ウワサの保護者会の、

「シリーズ 虐待を防ぐには①②」

を観た。



連日のように流れてくる児童虐待のニュース。


自分だけはそうならないと思っていても、同時に、絶対にそうならないかと問われれば、決して自信を持って肯定もできないというのが正直なところ。


きっと誰だって、環境と、自分の精神状態、子どもの様子など、重なるものが重なれば、他人事とは言えなくなる可能性もあるのではないだろうか。



子育てって、簡単に見えるかもしれないが、産まれた途端、毎日続く細切れ睡眠、子は何が不満なのか分からないまま泣きっぱなし、断続的な授乳、ご飯も満足に作れず、食べる時間もない、トイレに行ってもギャーギャー呼ばれ、家のものを片っ端から口に入れ、散らかし、暴れ、傍には終わらない洗濯物や山積みのお茶碗、子どもたちが夜尿したシーツやら吐き戻した跡があり、そんな中で、体調を気遣いながら、病院にも連れて行き、健康になるように食事にも気を遣い、安全に配慮しながら買い物や公園に連れて行き、遊び相手をし、衣食住を安定させるのと並行して、将来のことも考え、奔走し、更に一番大事な命を守り続けるという、とてつもない作業なのである。



それを、大体のお母さんは日中一人で担うのが、今の日本のあり方。



そこへ来て、自分の持病で満足に身体が動かないとか、経済的に不安定で満足にモノが買えないとか、どこにも行けないとか、夫や周囲からの暴言を受けているとか、常にワンオペ状態であるとか、子ども自身がまったく言うことを聞かず話も通じず、とても育てにくいとか、そんな要素が色々と重なると、人はキャパシティを超えて、キレちゃいたくもなる。


仕事で言い換えれば、絶対に失敗できないような重大なプロジェクトのプレゼン中に、できない部下が誤って資料にコーヒーをこぼし、パソコンが途中でフリーズ。上司からの圧力がかかる中でしどろもどろに話すも突然実家から危篤の電話がかかってきて、、、

みたいな状況ではなかろうか。笑


それが毎日毎日、四六時中続くと思ってみて欲しい。


更に、仕事は誰かに評価され認められる機会があるが、育児なんてものは、できて当たり前の世界、しかも、誰にも見られずひっそりと孤軍奮闘している状況であるので、吐き出すところがない。


本当に周囲の助けが必要なのである。



放送の中でも、虐待を防ぐには、子どもだけでなく、社会全体で親の支援もしていくことが重要、ということが良く分かる内容だったのだけれど、今日本が抱える問題として、すごく納得したのは、


・子どもが未就学のうちは、子育てについて相談できるところが健診や保健センターなど、ある程度はっきりしているけれど、小学生になると途端に相談先が不透明になる。


・子育てしている親への心のケアが、社会制度として充分に整っていない。


という2点。


殆どのお母さんたちは、本当に身を削って頑張っているのに、なんとも報われない気持ちでいるのではないだろうか。



しかし、そこで大切なのは、それがマルトリートメントに繋がっても仕方ない、ということでは決して、決してなく、もしかしたら、正しく子どもたちを導いて育んでいく力さえあれば、この孤立化育児の状況でも、先は少し明るいのかもと思えた。


出演されていた親御さんの中には、悪いと分かっていても、単純に怒り続けることで、子どもをなんとかして動かそうとしてきた方たちもいたが、それはきっと、正しい導き方を知らないというだけなのだ。


特に定型発達のお子さんでは、怒ると嫌々でもそれなりに言うことを聞いたりするものだから、それでなんとかなってきたのかもしれない。


定形発達ではない子どもを持つ親は、それではどうにもならないということを経験から知っている。


だからこそ、パニックになったり、癇癪を起こしたりする子どもと向き合いもがきながら、どうにか正しく子どもを導く方法を編み出しているのかもと思えた。


そして、そういう経験は、定型や非定型に関わらず、本当に貴重なものである。


結局、暴言暴力で指導したとしても、子どもは、どうしてそこまで親が怒っているのかを理解することは難しく、ただ、恐い、苦しい、悲しいということしか記憶に残らない。


本当に怒っているということを伝えるにも、必ず、子どもに伝わる言い方、接し方、というものがあるはずで、それを親は考え直す時に来ているのかもしれないと思った。


孤立化育児の社会の仕組みはすぐには変わりそうにもないけど、親の接し方なら、今日からでも変えられる。


自分も含め、世の中が、親も子も、楽になれる、笑って過ごせる家庭で溢れますように。


一人でも苦しんでいる親子が救われますように。