いろとりどりの親子」という映画を観てきた。

「ゲイ」、「ダウン症」、「低身長症」、「自閉症」など、生活に困難を抱える少数派の子どもたちとその親に焦点を当てたドキュメンタリー。

「普通」とは何か?

なぜ、「普通」でなければいけないのか?

という視点から常にカメラは切り込む。


観ながらわたしも色々考えた。

なぜ、大多数の人間たちが正しくて、そちらのやり方に合わせなくてはならないのか?

個性や生活習慣、教育一つとっても、既存のやり方を押し付けているだけの世界では、もはや万人には通用しなくなってくるはずだ。

少数派の人たちは、もしかしたら、体を張って、そのことを広めようとするために生まれてきているのではないかな?

そのようなことを考えた。


今はまだ、彼らを理解し、敬うどころか、大多数の人間に合わせることが主流の社会。

彼ら少数派が「おかしい」とされて、「矯正」させられる。

社会に適合するように。

そこが映画のテーマであり、難しいところ。


しかし実際、映画を観ている間は、彼らの純粋さに涙が止まらず、そして笑顔に勇気をもらえ、温かい気持ちになった。

彼らもただ、同じ人間というだけである。

人間が、一人の人間として成長していくこと。

その教育の基本のようなものを、身をもって教えてくれている彼らがとても逞しく思える。


個人的には、みんなの学校 を観た時と同じくらいの衝撃と感動を覚えた。

一人でも多くの人がこれを観て、もっともっと広まって欲しい。

そして、いわゆる“普通”、“平均的” が望ましいとされる社会に疑問を抱いて欲しい。

人間はただ人間だというだけで、優劣などないのだから。

その人を “そのまま” 認めつつ、社会の中で上手くやっていけるようにできれば、きっとそれが一番だ。




最後、現実でありながら、ハッピーで希望に満ちた感じで終わるところが、本当に憎いほど良くできている。