白よりのグレーでいい。黒よりのグレーでもいい。自分が好きな方でいい。思いっきり白くなったり、黒くなったりすることがあってもいい。融通のきかない自分と折り合いをつけながら、生きていけたらそれでいい。




理想の自分に苦しむことがあるならば、時には諦める選択肢を持つことが必要なのかもしれません。私は10年かかったけれど、もういいやって思えた時に何かが変わったのでした。

外に目を向けられた時、ひしひしと人の優しさを感じたこと。温かい気持ちにしてくれたこと。助けて欲しいのにそれを求められない自分と、助けたいのにどうしていいかわからない家族。
心の中は同じ方向を向いているのに交わらない気持ち。


今苦しい思いをしている誰かと、ご家族の方に届きますように。一人ではないと感じていただけますように。



これまで支えてくれた皆さんに
心からの感謝を込めて。