先輩は私の父に似ていた。

愛を与えながら、正しさを伝えて来る。

それは、神聖さに基づいている指導だが、私は、自分が思うように、自由に生きたかった。

その点、夫はわたしを自由にしてくれた。

今も、お金を稼いでも稼がなくても良いと言ってくれるし、コントロールしない。

だから、私は自由にのびのびやってきました。

たぶん、先輩を選べば、ずっと熊本にいなくちゃいけないし、仕事もしなくちゃいけないし、愛されるけど、自由がなかったかも知れない。

私と夫はお互い自由だ。

寂しさはあるが、コントロールされない自由にを満喫している。