古代文明(ミノア・キプロス・インダス)の日本語(問題点)
最近の5年間で筆者は、青銅器時代のミノア文明(ギリシャのクレタ島など)の遺跡から発見された未解読文字(線文字A、クレタ聖刻文字)に加え、キプロスの古代文字(キュプロ・ミノア文字、キプロス音節文字)に関し、欧米の研究者の究明した音価、またローマ字に変換した原典を参考に、それぞれの背景言語を日本語と推定し、日本語として解読していく作業に勤しみ、大きな成功を収めている。特にキプロスの古代文字には、二か国語の原典や付随する漫画から、古代の日本語が記されている明白な証拠を得た次第である。
またインダス文字については、記号の意味や音価が不明なところから始める必要があったが、線文字Aやクレタ聖刻文字の音価を手掛かりに、日本語として解読する作業に勤しみ、説得的な結果を得ている。そして今ではイースター(ラパヌイ)島のロンゴロンゴ文字がインダス文字に酷似する事を手掛かりに、日本語として解読する作業に着手している。
しかし時空的に広く散らばる文字体系が、全て日本語として解読可能なのは、まるで手品の様であり、先ず信憑性が問題とされよう。それぞれの背景言語につき、線文字Aの場合、ミノア語。キプロス音節文字は、キプロス祖語。インダス文字は、インダス語とすれば、最終的な目標は「ミノア語もキプロス祖語も、またインダス語も、全て古代の日本語である」と示す事だが、これは明らかに大きな挑戦である。
一つの大きな問題は、古代文字と背景言語に関するバイアスだろう。つまり古代文字の背景言語は、原典の出土する国か近隣地域の言語であり、その古い形態だろうとの予断が働く事である。
例えばエジプトの聖刻文字の場合、同国で発見された2か国語原典「ロゼッタ・ストーン」が解読の鍵となったが、エジプト国内のコプト語と関係が深い由。また楔型文字の場合、イランで発見された「ベヒストゥンの碑文」(楔型文字による3か国語原典)が解読の鍵となったが、古代ペルシャ語の原典が先ず解読され、続いてエラム語及びアッカド語の原典が解読された。何れもイラン及び近隣地域の言葉である。更に線文字Bの場合、原典はクレタ島やピュロスとギリシャ領内で発見され、背景言語は、古代のギリシャ語と判明している。
従って類推的に、線文字Aの場合、クレタ島等、ギリシャ領内で発見されるので、背景言語は、ギリシャや近隣諸国の言語。キプロスの古代文字の場合、同様の理由から、キプロス等、地中海東部か沿岸地域の言語。インダス文字の場合、原典がパキスタンやインドで発見されるので、背景言語は、パキスタンやインドの諸言語の一つ、とのバイアスが働くだろう。
例えば1979年に、線文字Bの解読者の一人、J.チャドウィックは、キプロスの古代文字と日本語の文字には、類似性がある旨指摘したが、地理的な隔たりが大き過ぎるため両者は無関係、と整理した由である。(出典:G.オウェンズ)
これは過去の成功例に鑑み、古代文字に関しては、今日の国境線の枠内や近隣地域で背景言語を探すべしとする「常識論」であり、これに反する主張には、当初より反対論が働きがちとなる。これは大野晋が、日本語のルーツにタミル語を推挙した際にも作用した可能性があろう。
従って未解読文字の解明を目指す研究者は、原典の発見された国や周辺国の古代の言語を勉強する必要があるが、遠隔地の言語を習う必要はない、との結論に傾くだろう。そして自分の研究対象の未解読文字が、知らない言語と関係が深い、との主張には反発しがちとなる。その様な主張が通った場合には、最先端で研究する資格を失うのである。よって当然の事ながら、日本語を背景言語とする古代文字は、日本人が解明せざるを得ない。
因みにヒッタイト以前に、アナトリアにいたフリ人は、ヤジリカヤ、ミタンニ等、日本語に聞こえる地名等を多数、残しているが、フリ語は、日本語とは別の言語とされている。然るに日本の研究者は、仮に古代オリエントで日本語に聞こえる言語に遭遇しても、単なる偶然と見過ごしてきたのかも知れない。しかし日本語民族の付した地名が、そのまま遺り、あるいは逆に、古い地名が日本語に入ってきた可能性は排除されない。
最終的には、日本人の古代のルーツを探る際、「こうあって欲しい」との心理学が「親は選べないけれど、先祖は選べる」との乗りで働く可能性があろう。この様な心理学は、未解読文字の使用された地域、すなわちギリシャ、キプロスなど地中海東部や、パキスタン・インドでも働くだろうから、「地理的に遠いが、日本語である」と主張し、沢山の根拠を示しても、すぐに受け入れられるとは限らない。しかし有名な古代文明で使われた文字が、日本語と解明されれば、有利に働く事が多いのは明白であり、忍耐強く研究を続け、うまく発表していく必要があろう。
以上を踏まえ、「日本語説」を展開する上で重要な点は、下記の通りである。
I. 日本語の安定性
最も不思議な点の一つは、現代の日本語、あるいは高校の古典の授業で教わる様な、奈良時代まで遡る古文の知識だけで、ミノア語、キプロス祖語、インダス語の何れも解読出来る事だが、この点については次の通り。
1.村山七郎は「日本語の起源」(1973年)の中で、日本列島には優れた民族集団の侵入がなかったため、日本語の変化速度は緩やかで、時代を遡るほど緩やか。現代の日本語と8世紀(奈良時代)の日本語との間に大局的に断絶はなく、2000-2500年位前(縄文晩期-弥生時代)の日本語も推定可能である旨語っている。
2.然るに古代の日本語と現代の日本語を比べた場合、語順や文法に大きな変化なく、主たる変化が発音や語彙だとすれば、各記号の音価が概ね再現可能で、かつ文脈が大体、把握できる場合、日本語として復元する上で大きな障害はない。
(1)発音の違いがある場合、古代文字の記号を一貫して現代風な音価で読み込むエラーがあり得るし、その結果、多数の同音異義語の中から、言葉の選択肢を誤る可能性はあろう。しかし文脈を正確に把握している限り、奈良時代の発音を参考にしつつ、何回も見直せば、個々の単語の正確な意味が把握できる。
(2)語彙の違いに直面した場合、文脈を正確に把握している限り、古典ギリシャ語など、クレタ島やキプロスに隣接する地域の古い言葉、あるいは古語辞典等を参考にしつつ、何回も見直し作業を経て、正確な意味に辿り着くだろう。
II. 共通項
1.音節文字
日本語として解読出来る文字体系は、クレタ島、キプロス、インダス河流域と、地理的、時代的にまちまちだが、共通点は、何れも基本的に表音記号で、(子音+母音)の開音節を単位とする音節文字である事。
2.合成記号
インダス文字や線文字Aでは、平仮名の50音をはるかに超える数の文字が認知されているが、その背景には、多くの合成記号が、複数の記号を混合させる形で「折衷案」として発明され、使用された事が指摘される。
線文字Aでは、2つの音節を表す記号が頻繁に登場し、インダス文字では、2~4の音節を表す記号が認められる。キプロス音節文字でも、実際に解読していくと、2つの記号を混合させた記号が散見され、同様である。
3.逆さ読みが成立する事
(1)インダス文字、線文字A、またキプロスの古代文字では、左右、双方向から読める文を作るのが、習慣かつ遊びであり、古代の日本語民族の伝統文化と推定される。下記の例もあり、日本でも内輪の遊びとされた事は明白。
但しその後、漢字の使用により難しくなり、更に猥雑で下品、かつ教育上良くないとの配慮から廃れ、場合により抑制・隠蔽されたのだろう。しかし平仮名だけで文を書けば十分可能であり、現代でも流行る、学生の猥歌等が想起される。
(ア)古事記
ヤマタノオロチを倒したスサノオが、救ったクシナダヒメと結婚する事になり、詠んだ歌。
八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を
やくもたつ いずもやえがき つまこみに やえがきつくる そのやえがきを
(逆さ読み)置き換え/お着替え 矢の反る靴 着替え 夜に御子待つ 気概や/木変えや 百舌鳥の言った文句や/ 行った(はやにえの)クモや
逆さ読みは「スサノオは、ヤマタノオロチ退治に臨み、クシナダヒメを櫛にして髪に刺していたが、婚姻で自分がクシにやられてしまった」との意味だろう。クシナダヒメの「クシ」と百舌鳥の「はやにえ」の「串刺し」が隠れた掛け詞。なお、クモは八本足なので八雲と共鳴し、はやにえで串刺しなら、ヤマタノオロチを想起させよう。
(イ)いろは歌
冒頭の「い」を末尾に移動し、逆さ読みすれば次の通り。
(い)すせもひゑ しみめゆきさあ てえこふけ まやくおのゐう むらなねつ それたよかわ をるぬりち とへほにはろ(い)
椅子背も冷え 沁み目雪 さあて 行こう 研磨/桂馬役! 斧要る/小野居る村 だねっ? それだよ/それたよ 川を折る/厠に居るなり ちと、ヘボ/屁を。庭、広い/匂うわ。
ここから「色は匂えど 散りぬるを 我が世……」で始まる「いろは歌」に繋げば、パロディー版が成立する。因みに「雪隠」と言えばトイレなので「沁み目雪」も布石か。
「小野」を小野小町とすれば「いろは歌」は、百人一首の彼女の歌「花の色は移りにけりな いたづらに 我が身世にふる ながめせし間に」(古今集)を展開した如き内容。仮に「いろは歌」が、小野小町の作品とすれば、逆さ読みの中に自分の名前を入れた形だ。その場合「ふけまやくおの」は「老け魔役の小野」との自虐的な表現か。小野小町ゆかりの地は、東北地方を中心に全国に複数ある由。
(2)逆さ読みは、柔軟な読み方を可能とする[・]に代入する「癒しの」ルールもあり、二音節の単語、同音異義語やオノマトペに満ちた日本語ならば、さほど困難でないかも知れないが、他言語の場合、簡単に実現するとは思えず、原典が双方向から読める事自体、日本語性を示す有力な証拠と言えよう。
(3)双方向から読む場合、先ず右から左へ読み、次いで左から右へと読む原典が多い。
(4)インダス文字では、双方向から読んで意味が通る様にするため、読み方に柔軟性があり、同じ記号につき「き」/「こ」、「め」/「ま」等、複数の読み方が可能である。これが現代に至り、同じ漢字に複数の読み方が生じるとの、日本語特有の「いい加減さ」の原因だろう。
4.漫画
クレタ島、キプロス、インダス河流域の何れの場合も、原典を日本語として解読した内容につき、文脈を確認する上で、最も有力な手掛かりは、付随する漫画やオブジェの形状であり、要するに文字以外の視覚的エビデンスである。線文字A、クレタ聖刻文字、キプロスの古代文字、インダス文字、何れの場合もこの様なエビデンスが、多数の原典で見つかっているが、漫画を多用する事自体、日本文化を示唆していよう。
5.母音と子音
(1)母音
欧米の研究者によれば、線文字A・キプロス音節文字の母音は、双方共に、A、E、I、O、U。
(2)子音
(ア)クレタ島とキプロス
(線文字A) D、J、K、M、N、P、Q、R、S、T、W、Z
(キプロス音節文字) J、K、L、M、N、P、R、S、T、W、X、Z
LとRに関し、線文字Aでは識別せず、キプロス音節文字では、ギリシャ語を表記する為か、識別する。またキプロス音節文字では、T音の記号が、D音を兼ねる。因みに線文字AにはJEがあるが、古い日本語には、YEが存在したと推定されている。
(イ)日本語
現代の日本語では、50音表に従えば、子音は次の通り。
H、K、M、N、R、S、T、W、Y
このうち、H音は奈良時代、F/P音の様に発音された由なので、当時に遡り、差し替える。また、YをJと表記すれば、次の通り。
J、K、M、N、F/P、R、S、T、W
これなら、紀元前3世紀、ヘレニズム時代まで使用されたキプロス音節文字から(ギリシャ語表記の為と推定される)L、X、Zの音を省いたものと一致する。
(参考)インダス文字
インダス文字では、日本語を前提に作業したので、母音は、A、E、I、O、Uに設定し、子音は、線文字Aなどを参考に、また日本語を念頭に、次の通りとしている。
B、D、J(Y)、H、K、M、N、P、R、S、T、W、Z
線文字Aとの違いは、B音、H音が加わり、Q音が欠落する事。しかし今後、線文字Aで、B音の記号が確認される可能性あり。またインダス文字のH音は、線文字Aの場合、Q音に相当するか、あるいは母音の5つの記号が、H音を兼ねていた可能性があろう。
(3)「ん」の欠落
線文字Aやキプロス音節文字など地中海東部の古代文字、インダス文字、何れの場合も「ん」を表す記号がないので、解読に際し、適宜補っていく必要がある。
6.「癒しの」ルール
クレタ島とキプロスの古代文字については、言葉の区切りと見られがちな「・」が、「い」、「や」、「し」、「の」何れかの省略形である場合が多く、読み手が適宜、補いながら読む点が共通する。
このルールをインダス文字に応用し、縦の一本棒「1」に、「い」、「や」、「し」、何れかの音価を付与すると、日本語解読が円滑になるので「癒しの」ルールは、最も古い、インダス文字の速記法に由来しよう。
III.古代人のディアスポラ
1.出アフリカと「Zランド」
現生人類は、30万年前にアフリカ大陸の大地溝帯で発生し、そこからユーラシア大陸へと拡散した由である。その際、アフリカ大陸をエジプトまで北上し、シナイ半島経由でレバント地方へ移動。あるいは「アフリカの角」の付近から紅海を渡り、アラビア半島へと移動した。そしてアナトリア(トルコ)、地中海東部、メソポタミア(イラク)、ペルシャ(イラン)などへと拡散した。
日本語の祖語の誕生地は不明であるが、これを便宜的に「Zランド」とすれば、日本語民族の祖先はアフリカで発祥し、Zランドで日本語の祖語を話す様になった。そしてZランドから日本列島に至る長い道のりの途中、様々な地域に滞在し、都市文明を築いた。その形跡が、インダス河流域、また地中海東部のクレタ島やキプロスから、日本語を記す文字の形で発見されているのである。
インダス河流域、クレタ島、キプロスを日本語民族の3大拠点とすれば、この3つの拠点から出発した日本語グループがそれぞれ渡来した可能性がある。渡来した時代にずれが生じ、2波か3波に分かれたに違いない。そこで縄文・弥生の時代転換や古墳時代の幕開けに関し、この様な波と対応させて考えれば、古代史が更に解明されるだろう。
(注)インド・ヨーロッパ語族の祖語の場合、誕生の地(Zランド)は、黒海とカスピ海に挟まれた地域の北部と推測されている。
2.高い移動能力
紀元前2000年頃、インド・ヨーロッパ語族のアーリア人は原住地の黒海北方から移動・拡散を開始し、このうち東方に向かった一部が前1500年頃、インダス河流域まで到達した由。
中国と西域を結ぶ楼蘭で発見された女性のミイラ「楼蘭の美女」は、炭素14による年代測定の結果、紀元前1800年前後の古代人と推定されており、当時から東西を結ぶルートが存在した可能性があろう。なお「シルクロード」は、漢の武帝が、張騫を大月氏に送った紀元前130年頃に成立し、紀元1世紀には、ローマから中国に至る東西交易が盛んだった由。
時代は下るが、マルコ・ポーロが、ヴェネチアから大都(元の都。今の北京)まで4年(1271年~1275年)、帰路にやはり4年(1291年~1295年)かけて旅している。
3. 日本語民族の離散と糾合
クレタ島、キプロス、インダス河流域、それぞれの地の古代遺跡から発見される未解読文字につき、何れも日本語として解読可能と判明したので、日本語民族は、日本語の成立した「Zランド」から、時代と共に分散し、いくつかの地域に分かれて文明を発達させた。そして中長期的に、日本列島に五月雨式に到達し、再会・糾合したものと推定される。それぞれのグループが、次々と日本列島を目指した背景には、先達の日本語グループが到達し、他民族の支配や干渉を受けず、安住している、との噂があったのだろう。
4. 漢語= 中国語等、近隣の言語と共有する単語
(1)特にキプロスの古代文字に関し、日本語に解読可能な原典に「漢語」が頻繁に登場するが、外国語由来として排除せず、むしろ古代の日本語で活用していた理由を探るべきだろう。
例えば青銅のボウル(KO Zf2。ハニア博物館)には「アラコク」と書かれており「アラシヤ国」と解釈出来るが、紀元前2000年頃、キプロスに近い地中海沿岸の都市ウガリットの言葉で「国」は、ローマ字表記なら ktの文字列で、kothと発音された。(出典:ChatGPT)アラシヤでは「こく」だったと推定される。
線文字Bの解読に貢献したチャドウィックによれば、線文字Bの古代ギリシャ語では、奴隷をDO-E-RO(男性形)、DO-E-RA(女性形)と呼んだ由。これが日本語の「奴隷」に繋がったのだろう。因みに中国語 (ピンイン)で奴隷は、NULI。
(2)古代の日本語の成立したZランドを中国大陸、あるいはその周辺に設定すれば、日本語に沢山の「漢語」が混じる事につき、次の明快な説明が成立する。
「日本語民族の先祖がZランドで居住していた時代、隣接地域に中国語民族が居住していた。そして交流・交易や婚姻を通じ、言葉の貸し借りが行われ、多数の中国語の単語が日本語に取り込まれ、また逆に、多数の日本語の単語が中国語に取り込まれた。
かくて日本語と中国語は、多くの単語を共有し、また相互に類似する単語を持つ様になったが、日本人は、日本語が中国語に取り込まれたケースを含め、全て中国語から取り入れた『漢語』と錯覚するのだろう」
(ア)2021年11月、ドイツのマックス・プランク人類史科学研究所を中心とする中国、日本、韓国、ロシア、NZ、米国を含む国際チームが、言語学、考古学、遺伝学の3分野から検証した結果、日本語を含むトランスユーラシア言語(アルタイ語族)のルーツは、中国東北地方の遼河の上流地域で、内モンゴル自治区に住む、キビ・アワ栽培の農耕民だったとする論文をネイチャーに発表した。これは、まさにZランドの候補地だろう。
(イ)「四川省」の語源は、同地域の4つの川(Sìchuān)とされ、日本語なら「四泉」。古代から、この地域ではこの4つの川が最大のassetやresourceであり、中国語で「資産」を意味する、Zichanの語を産んだ可能性がある。
然るにインダスの印章には、短い縦棒4本が3列に整然と並ぶ記号があり、「しさん」と読み「資産」と解釈される。インダスの印章は、日本語として解読可能であり「資産」も古い日本語。語源として「四川」が浮上する。
更に想像力を働かせれば、長江文明の三星堆遺跡(四川省)から、両目の突き出た青銅の面が出土するが、「めでたい」のルーツと推測する事もできよう。(クレタ聖刻文字で「めでたい」を表現する際、目の出たネコ等を登場させるのと同じ手法である)ついては四川省も、Zランドの候補地か。
(ウ)12支の漢字に関し、最古の記録は、殷朝時代の甲骨文字(紀元前1400-前1050年頃)であり、卜占の結果を記録する際、日付の記録に10干12支が使われた。然るに12支の漢字のルーツは、基本的に日本語と見られるので、日本語を使うシャーマンがいた可能性があろう。仮に殷墟がZランドでなくても、魏志倭人伝によれば、倭国では亀の甲羅で卜占が行われた由であり、殷朝の頃から、日本語民族と中国語民族との間に交流があったと推測される。
(3)日本語とヘブライ語の間にも(「はっけよい」等)多数の共通語が見られる事も、同様に説明可能である。つまり地中海東部の青銅器文明が、同時に崩壊する紀元前1200年頃、元々「海の民」の一部だった日本語民族が「ペリシテ人」として、レバント地方に居住する様になり、ユダヤ人の隣人となった。そして相互の交流や交易を通じ、多数の言葉の貸し借りが生まれ、日本語とヘブライ語の間で、多数の単語を共有する様になったのだろう。
IV.ギリシャ・クレタ島の古代文字
20世紀初頭、A.エヴァンズ(英)がクノッソス宮殿を発掘。線文字Aや線文字B、クレタ聖刻文字を発見。このうち線文字B (紀元前1450-前1200年)については、1950年代に、A.コーバー(米)、M.ヴェントリス(英)、J.チャドウィック(英)などが研究し、背景言語が古代ギリシャ語と判明している。
(注)J.チャドウィックは、ケンブリッジ大学の研究者で、第2次大戦中、アレキサンドリアで暗号解読者としてイタリアの暗号を破り、その後、日本語の暗号解読に取り組んだ経歴がある。
1. 線文字A (前1700-前1450年)
線文字Aは、表音(音節)文字+表意文字+合成文字で構成され、合計400種類近く。多くの原典が、ローマ字に転換されており、素直に読めば日本語に聞こえる。そこで筆者は、古代の日本語と見込み、(粘土板の帳簿を別とすれば)献油/酒用の定型碑文6件を含む、計15件の原典を日本語として解読・解釈した。
(1)線文字Aは、在アテネ・フランス考古学院により、通称GORILAの名前で原典が整理分類され、通し番号が付されている。米国キャンザス大学のJ.ヤンガーが、原典をローマ字変換し、ネットに公開しており、これが国際的に流通している。
線文字Aは、線文字Bとの共通記号(80種類)との間で音価が共通とされ、その意味で音価が判明しているが、懐疑論があるとすれば、特に欧米の研究者が、この方法で解読を長年試みても、説得的な結果が得られないからだろう。彼らの想定する言語は、地中海東部からペルシャに至る「古代オリエント」の諸言語であり、音価の前提が間違っているか、或いは、想定されない言語(特に非印欧語系)が背景にあるのでは、と取り沙汰されている。因みに日本語を想定する研究者は、今のところ米国のG.レオナートのみである。
線文字Bとの共通記号は、単音節を表し、ルーツ/字源がユリ、カメ、耳など、簡単な日本語から推測可能で、読みやすい。他方、複数の音節を表す合成記号が、便宜的に使われており、見慣れぬ記号が頻出する。この場合、単純な記号を合体させ、あるいは支線を加えて「い」/「や」/「し」/「の」の音価を加えているので、分析が必要。
(2)原典の中で特に注目されるのは、形状やデザイン、漫画からヒントが得られる事例である。例えば、素材の形が注目されるものとして、ユクタス山出土の石器(IO Za2)には、四方の角に上から穴が開けられており、「たなりてうちぬ」との記述から、太鼓と推測される。マヴロ・スペリオ出土の銀のピンは、記述から、髪留めのピン、又は、琵琶を弾く爪。アギオス・ニコラオス博物館所蔵の金の針は、同様に、カニの身を掻き出す道具あるいは耳かき。ザクロスの大甕は、牛の乳房に見立てられており、幼くて父からミルクを飲ませて貰い、その父が老いると、今度はミルクを飲ませる話が登場する。
(3)線文字Aの日本語は、ギリシャ語の影響を強く受けた形跡があり、JA-SA-SA-RA-ME など、日本語に直しにくい単語も登場するので、ギリシャ語等、外来語の可能性を探る必要がある。古典ギリシャ語から類推すれば、JA-SA-THA-RA-MEで「(荒海の)癒しの女神」だろう。
JA-SA-SA-RA-MEを漫画と捉えれば、JAは舟であり、SA-SAの連なりは2本のマスト、あるいは豪雨。RA-MEは、舟の沈没する様子。A-SA-SA-RA-MEの場合、舟がないので、SA-SAは涙の落ちる両目で、女性の泣き顔を描いたと解釈できる。
(4)キプロスの古代文字(キュプロ・ミノア文字、キプロス音節文字)は、音価が基本的に判明しているが、下記に詳述する通り、日本語の記述に用いられた事が確認できている。つまりキプロス祖語は、古代の日本語である。然るに、これらキプロスの古代文字は、線文字Aから派生するので、線文字Aでも古代日本語を記録したものと推測される。
2. ファイストスの円盤
1908年にファイストス宮殿の敷地内で、イタリアの研究者L.ペルニエの発見した、焼成粘土の円盤(直径、約16センチ)。
ファイストスの円盤は、固有の絵文字で刻印されており、その音価につき、G. オウェンズの体系を活用して読むと、I-QUE-KU-RYA、AU-NI-TI-NO等が頻出する。日本語として解読した結果、ギリシャ神話の英雄テーセウスによる「ミノタウロス退治伝説」の二次創作で、父王エーゲウスの幽霊物語と判明した。(絵文字を逆方向にも読み、双方の解読内容を繋いだ)
最後の場面で、海の洞窟で亡き父王と出会ったテーセウスが、外に出たら目の前に北斗七星が現れ、父王の姿と信じて絶句するが、時計回りに読むと末尾に来る、B面の中心の「DI-TI」は、海面近くに現れた北斗七星の漫画である。
他方、絵文字の音価につき、オウェンズは根拠を明確にしておらず、一部は日本語から推測可能だが、全ての絵文字につき根拠を示すのは容易でない。
3. クレタ聖刻文字(特殊な絵文字)
クレタ聖刻文字については、原典が(乳をもたらす)milk stones と呼ばれるお守りで、クレタ島で妊娠中の女性が身に着けていた、との言われから、解読の結果、良縁・安産・「七五三」など子供の健康への祈願が、大きなテーマと判明した事は、極めて有意義である。大きな目で「目出度い」を表す等、視覚に訴える特徴があり、この点も強調すべし。
マリアの石の台座には、上部に丸みを帯びた窪みがあるが、「ピンゾロ得たな」との記述があり、サイコロを振って出す器が示唆されている。
V.キプロスの古代文字
北キプロス問題のせいか、線文字Aと比べ、研究が遅れている印象であり、例えばJ.ヤンガーが、線文字Aで作った様な、多数の原典をローマ字変換した、ネット上のデータベースは存在しない模様。
し かし原典をローマ字変換して分析した事例は多く、例えばキプロス音節文字につき、M.ペルナ(在アテネ・フランス考古学学院)の記した、La grande inscription d’Amathonte (ICS 194+195) 。筆者は、この論文の中で取り上げられた原典ICS194にて、A-SO-NA-(?)-TU-KA-I-MI-NO-NAの文字列を見て日本語を感じ、日本語として解読する作業を始め、大きな成功を収めている。
キプロスの古代文字は、他の古代文字と比べ、日本語として解読し、検証する上で、特に有効で便利な点があり、次のとおり。
(注)北キプロス問題
現地調査などの際、キプロスに特異な要注意点は、1983年に「北キプロス」が独立を宣言したため、国が分断されている事。その後のEU加盟(2004年)や関係改善を経て、キプロス政府は、北部への観光客等の入域を認めているが、日本を含む多くの国が「北キプロス」を承認していないため、現地を訪問する邦人の保護等に問題があり得る事だろう。
1.二か国語原典
日本語として解読可能な古代文字の内、二か国語の原典があるのは、キプロス音節文字だけであり、この原典のキプロス音節文字を日本語として解読すると、併記されたギリシャ語の内容と符合する。
2.原典が長い
キプロスの古代文字の原典は、ファイストスの円盤を除き、線文字Aなどクレタ島の古代文字の原典よりも長く、文字数が多いので、一度、文脈が理解できれば、日本語への解読作業がはかどるし、後からエラー点検もしやすい。(難点は、文字の規格化・定型化が不徹底であり、書き手により個性的である事。また記号が判別しにくく、音価を当てはめるのが困難な場合が多い事)
3.漫画等の補完材料が豊富
キュプロ・ミノア文字、キプロス音節文字、何れも日本語として解読出来る上、多くの場合、漫画等の補完材料で文脈が確認できる。
(1)キュプロ・ミノア文字
例えば、エンコミで発見された円筒型の印章(19.10番)には、アラシヤ滞在記が刻まれており、アラシヤは、多様な樹木の繁茂する、湯治のメッカであり、夜はビンゴ・ゲーム等も楽しめる、としている。然るにこの印章は、円筒の形が、輪切りにした木の株に似ており、またビンゴ・ゲームの道具で、様々な記号の玉をかき混ぜるカゴを思わせる物であり、解読した内容とマッチする。
(2)キプロス音節文字
(ア)キプロス音節文字は、地中海の古代文字の中では、一番最近、ヘレニズム時代に入る紀元前4世紀後半まで、日本語(キプロス祖語)を記録している。このため日本語性を示す、最も説得的な材料が得られる。
(イ)NYのメトロポリタン美術館の所蔵する、片側に庇の突き出た、石灰岩のオブジェ。(Met Art Cypriot Syllabaryで画像検索すると、登場する)。ここに刻まれた「縦、落とせ」との文字列に従い、オブジェを90度、反時計回りに回転させると、文脈と関係の深い、人の顔の漫画が2つ現れる。従って、仮に説得に応じようとしない相手がいたとしても、十分、客観性があり、確認可能である。
(ウ)母音は、A、E、I、O、U、であり、子音も後述の通り、基本的に平仮名と一致する。
VI.インダス文字
インダス文明の最盛期は、紀元前2600-前1900年とされ、インダス文字は、線文字Aより時代が遡る。日本語最古の文字だろう。記号が無数にあるが、意味や音価が不明とされ、地中海の古代文字と比べて研究が遅れていると言わざるを得ない。
1.ドラヴィダ系の言語
A.パルポラ等、著名な研究者が、コンピュータ解析を用いて、インダス文字の背景言語を、南インドを中心に分布する、ドラヴィダ系言語と推論している。
大野晋は、ドラヴィダ系のタミル語を研究し、文法(膠着語、SOVの語順など)や語彙が日本語に酷似するとして、日本語のルーツに関し「クレオール・タミル語」説を唱えた。更にドラヴィダ系言語には、敬語があり、これも日本語との共通点と見られる。例えばタミル語で「antar」は、英語の「sir」や「madam」の丁寧な言い方である由。
インダス文明では、日本語の祖語を話し、これは南インドの言語にも影響を及ぼした。従って日本語とタミル語に多くの共通点があるのは理解しやすい。大野晋は、九州の弥生時代の遺跡から発見される甕棺が、南インドで発見される古代の甕棺と酷似する旨指摘している。然るにインダス河流域にいた日本語民族の一部が気候変動等に直面し、南下したとすれば、甕棺は南インド経由で言語と共に伝わった物で、彼らの日本列島渡来を示唆するだろう。
2.漫画
インダス文字は、線文字Aや漢字をヒントに音声を推定すれば、日本語として解読可能である。しかし記号の意味や音価が不明とされているので、説得的な議論展開には工夫を要するだろう。そこで、インダスの印章に多く登場する漫画は、視覚的に訴える貴重な説得材料と考えられる。
特に「ウラ」、「シタ」等、印章を上下逆にして見る事を勧める場合があり、これに素直に従うと、文字列の記述と関係の深い漫画が登場するので、少なくとも「ウラ」、「シタ」等の言葉の日本語性を示す事が出来る。
例えば、A.パルポラ「Corpus of Indus Seals and Inscriptions:1.Collections in India」の表紙の印章。目のぼんやりした一角獣が登場する。文字列を解読すると「飲まされ、彷徨いつつ。目つきのラリっとする氏。後ろに目が行ってしまった、傲慢そうな方、覚めて下さい」と読め、印章を逆さにすると、一角獣が、目や口を大きく開いて嘔吐する姿に変わる。
印章の動物は、年齢層などを表し、一角獣なら独身者、牛なら勤労者、ゾウは高齢者、トラなら酔っ払い、との傾向がある。
3.句読点がない
線文字Aやキプロスの古代文字の場合、文字列の間に「・」の様な、句読点を兼ねた「い・や・し・の」の速記体があるが、インダス文字にはなく、これに替わるのが、改行と見られる。しかし基本的に言葉の区切りが不明確なので、同じ文字列が幾通りにも読めてしまう。従って数学の問題を解くかの様に、場合分けしつつ、全ての読み方の可能性を追求せざるを得ない。ついては漫画は、線文字Aやキプロスの古代文字と比べても、大変重要であり、それゆえ各印章に登場するのだろう。
4.縦棒は数字
インダスの印章には、マッチ棒状の縦棒が複数、平行に並ぶ記号が頻出する。この様な記号は、本数に応じ「いち」、「に」、「さん」等を基本に、次の通りに読み込む。
I(86):(線文字Aに登場する「・」や短い縦棒に準じて)
「い」/「や」(矢)/「し」(支/糸)。屈曲していれば「の」。
II(87):「に」/「ら」(羅列/螺旋)。
III(89):「さん」/「じ」(字)。
IIII(104):「し」/「よ」。
実は母国語の如何を問わず、誰が見ても、この様な縦棒を並べた記号は、数を表すものと理解できる。従って、その本数を表す音価を代入した場合に、意味の通じる言語が、インダス文字の背景言語だろう。かかる観点から日本語は有力候補であり、他の言語で、この論理が成立しない限り、唯一の候補である。
5.個性的な合成記号
把手のある印章には、印鑑、身分証明書、通行証等の説が唱えられている。然るに文字列は、個性的な合成記号だらけで、創造性と多様性に満ちており、一見、意味不明で、時間をかけないと解読不能な印章が多い。これは持ち主を盗難や偽物詐欺から守るべく、意図的に文字列を複雑にしたからであり、持ち主でないと、左右両方向から読めぬ様に工夫が施されている。おそらく現在の実印に似た役割があり、インダス文字の基本的な原理が理解できても、すらすら解読出来ないのは、この理由による。
6.縞の数を読み込む
多くのインダス記号の場合、1音節の基本形があり、例えば四角いフライパンの形や三角形の「な」/「ね」。ここから派生する合成記号として、縞を書き込んだ変形があり、その場合、縞の数を数え、基本形の音価と合わせて読むのが原則。例えば「な」/「ね」の記号に3本、横縞のある場合、「み」/「さ」を加えて「なみ」/「なさ」/「ね+み」/「ねさ」等と読み、2音節とする。
7.逆さ読みの成立した印章が、75点以上
インダスの印章の記述が日本語と仮定すれば、左右、双方向から読めるので、インダス文字の音価を確定させる際の重要な手掛かり、かつ条件となる。すなわち逆さ読みの成立する音価体系だけを選び、成立しない体系は廃棄すべし。
これまで一貫した音価体系で、双方向から読み、日本語として解読できた印章は75点以上。この事自体、音価体系の正しさを示す貴重なエビデンスとなろう。
8.サラスワティ河
モヘンジョ・ダロ出土の印章(インダス文明展・図録、351番)から、コート・ディジー(Kot Diji。インダス文明の形成時代の遺跡)、またスラタワチとの言葉が読み取れ、後者はリグ・ヴェーダに登場するサラスワァティ(Srasvati)河と推定される。然るに、記述を左右双方向に読めば、
「コート・ディジー観光だ。河を渡るのに、楽にしな……サラスワティ河を立ち見だ、良い景色!」となり、モヘンジョ・ダロから見て、コート・ディジーはインダス河の向こう側、との相対的な位置関係が描写されている。
9.「北のタコ」
インダスの印章から「北のタコ」神話が判明した。(文字列を読むと「北のタコ」。印章を逆さにするとタコが登場)もって古代日本の銅鏡の紋様、銅鐸の形やデザイン、また前方後円墳の形や装飾古墳の紋様が、説明可能となる。
装飾古墳の壁画には、赤、白、黒などで不思議な模様が描かれているが、モチーフは「北のタコ」。すなわち火星人の様な、双脚輪状文は「北のタコ」、円文(同心円)は「北のタコ」の足の吸盤、蕨手文は丸まった足先、連続三角文は、足に連続する吸盤の紋様だろう。
明治5年に発見された石棺を模写した「石棺正面図」では、両目の大きく赤い、海坊主の風情で石棺が登場するが「北のタコ」と推測される。
10.パキスタンとインド
潜在的な問題は、インダス文明の遺跡が、パキスタン、インドの二か国にまたがり、インダスの印章の原典等が、両国の博物館等に散在する事だろう。ハラッパ、モヘンジョ・ダロ等、インダス文明を代表する様な遺跡は、パキスタンにあるが、インドでも、ドラヴィーラ、ラキガリ等の重要な遺跡が発見されている。
従ってインダス文字の研究を集大成する上で、多くの煩雑さと労力が必要と見込まれる。しかしインターネットのお蔭で、日本にいながら、両国の遺跡から出土した印章の写真等に基づき、取敢えずの解読作業は可能である。