映画「だってしょうがないじゃない」を観た。



発達障害と診断された映画監督が、同じく発達障害を抱える親戚の男性(まことさん)と心を通わせていくドキュメンタリー。



身近でもそうだが、やはり発達障害というのは見た目では良く分からず、フィルム上では2人の仲睦まじい様子が淡々と綴られており、男同士の友情もののような感じで、生活上の困難さにはそれほど焦点を当てられていないように思った。



というか、被写体のまことさんが、とっても人が良くて、何も問題行動を起こさないのだ。笑



風呂に1週間に1回しか入らないことを責められたり、大切にしている庭の木を幹から切り落とされたり、不本意なところに連れて行かれたり、ずっと住んでいた家から追い出されそうになったりしても、特に文句を言わず、必要以上に落ち込まず、腹も立てない。笑



そして仮面ライダーや野球や駅伝を愛していたり、靴のデザイン一つにすごく喜んだり、カラオケが予想外に上手かったりする。



何て愛すべきキャラクター。



特徴である吃音も、まるでキャラの一部であるかのように見えてしまう。



この方だから、映画にも取り上げられて然りなんだろうなと思った。



なんでも、


「だってしょうがないじゃない」


という感じで、周囲の声には必要以上に惑わされず、受け流すまことさん。



この方の懐の深さは、ある意味、人に対してレッテルを貼りがちな社会とは正反対だ。




そして、発達障害って何だろう?と、また考えた。



まことさんは、そう言われても言われなくても、自分のこだわりはしっかりと持ち、毎日を淡々と生きている。



そんな名前は、社会の側が決めたことだよね(僕には関係ない)という感じで。



きっとこの呼び名は、あと10年も経てば無くなるんじゃないかな。



そう呼ぶには該当の人口が増え過ぎてしまい、その排他的思考はそのうち役に立たなくなるだろう。



役に立つのは、多様な脳の発達の仕方の人たちを認め、正しい接し方を学ぶこと。



そのために、こういった映画やメディアが増え、社会を啓蒙しつつある。



だから、障害名は、きっと今は通行手形のようなものだ。



それがあれば、社会に適切な対応をしてもらえる、というようなもの。



その対応策が浸透していないから、まだまだ障害という言葉になっているんだろうな。



それにしても、障害って、重い言葉だ。



もっと他の言い方、ないのかな。




坪田義史監督のサイン入り。