いのちのうらがわ -歌う助産師の足跡-

いのちのうらがわ -歌う助産師の足跡-

ご訪問ありがとうございます!こちらは歌う助産師・溝野カナタのブログです。

総合病院の他科・産婦人科混合病棟で人工呼吸器から保育器まで縦に横に広く看ております。

病院を出ると、歌に司会にステージで生きる助産師シンガーです。

ご訪問ありがとうございますぶーぶー
歌う助産師の溝野カナタと申します。
救急総合病院の産科混合病棟で現役の助産師・看護師をしながらアーティスト活動を行なっています。



先日、職場の後輩ちゃんたちと

アートアクアリウム展に行ってきました。


後輩ちゃんたちと過ごす最後の年。


ー大切にしよう。



ミゾノカナタの始まり(ちびっ子期)


突然ですが

臨床経験10周年Anniversary

(おめでたいのかわかりませんが)


看護教員になる夢を目前として

これまでの溝野カナタを

少しずつ残していくことにしました。


はじまり、はじまり。




遡ること云10年。

長崎は佐世保(ハウステンボスとハンバーガー)に生を受け。

とにかく好奇心旺盛、

知らない人にも自ら名乗ってついて行く。

積極的に事件に巻き込まれに行っているとしか思えない、

お転婆ちびっ子でした。


将来の夢はセーラームーンだったのですが、

幼稚園入園時期。

気管支炎で1週間程入院したときに転機は訪れます。


「はーい、今日は紙芝居を読みまーす」


看護学生のお姉さんが

病室で紙芝居を読み聞かせてくれました。

しかし、わたしはこの頃から思考が歪んでいたので


(うーん、わたしのほうが上手に読めるなぁ)


と思い、途中からあまり話を聞いていませんでした。

本当にクソガキである。


(このお姉さんより上手に読めるよって伝えたいな、看護師さんになるか)


これが人生で一番最初に“看護師”という職業を意識した瞬間でした。夢も希望もない。



小学校に上がり。


弟はシル○ニアファミリーや

テレビゲームで遊ぶ。


姉(わたし)は虫を手で捕まえ

人の家の犬を勝手に散歩に連れて行っては、

崖をよじ登る遊びを考案し

ひとりで山に入っていき、

門限を破って閉め出される日々。


可愛い服が好きだったのは幼稚園まで。


この頃には

Tシャツにパンツスタイルがお気に入りの、

人の家の前の坂道でチャリを乗り回す

迷惑野郎でした。


一方将来の夢に関しては、

看護師さん、介護士さん、学校の先生への憧れを抱いていました。

確か「人の役に立つ仕事がしたい」といっちょ前に言っていたと思います。


お母さんからは

「看護師さんはどう?」

と強く勧められていました

(ちなみに母は看護師ではありません)。


今考えると、

“女性でもいざというとき資格があったほうが

生きていくのに苦労しないから”

という娘を思う気持ちから勧めていたようです。

代償はあるが納得ではある。




そして、小学校3年生の頃。


「これ、観てほしいんだけど」


お母さんから観せられたのは

出産に立ち会う助産師さんのドキュメンタリー番組の録画でした。


こちらも今思えば、

助産師という看護師+αの資格を取ってほしいという誘導だったのでしょう。


このとき、わたしはお産には興味をあまり示しませんでしたが

お産を介助していた助産師さんが

とてもお婆さん寄りの年齢だったので


(このお婆さんかっこいい!こんな仙人とか師匠とか○○マスターみたいな人間になりたい!)


というやっぱりちょっと歪んだ感想を抱きました。



小学校6年生のときには

総合的な学習(ゆとり世代と呼ばれる所以)

が導入され。


【自分探しの旅】という名目で

職場見学がありました。


同級生のお母さんがとても気を遣ってくださり、

個人的に慢性期病院の見学をさせていただきました

(当時は何も思わんかったが、今考えると本当にありがたいことやぞ、感謝しろ自分)。


しかし現実は不条理。

(んー、何か。興味ないな…なりたくないかも)

失礼極まりない感想を胸にひっそり抱き帰宅。


空気は読めるので、確かそれっぽくまとめて学校でレポート発表したと思います。





≫中学校編に続く。