震災から5年
早いですね。気がついたら5年ですか・・・・
先日(3月9日)母と女川にドライブに行ってきました。
実家に泊まって、2人でご飯食べながらTVを見ていたら、「もうすぐ5年を迎える女川の様子」って事で女川の駅周辺が映されてました。
父が普通にご飯食べていられた時は、お魚を買いに、ちょくちょく訪れていましたがここ1年ほど女川に行ってないねって事で、ドライブ行こうか!となりまして行ってきました。
この1年でどこまで復興したのか、TVで撮されている様に賑やかになっているのか。
女川の町は私にとって、学校時代のお友達も沢山いたし、2番目の兄の送り迎え(その頃は兄は船に乗っていたので、夜中に女川港に着くと迎えに行ってた)で何気に通った場所でもありました。
ですので、昔の女川の町の印象が忘れられません。
少しのドキドキとワクワク感をもって向かった女川
多分母も同じ気持ちだったのかもしれません。
だって・・・・女川についた時の第一声が、「え?ここどこ?女川のどの辺?」だったからか。
私の記憶と地形から、この辺に「おんまえや」で、こっちの方が前の「マリンピア女川」このまま進むと昔の駅と「ゆぽっぽ」などと話しながら、現在の駅のある方に向かいました。
本来なら町があってしかるべき場所は、土が積まれ重機が何台も働いていて、本当に駅だけが新しく(近くの商店も)私は違和感だけしか感じませんでした。
駅周りもしかり。
TVって、何気に残酷ですよね。
復興が進んでいます。の一言で終わらせてる感じ。
あ!あくまでも私の感想です。
そんなことはない!キチンと復興してるよ!って感じている方も多いでしょう。
頑張っている方ばかりです。
頑張って新しい建物やお店を作り、昔の様に活気のある町を作り上げています。
でも、一部分だけ取り上げるのはやめて欲しい。
報道するなら、全部を。今ある現状を映し出して欲しいと思うのはわたしだけなのでしょうか。
個人的な生活面での事を此処で吐き出すのもなんだけど、私は昨年の夏に、みなし仮設から復興住宅へ引越しをしました。
震災で住む場所が無くなり震災難民なんて言葉があるけど、家を探し仮設の申し込み期限ギリギリで石巻から仙台へ移り住んで、いまにいたるわけだけど、石巻から仙台へ来るということは、仕事自体変わるわけで、年齢が年齢だったから、仕事にありつけても、社員は無理でパート、アルバイト。
それでも、みなし仮設の時は、皆さんには失礼だし申し訳ないけど、家賃の負担が無かった分生活出来ていたし、ある程度の楽しみ(娯楽?的な?)も堪能出来てました。
まぁ、Wワークもしてましたけど。
それはそれで、楽しみながらやっていたつもりなので不満は有りません。(たまにグチは言ってましたが(笑))
昨年はイロイロあり過ぎて、Wワーク出来なくなって、仕事変えなくてはならなくて収入が更に少なくなった所に、みなし仮設から復興住宅へ移り住んだ事で家賃が発生。
家賃と光熱費で給料の殆どが持って行かれる状態になって、生活面で厳しいものになってしまっています。
先日、やはり長町の仮設から復興住宅へ移った方(母子家庭)がTVで紹介されていましたが、収入が10万無い状態で家賃払い、高齢のお母様と、娘さんの3人の生活はキツイと言ってました。
新築の復興住宅へ移った高齢の一人暮らしの男性は、引越し後、1ヶ月で孤独死。
皆さんは、この様な事情を知っておられますか?
まぁ、私のことは去ておいて、復興している面だけ見ないで欲しい
そんな事を感じた5年目でした。
こんな事を此処で書いて何がしたいと言う訳では無い。
何となく自分が感じている事を書き出してみたかった。
5年目を迎えた事で忘れてはいけない事、残さなくてはならない事、新たに浮きあがってきている事、これからの事。
いろいろあって何ができるのか、考え過ぎて逆に何も出来ない自分がいる事を感じて3月11日ブログすら書け無い。
それを少しでも崩したくて今書いてるだけ。
ただの愚痴?とも違うな・・・・
愚痴ではないのですが・・・・
まぁ、今の私のつまんない感情というか、気持ちなのかな・・・・
何となく書いてしまったけど、うん(笑)もう少し頑張らないとね。
今日は久しぶりの日曜日のお休み。
明日から仕事だけど、次の休みはそれこそ久しぶりの一番の楽しみが待っている!
一番上の娘にも会える💕✨
ワクワクしながら過ごしましょう。
何だか変なブログになっちゃったな。
ここまで、飽きずに読んで下さった方
Σd(ゝ∀・)ァリガトォ♪
また、私の失敗談がちょこちょこ有るので、気が向いたら書きます。
皆に馬鹿?って、突っ込まれるのが何気に好きなんだと気がついた今日この頃(笑)
でわでわ!
しちゃ