近場で母親向けの感覚統合の講座が開催されていたので、これはチャンスとばかりに行ってきました。
感覚統合…分かるようで分からないような、でも、息子を理解する上でとても重要な気がして……
その勘は、見事に当たり。
次から次へと、まさに息子のことを言い当てているのでは?というような講義の内容に、しばらく茫然としてしまい、何から書いたらいいか分からず、ブログも書けないでいました。
しかしここで書かなくては!
備忘録と、母の頭の交通整理のために、頑張って書き記すこととします。
まず、息子は明らかに感覚統合が上手く調整できていない。
そのことは、火を見るよりも明らかでした。
例えば、
特徴①
濡れたり汚れたりが我慢できない
→→→外出先で、コップの水がズボンに溢れただけで大パニック。
②人に触られるのが嫌
→→→普段から、自分からくっつくのは好きだが、受け身の接触を嫌がる。特に不意の接触。
保育園での神輿では、他児との接触に毎回一人憤慨するか、パニックを起こしていた。
③超怖がり、いつも母にしがみついている、人の中に入っていけない。
→→→もうまさにその通り。年齢を経てもここの度合いだけは変わらず。(ここが一番困っている)
④高いところが苦手
→→→遊びに行ったスカイツリーで、怖すぎて微動だにせず。後にお約束のパニック。
等々、これが息子のことでなくて誰のことでありましょうか…。
髪の毛切るのも爪を切るのも、夜な夜な、息子が深い眠りについてから、細心の注意を払い、手を震わせながら切っていたことを思い出します。
こんなのを毎日毎日飽きもせず、続けてきた乳児〜幼児期。
頭がおかしくなりそうなくらいのこだわりと癇癪で、どんどん疲弊していきました。
しかし保育園の先生からは何の指摘もされず、健診でも引っかかりもしません。
母が一度、保健師さんに辛いと泣きついたことがありましたが、別室で息子との様子を話し、観察してくれたにも関わらず、何にもなく帰されたことは、昨日のことのように思い出されます。
(きっと、母の産後の情緒不安定か何かだと思われたかも?)
そんなこんなで、本当に当時は自分の育て方のせいだとしか思えず、八方塞がりで、毎日苦しんでいました。
息子が一番苦しいのは重々承知ですが、母もまた、出口が見えないトンネルの中に置き去りにされたようで、とても心細く辛かったです。
このことを早く知っていれば、、、
でも、今だから、たくさん自分なりに勉強してきた今だから、分かることなのかもしれないなぁ…。
ともかく、この感覚統合につまずきがあると、原始系回路が暴走し、日常生活を送ることが困難になるわけです。
そしてこのことは過去形ではなく、まさに今も、現在形で困っています。
過敏が増しているせいで、プールにも入れません。
どうすれば良いのでしょうか?
これもやはり、息子に入るやり方で、少しずつ、色んな感覚に慣れさせてあげるのが良いそうで……
また、公園での色んな遊具、トランポリン、マッサージなど再開しようかなと思いました。
そしてもう一つ、別の専門家から聞いた驚愕の事実が。
触覚防衛反応がある子どもは、なんと、そのせいで、生活の中で必要な触れ合いがままならず、愛着形成が阻害されてきた可能性があるとのこと。
そのせいで、愛着障害になることがあり、安心基地を求めて、分離不安をいつまでも抱えてしまうということ。
息子は、とても認めたくはないけれど、もしかしたらこのパターンかもしれません。
息子の生まれてすぐからの育てにくさに、母は耐えきれず、生後半年で保育園に預け、泣き叫ぶ我が子を横目で見ながら、毎朝登園時に引き離し続けた。
もしかしたら、それがいつまでも尾を引いているのかもしれません。
でも、そうしないと、本当におかしくなりそうでした。
息子と一緒に1日家にいると、すぐにでも発狂してしまいそうだったのです。
それでも、それが普通の子育てで、自分がただ我慢ができない、自分のことばかり考えているどうしようもない母親だと、自分を責めてばかりいました。
抜け道が、どこにもない。
そんな気持ちでした。
息子も、そんな母で、とても辛かっただろうなと思います。
私が今、毎日付き添い登校を諦めずに頑張れるのは、もしかしたら、あの時感じていた懺悔の気持ちからかもしれません。
狂ったように泣き、いつまでも母親にしがみついて離れない息子を、耐えきれず邪険にしてしまった、自分の後ろめたさからかもしれません。
ひどい母親。
だけど、私が息子のことを諦めることは、この先も決してないでしょう。
どんな状況でも、離れていても、いつも息子のことで頭はいっぱいだった。
そして、色々なことが、勉強するうちに紐解けてきたのです。
母もやはり、我が子に成長させられています。
息子の心に安心感が根付くまで、あと何年かかるか分かりませんが、できるだけのことをやり続ける。
それがきっと、息子も私も、救われる道なのだろうと思います。