田中神社から
もう一つの馬の神社えー
藤森神社へ向かいます照れ


藤森神社  [ふじのもりじんじゃ]
当社は京都洛南深草の地に平安遷都以前より祀られている古社で、平安遷都の際には桓武天皇より「弓兵政所」の称号を、中御門天皇からは現本殿を賜わるなど皇室との縁深く、また勝利へと導く神さまとして武家や庶民にいたるまで広く崇敬されてきた歴史ある神社であります。


歴史をさかのぼれば、近郊にあった三つの社が合祀され、現在の藤森神社となりました。



参道は長く…
馬が駆け抜ける事もあるとか…ないとか…キョロキョロ


鳥居
神社正面参道の入り口。ここにある鳥居には正徳元(1711)年の銘があり、石の鳥居としてはかなり古いとかびっくり


またこの鳥居には幕末まで後水尾天皇の御宸筆の扁額が揚げられていたが、幕末動乱期に新選組の近藤勇が額を外し持ち去ったといわれているんやってえー



手水舎
馬の社に因んで吐水口が馬の像になっているびっくり


また手水鉢の台石は石川五右衛門が宇治塔の島十三重の塔の第7層(一説には第9層)を取り外し寄進したという伝説があるんやってニヤリ



拝殿
御所より賜わったもので、割拝殿という建物の中央に通路がある特殊な拝殿やねびっくり



本殿
正徳2(1712)年、後水尾天皇の遺勅により、中御門天皇から賜わったもので、宮中内侍所(賢所)であった建物えー


切妻造り、檜皮葺で京都市指定文化財です照れ


本殿中央(中座)
御祭神

素盞嗚尊、別雷命、日本武尊、応神天皇、仁徳天皇、神功皇后、武内宿禰の七柱。

神功皇后が摂政3(203)年、新羅より凱旋の後、山城の国深草の里藤森の地を神在の聖地として撰び纛旗(軍中の大旗)を樹て、兵具を納め、塚を造り、神祀りされたのが当社の起こりとかえー


現在、本殿東側にある旗塚がその塚とかキョロキョロ

延暦13(794)年、桓武天皇より弓兵政所の称が授けられ、遷都奉幣の儀式が行われました照れ

本殿東殿(東座)
御祭神 

舎人親王、天武天皇の二柱。

天平宝字3(759)年、深草の里藤尾の地に鎮座プンプン

藤尾は現在の伏見稲荷の地とかえー


永享10(1438)年、後花園天皇の勅により、時の将軍足利義教が山頂の稲荷の祠を三麓の藤尾の地に移して、藤尾大神を藤森に遷座して東殿に祀り、官幣の儀式が行われました照れ


舎人親王は、日本書紀の編者であり武道にも優れた文武両道の神なんよニヤリ


皇室や藤原一門の崇敬厚く、貞観5(863)年、清和天皇の宝祚に際し奉幣の神事が行われました照れ


これが藤森祭(深草祭)の初めなんやっておねがい

本殿西殿(西座)
御祭神

早良親王、伊豫親王、井上内親王の三柱。

早良親王は皇太子となられた後、蝦夷で反乱が起こった時に征討将軍として当神社に詣で戦勝を祈願され出陣しようとされたところ、これを伝え聞いた反乱軍は畏怖し、乱は戦わずして平定されましたプンプン


英武の方であられましたが、延暦4(785)年、事に座して淡路に流される途中でお亡くなりになられましたショボーン


延暦19(800)年、親王は崇道天皇と追号され、塚本の地(京都市東山区本町十六丁目)に祀られましたえー

毎年5月5日の端午節におこなわれます春祭「藤森祭」は、当初、平安時代に皇室と国家の安寧を祈願するために斎行されましたが、江戸時代には花の菖蒲が、武道の尚武、更には勝ち負けの勝負に通ずることから〝菖蒲の節句〟発祥の祭りとされ、各家々に飾られる武者人形には、藤森の神が宿ると云われています照れ


尚、旧暦の午月午の日であるこの日に、駈馬神事が執り行われることや、洛南(午の方角)の守護社であることなどから、馬を守護する神としても広く知られ、今日では勝運と馬の守護神として競馬関係者や馬と関わりのある方をはじめ、馬を愛する方、更には午年生まれの方など、馬と縁のある多くの方々から信仰をあつめていますえー


また日本書紀の編者であり、文武両道に優れた舎人親王をお祀りしていることから、学芸の神としても篤い信仰が寄せられています照れ



狛犬
現在のものは2代目で、昭和天皇の御即位50年を慶祝して造られたものえー


初代の尾を上げた姿を踏襲しているが、口は阿形一対から阿吽の形式にかわっているんやってえー



今年の干支えー
爆笑
飛躍の年になればいいですね照れ


馬九いく…キョロキョロ
山田く〜んチュー
座布団持ってきて〜爆笑


旗塚
神功皇后が纛旗(軍中の大旗)を樹て、神祀りされた処で、神社発祥の地えー


ここにあるイチイガシは「いちのきさん」と親しまれていて、お参りすると腰痛が治るといわれ、幕末の近藤勇も参拝して治癒したと伝えられているんやって照れ



不二の水
地下約100mから湧き出る水で、二つとない美味しい水という意味で「不二の水」と呼ばれているんですえー


勝運のご利益があるといわれているんです照れ



藤森稲荷社(末社)
大正3(1914)年の式年遷宮の折に竣工プンプン


御祭神

宇迦御魂



七福神像
元禄時代の藤森祭にあった七福神行列がその後途絶えてしまい、御鎮座1800年祭を期に行列を復活させた記念として平成16(2004)年に奉納されたものとかえー



神鎧像
古来、端午の節句に各家々で飾られる武者人形には藤森の神が宿るといわれ、その象徴として、また疫魔退散を祈念して建立されたものなんやって照れ



八幡宮社(摂社)
延喜式内社の真幡寸神社は古くは深草の地にあって、この八幡宮がそれであると考えられてるんだとかえー


御祭神

応神天皇


現在の社殿は永享10(1438)年、足利義教による造営で、国の重要文化財なんよ照れ



祖霊社(末社)
神社に功績・功労のあった方々の霊を祀ってますプンプン



七宮社(末社)
豊臣秀吉が伏見城を築城する時に、その地に祀られていた七宮を遷し奉ったものえー


現在の七宮は天満宮社、熊野神社、厳島神社、住吉神社、諏訪神社、廣田神社、吉野神社(蔵王堂)ですニヤリ



大将軍社(摂社)
平安遷都の際に都の四方に大将軍社が祀られ、その内の南方の守護社えー

御祭神は磐長姫命で方除けの神として崇敬を集めているんよ照れ


現在の社殿は永享10(1438)年、足利義教による造営で、国の重要文化財なんやってニヤリ



霊験天満宮(末社)
御祭神として菅原道真を祀ってますえー

その他の詳細は不明とかショボーン



金太郎像
勝運の神として菖蒲は尚武に、尚武は勝負に通じることから、男子の成長を祈願するようになった「菖蒲の節句」発祥の地を象徴するものとして建立されたものえー



斎館
大正3(1914)年の式年遷宮の折に建てられたものえー


この建物には旗塚にあるイチイガシの余材でつくられた欄間が取り付けられているんやってキョロキョロ



絵馬舎
現在の拝殿を賜わる前の神社の拝殿を移築して利用したものえー


この絵馬舎には慶長18(1613)年に奉納されたという銘のある絵馬があるんよニヤリ



参集殿
平成元(1989)年3月に竣工えー

社務所と守札や御朱印などの授与所のほか、南側半分は宝物殿となっているんよニヤリ
宝物殿
重要文化財の紫絲威大鎧のほか火縄銃や大筒等の社宝や、馬の社に因んで日本各地の馬の郷土玩具や世界の様々な馬のミニチュア類を展示していますえー


また近年奉納いただいた太刀、「鶴丸」の写し刀と「一期一振」の写し刀も展示びっくり

藤森神社は、京都府京都市伏見区にある神社で、刀剣「鶴丸国永」にゆかりのある場所プンプン


宝物殿には刀匠・藤安将平氏が奉納した鶴丸国永の写しが展示されており、刀剣ファンに人気のスポットとなっています照れ


鶴丸国永は平安時代に刀工・五条国永によって作られたとされる太刀えー


北条家、織田信長、三枝勘兵衛を経て、一時期藤森神社に納められたと伝えられているんだとかえー

 

その後、伊達家を経て明治天皇に献上され、現在は御物となっています照れ



奉納された大量の鶴丸国永グッズがびっくり



刀剣を擬人化した人気ゲーム「刀剣乱舞-ONLINE-」に登場する鶴丸国永ゆかりの地として、特に刀剣女子の間で「聖地」として知られているんよえー


写しの公開初日には、境内に行列ができるほどの盛況ぶりやったんやってニヤリ



京都府京都市伏見区深草鳥居崎町609



場所は、近鉄・桃山御陵駅、京阪・伏見桃山駅から『大手筋商店街』の中にあるえー


回転寿司「スシロー」と同じグループが運営する、寿司と酒・肴が楽しめる大衆寿司居酒屋ブランドの鮨・酒・肴 杉玉さん照れ



お昼の握り【寿】12貫  1850円
中とろ・まぐろ・ハマチ・生サーモン・イカ・ツブ貝・あじ・赤海老・うなぎ・ねぎまぐろ・いくら・塩雲丹ラブ


黒酢メシをカウンターの職人さんが丁寧に握ってくれるので、シャリ軽いし、ネタも大きく新鮮照れ


スシローよりツーランクくらい上の鮨ですなぁ爆笑

伏見桃山駅から87m
京都府京都市伏見区新町4-453-2