苗代神社から最後は東員にあるえー

猪名部神社へ向かいます照れ


猪名部神社  【いなべじんじゃ】

創建年代は不詳。貞観元年(859年)に神階従五位下、同8年(867年)従四位を下賜。貞観15年(873年)9月9日、『三代実録』に、天皇に仕えていた掌侍、春澄朝臣洽子が旅費として官稲千五百束を賜って氏神猪名部神社に奉納したとあります。


以来神社の諸祭儀は何れも9日と定められました。


延喜5年(905年)、式内社に列されています。



鳥居
猪名部氏は、元々の現住豪族と攝津国(兵庫県)の猪名川周辺から大和(奈良県)を経て、移住してきた豪族との融合豪族といわれてるんだとかえー


第43代元明天皇の和銅6年(713年)勅命により、猪名部の族名が転じて「員弁」とされましたニヤリ


奈良の大仏「東大寺」は、第45代聖武天皇の天平17年(745年)8月から建立され、猪名部氏の猪名部百世が大工(棟梁)、飛騨の匠の益田縄手が少工(副棟梁)として完成プンプン
 

この世界最大の木工建築物は技術の粋を集めて建立され、その総指揮をとった猪名部氏が建築技術に優れ、宮中に仕えた名工として日本書紀にも登場し、実に著名であったことが判る。更に尚、世界最古の木造建築物「法隆寺」・「石山寺」・「興福寺」の建立にも携わった歴史があるんやってえー


又、古墳の出土品から「飛鳥寺」建立にも携わっていることも伺えますニヤリ
 

祭神伊香我色男命は、猪名部氏の祖神で、天孫瓊々杵尊の兄、饒速日命の六世の孫と記されているえー


当神社の創建時代は明らかでないが、延喜式内社(905年の延喜五年に、勅命により藤原時平が、当時の神社を延喜式神明帳に記載した神社)に列し、貞観元年(859年)第56代清和天皇の時代、神階従五位下に同八年従四位下をすでに授けられたんやってえー
 

同15年(873年)9月9日、天皇に仕えていた掌待、春澄朝臣高子が旅費として官稲千五百束を賜って氏神猪名部神社に奉納したことが三代実録に記され、よってそれ以来神社の諸祭儀は何れも九日と定められたプンプン


抑々この春澄朝臣高子は参議式部大輔(今の宮内庁長官)従二位善縄卿の長女ニヤリ

 

善縄卿は猪名部造で、員弁少領財麿の息、大目豊雄の子なんだとかえー
 

善縄は、京都に上がり春澄宿称、跡に朝臣を賜り、貞観12年2月7日(870年)、74歳で薨去されているショボーン


その一代の事歴の中で特筆すべきことは、文学博士となって清和、仁明、文徳の三朝に仕えて御進講に従事し、或は大学に諸生を訓育し、更に勅を奉じて内裏式及び「続日本後記」二十巻を著わされたことえー


今を去る千百余年の昔、この員弁の谷より出て、文学を似て身を立て、宮中に進講して勅撰の歴史を編纂し、その高名を広く日本の歴史に留められた偉業は郷土史上の一大異彩なんやってびっくり


その子孫の中、鎌倉時代員弁大領であった員弁家綱、その子員弁郡司進士三郎行綱があるが、特に行綱は東員町大木の御殿に居城し、源頼朝の騎射・巻狩の上意に従って、青少年の士気を鼓舞せんがため建久3年(1192年)追野原に於いて流鏑馬の神事を奉納し、以来“大社祭”としてその伝統と歴史を誇りつつ全国的に二ケ所しかない珍しい祭礼として報ぜられているんよえー

 

全国に於いて、最も古墳の多い神社として著名で、神社境内にある一大古墳は猪名部氏の墓で、散在した17の墳墓の内最大のもの(6世紀)ニヤリ


現在、高塚大神と記された陵頭の数々の石は、総て散在した墓の蓋石とかキョロキョロ


老松、古柏が鬱蒼として茂り、本殿、境内社、薬師如来、閻魔堂と共に氏子崇敬者を始め郷党の斉しく敬慕するところなんよニヤリ


之を要するに当神社は遠く猪名部氏の祖・伊香我色男命を主神とし、親から子、子から孫へと続く氏子、氏族、崇敬者の先祖を合せて奉祀する総社プンプン


特に、日本の歴史に明記される建築技術の神、学問、器用さを与える最も由緒尊い神社として、敬神壮年会、敬神婦人会、敬神青年会の活動も加えて、将来愈々脚光をあびて神徳益々光を放つんやね照れ



手水舎
金の龍ラブ
これは凄くご利益がありそう照れ


拝殿えー

拝殿より…
山門って感じキョロキョロ


本殿
紀全国的にも珍しく、前方後円墳の上に祀られる神明造の社殿プンプン


東大寺・法隆寺など世界文化遺産を生み出し、建築技術、器用さの神として崇拝されているんよ照れ


御祭神
猪名部氏の祖(建築木工の祖)
伊香我色男命
建速須佐男命
天照大御神



瑞穂神社の拝殿…

いや…

山門やね爆笑



瑞穂神社のえー

本殿照れ


続日本後記を編纂された「学問の神」春澄善縄郷(吉澄さん)を始め、天武天皇が到着された春日船着神社(坊の垣内)また、神明社(道正垣内)えー


山神(西條と西垣内)、そして日枝神社(山王垣内)照れ


これらの神々が周期の古墳の土を集め、明治41年合祀されたんやってびっくり


御祭神
春澄善縄郷(学問の神)
他十座(明治41年合祀)



舞殿
紀元2600年を祝し建てられたとかびっくり

員弁の谷に於いては、唯一の舞殿なんやって照れ


この舞殿横の大木・楠の木に毎年4月東南アジアより使者が来るとかびっくり

アオバズクが…照れ


子を産み育て、10月に南へ親子で帰っていくんだとかえー


大社祭を初め、森羅万象全て代々受け継がれる大社にふさわしい使者やね爆笑



狛犬
珠じゃなく…
子狛を踏みつけ爆笑


神楽殿
馬の祭事は全国で239ヶ所あり、その中でも「上げ馬」は発祥が大社で、のちに多度神社伝授され、今ではこの二ヶ所しかないんやってえー


神楽殿の内外には馬霊碑や大絵馬、神馬像などがあり、愛馬精神に満ちています照れ

御祭神
猪名部氏の祖
氏子祖霊
戦没者御霊



神馬
白い神馬が多い中…黒い神馬は珍しいかとえー


神馬の碑
馬の祭事は全国で239ヶ所あり、その中でも「上げ馬」は猪名部神社が発祥で、のちに多度大社に伝授され、今ではこの二ヶ所しかありませんニヤリ



上げ馬神事
古くは鎌倉時代に始まったと伝えられる稲作の吉凶を占う東員町の神事祭えー


16、17歳の青年騎手が、頭に花笠など華麗な武者姿で馬に乗り、約2.5mの崖を一気に駆け上がるというもので、人馬一体となった迫力や緊張感は見る人の心を奪います照れ


現代でも地区の青年・中老・保存団体を中心とした年齢階梯的な社会組織を維持し、地元の住民の関心も高く長きに渡り継承されているんやってニヤリ


多度大社の上げ馬神事と猪名部神社の上げ馬神事の双方を照合することで、この地域の上げ馬神事の文化を明らかに出来る貴重な民俗文化財となっています照れ


2002(H14)年3月18日に県の無形民俗文化財に指定されましたニヤリ



祖霊殿
昔は拝殿で本殿前に存したとかキョロキョロ


明治の初め、臼で東に移り、その後現在の位置祖霊殿として立て替えられたんやってびっくり


この地方の出土品が展示されています照れ


瓦は、建築当時(安土桃山以前)のままで唐草の模様は一枚一枚全て異なる貴重な建物なんだとかびっくり



薬師堂がキョロキョロ

薬師如来は、北山田村にあった三百坊を有する員弁寺の大徳法住上人の作で同寺に安置されていたが、織田信長の兵乱が起こる前、尊信篤かった北大社村の早川忠右衛門がお告げを受けて早川家に安置供養したことから、難を逃れたえー


その後移転を繰り返し、昭和10年ごろ現在の場所に移ったとされてますニヤリ


歯痛の子どもがよくお参りしたんやってニヤリ



千年ほど昔より「えんまさん」の話が北大社に伝わったとされ、閻魔大王と役人が隣のお堂に祀られています照れ



三重県員弁郡東員町北大社796



JR八田駅前にあるえー
たこ焼き屋さん爆笑
名古屋焼き醤油専門 さく蛸 中川八田本店さんに照れ


名古屋は関西と違ってソースをかけないんですってびっくり
醤油味なんだとか照れ



名古屋焼き醤油(500円)と自家製泳がせマヨネーズ(600円)を購入爆笑
受け取るまで20分ほどかかりますプンプン

名古屋焼き醤油
たこ焼きの焼き上げ方ですがえー
先ず 油を敷き 出し生地を加えたこを加え キャベツ・紅生姜・ねぎ・天かすを加え 出し醤油を加え下部がある程度焼き仕上がれば反対にひっくり返しえー


さらに香ばしく焼き仕上がるまでひっくり返し続けていきますプンプン

出来上がったたこ焼きですがえー
外のカリッとしながらニヤリ
中のふわっととろっとした出し生地に風味ある出し醤油 照れ

ジューシーなタコの甘みを上手く効かせながらシャキッとした干したキャベツや相性さを表す紅生姜・ねぎ・天かすえー


これらを上手く掛け合わせてくれる爆笑
旨みがたっぷりな良い味わいにさせてくれますニヤリ

自家製泳がせマヨネーズ
マヨネーズをたっぷりかけた泳がせマヨネーズたこ焼き初体験びっくり


辛子マヨネーズが醤油味によく合って背徳の味照れ


少し甘みもありそこまで辛くないですびっくり


これがめちゃくちゃ美味いラブ
癖になる味です照れ

この味は関西ではないかもねえー

八田駅(JR)から108m
愛知県名古屋市中川区八田町2602