初めまして、実優莉のパパのfumihi です。まだ名前は伏せておきます。鳥取生まれ大阪育ち鳥取戻りの大阪戻りの大阪人です。ややこしいですが、今は大阪で家族3人仲良く過ごしています。
まずは僕の幼少期からお話しします。家族構成はおかん、姉が3人と僕の5人家族です。親父の顔は知りません。僕がちっちゃい頃に離婚して、それからすぐ事故で死んだらしいです。
小6まで大阪に住んでたんですが、とにかく貧乏。文化住宅と言われる、今でもちらほら見かける、ボロボロの家で壁は砂壁、部屋は1部屋と台所だけ、風呂なし。隣の家のテレビの音聞こえる、家の間の通路野良猫いっぱい。2階に住んでいる住人は覚醒剤でもやってるってぐらいおかしくて有名な、嘘咳する、オッヘ、オッヘって言うのでオヘのおっさんってあだ名のおじさんが住んでたり、いつも仲良いとおもってたのに、いきなりフライパンで殴り合う夫婦やら、猫を10匹ぐらい飼ってる、おかんの友達のsさん、水道屋の元右○のかまさん、ほんまかどうかしらんけど。ってぐらいコテコテな大阪の楽しい街に住んでました。
僕の幼稚園の記憶を思い出すなら、年少の時に担任の先生に話があると裏に呼び出して、告白しようと思ったけど、恥ずかしすぎて何も言えなかったっていう、ませた子供でした。小学校は学校が行けば楽しいんですが、朝が苦手で起きたら行く、起きられへんかったら休んだり、不登校でした。寂しくてとった行動かはわかりませんが、登校したフリをして住宅の路地で過ごして、みんなが探してくれるっていうのがなんか嬉しいっておもって隠れて行かへんかったり、あの時はおかんを苦しめました。風呂がないことが友達にバレて、それが嫌で駄々をこねて住んでる家から、2分のとこにある風呂ありの狭い部屋にも引っ越してもらい、なかなかわがままな子供として成長しました。親友も朝迎えに来てくれたり、友達には恵まれてましたが、不登校気味だった自分を変えたくて、無理を言って鳥取に引っ越してもらいゼロからスタートしようと中学校生活がスタートしますが、やはり起きれなくて、行ったり行かなかったり。その時の先生がいい先生だったのもあってか、悩みがあって学校に行かなかったわけではないのですが、心配してクラス全員で家まで迎えに来てくれたり、その時はさすがに行けなかったですが。人にはめちゃくちゃ恵まれてるなってのはこの時からありました。 高校に行くには出欠が危なくなったり、頭も良くなかったので行けるとこも限られてしまったり。さらにはカウンセラーまで呼ばれて、悩みはないかと相談室に1人で行かされたり、家庭環境もあっての先生の判断なのかはわかりませんが、なかなか迷惑もかけてしまったなと、反省してます。そして高校に受かって、田舎のヤンキー校に行き、そこでも友達にはめちゃくちゃ恵まれました。 ただ同じことを繰り返してしまうのが僕で、寝坊、寝坊、寝坊、夜中起きてて、寝坊。
案の定2年に上がれませんって、遠いところから先生も来てくれて、励ましてくれましたが、いつもなんの悩みもなくて、あるとすれば起きられへんってことやのになって思いながら、中退。おかんには高校だけは絶対に出ときって、耳が痛くなるぐらい言われて、それだけは言うこと聞いとこっておもって、通信制に通いました。毎週日曜日だけの授業で、平日は、スーパーの中に入ってるパン屋でバイト、最初はレジで販売だけやってたんですが、店長にお声をかけていただき、パンを焼く事を教わり、パン屋のパン焼きさんになりました。朝6時ぐらいから起きて、出勤して仕込みから始めて、カレーパン揚げたり、メロンパン作ったり、食パン焼いたり。
学校とかで起きられへんかったのに、仕事では起きれるって、不思議でしたが、これは責任感ってのが培われた瞬間でもありました。店長には感謝です。当時17歳の僕にパン屋をやらしてくれて。楽しかったので本気でパン屋になりたいと思いましたが、僕は通信制卒業したら工場で働きたい、物作りをしたいってのが芽生え始めてたので、結局辞めました。
学校の方も無事に卒業できて、とりあえず卒業の証明はできたのでおかんも少しは安心してくれたと思います。
そして鳥取では仕事も恋愛も色々して、友達と楽しく遊び素晴らしい日々を過ごしていたんですが、ずっと心の中には、大阪に戻りたいって思ってました。田舎でずっと住むには、都会を知っている僕からしたら無理な話でした。大阪は楽しい街で大阪が大好きなんですよね結局。友達、思い出をおいてまでまた戻るってのは相当な勇気がいりましたが、自分の気持ちに正直になり、23歳でまた戻り、今に至り、ブラック企業の工場長になりました。
嫁とも結構運命的な出会いで、京都と大阪で近距離恋愛をしながら愛を育み、結婚しました。
結婚した理由は、僕が病気をした時に、介抱してくれた時の優しさと、家で食べたうどんの味が美味しすぎて、こんな料理がうまい人と結婚できればいいなと思い、プロポーズを決意しました。
そして初めての子供を授かって、、、、、病気になり、色々娘から学び、成長さしてもらったり、感じたことなどを忘れないように、このブログを書いて、残しておこうと思ったわけです。
長々と書きましたが、自己紹介を終わります。
僕の家族のほんの小さな奇跡は続きます。皆様がどうか幸せでありますように…
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