戦争と平和
8月は「戦争と平和」を考える季節。
毎年この時期になると必ず鑑賞し、何度見ても鳥肌が立つビデオがある。
「元陸軍少尉・小野田寛郎」
「捕虜になるくらいなら潔く死ね。」という出征時に送られた母の言葉と、
「たとえ最後の一人になっても、生き残って戦え。」という陸軍中野学校の教え。
この二つの矛盾を抱えながら終戦を知らずに、
フィリピン・ルバング島で30年間戦い続けた小野田さん。
平和な時代を生きる私たちにとって、彼の語る言葉は深く心の奥に突き刺さる。
私は戦場での30年、生きる意味を真剣に考えた。
戦前、人々は命を惜しむなと教えられ、死を覚悟して生きた。
戦後、日本人は何かを命懸けでやることを否定してしまった。
覚悟をしないで生きられる時代は良い時代である。
だが死を意識しないことで、日本人は生きることをおろそかにしてしまってはいないだろうか・・・。
2012年、戦争を知らない世代が8割を占めるという。
幼少期、苛酷な戦争を体験した人たちの言葉は
未来に伝えていかなければならない。
毎年この時期になると必ず鑑賞し、何度見ても鳥肌が立つビデオがある。
「元陸軍少尉・小野田寛郎」
「捕虜になるくらいなら潔く死ね。」という出征時に送られた母の言葉と、
「たとえ最後の一人になっても、生き残って戦え。」という陸軍中野学校の教え。
この二つの矛盾を抱えながら終戦を知らずに、
フィリピン・ルバング島で30年間戦い続けた小野田さん。
平和な時代を生きる私たちにとって、彼の語る言葉は深く心の奥に突き刺さる。
私は戦場での30年、生きる意味を真剣に考えた。
戦前、人々は命を惜しむなと教えられ、死を覚悟して生きた。
戦後、日本人は何かを命懸けでやることを否定してしまった。
覚悟をしないで生きられる時代は良い時代である。
だが死を意識しないことで、日本人は生きることをおろそかにしてしまってはいないだろうか・・・。
2012年、戦争を知らない世代が8割を占めるという。
幼少期、苛酷な戦争を体験した人たちの言葉は
未来に伝えていかなければならない。
思春期の子供たち、いまどきの親子関係とは・・・。
仕事で出入りしている幼稚園の先生とのお茶飲み話より。
数年前の中学校の部活参観の日、旧第二中学校の体育館の外に生徒のお父さん(私の学生時代からの友人)がポツンと一人。
「どうしたの?」と声を掛けると、「娘に『学校に来ないで。』と言われている。部活の様子を見に来たのに、顔を合わせられない。」と寂しそうに一言。
思春期の子供を持つ家庭の微妙な親子関係を垣間見た気がした。
子供がまだ幼稚園児や小学生だった頃、私たち親は、子供と一緒に遊んだり、学校の行事等にも積極的に親子で参加したりしていた。
当時、「いつも近くにいて守っていてくれる親」が子供にとって望ましい親だったに違いない。
しかし、やがて中・高校生になり、思春期に入ると、子供たちは心身ともに成長し、強く自立したがるもの。
(だからといって、彼らにはまだ本当に独り立ちするだけの力はなく、親に甘えたい気持ちも少なからずあるはず。)
この難しい時期に良い親子関係を保つ秘訣、それは今の彼らの心に〝共感〟することだと思う。
自分たちもそうだったんだ・・・、と。
子供の成長を信じられず、いつまで経っても守り続けて甘やかしてしまう親、子離れ出来ない親は、ちょっと大変かも・・・。
総じて、「時には甘えさせる、でも、甘やかさない」、そして「多少の距離を置いて、子供の成長を見守る親」がこの時期の子供にとって望ましい親の姿なのだろう。
もちろん、思春期になっても親の役割は小さくなるわけではないし、時には”お節介”も大切。
何事も〝バランス〟が大事。
親(特に母親)にとって、子供はいつまで経っても「赤ちゃん」。
・・・でもね、子供って、親が思っているほど、いつまでも子供ではありませんよ。
変えられない大人たち
春が近づくと必ず出てくるこの手の新聞記事。
http://digital.asahi.com/articles/TKY201201140378.html
http://digital.asahi.com/articles/TKY201202180371.html
PTAだって青少推だって、いつまでも「子供たちの成長のために」なんて大義名分に縛られてばかりいるから、肩の凝る、型にハマった、堅苦しい活動しか出来ない。
「子供を育てる」とは「自分たち大人も育てられている」こと。
いっそのこと「自分たち大人のため」というくらいの大胆な発想で考えていけば、もっと楽しいアイデアが思いつくはず。
そして、時にはその中に子供たちを巻き込んだり、我々が学んだことを子供たちにフィードバックしていけばいい。
もしそれがダメだったとしても、その時はその時で考えればいい、ただそれだけのこと。
「失敗を恐れずにチャレンジしなさい。」って、大人は子供によく諭すじゃありませんか。
失敗を恐れて、既存の慣習を変えようとする空気さえ作れないのは、むしろ大人たちの方。
ボランティアなんだから、基本「なんでもあり」で良いんじゃありませんか?
半強制的に参加を要請されて行われる上部団体の講演会・あまり意味があるとは思えない研修会や、予算を使うだけの前例踏襲的な活動は、いい加減にもうやめましょうよ!
http://digital.asahi.com/articles/TKY201201140378.html
http://digital.asahi.com/articles/TKY201202180371.html
PTAだって青少推だって、いつまでも「子供たちの成長のために」なんて大義名分に縛られてばかりいるから、肩の凝る、型にハマった、堅苦しい活動しか出来ない。
「子供を育てる」とは「自分たち大人も育てられている」こと。
いっそのこと「自分たち大人のため」というくらいの大胆な発想で考えていけば、もっと楽しいアイデアが思いつくはず。
そして、時にはその中に子供たちを巻き込んだり、我々が学んだことを子供たちにフィードバックしていけばいい。
もしそれがダメだったとしても、その時はその時で考えればいい、ただそれだけのこと。
「失敗を恐れずにチャレンジしなさい。」って、大人は子供によく諭すじゃありませんか。
失敗を恐れて、既存の慣習を変えようとする空気さえ作れないのは、むしろ大人たちの方。
ボランティアなんだから、基本「なんでもあり」で良いんじゃありませんか?
半強制的に参加を要請されて行われる上部団体の講演会・あまり意味があるとは思えない研修会や、予算を使うだけの前例踏襲的な活動は、いい加減にもうやめましょうよ!
