🌙☕ レトロ喫茶「月灯」物語 🐾



トムは、言葉数は少ないが、

笑顔に不思議な魅力があり、訪れる人の心を

ふっと軽くする。

常連客はその笑顔を「まるで深みのある

コーヒーみたいに落ち着く」と言う。


彼の仕草はどこか人間らしく、けれど猫らしい

気まぐれさも忘れない。


時に窓辺でそっと月を眺めたり、

気ままに尻尾を揺らしながらミルクを

温めたり――

その姿を見ているだけで、客は不思議と心が

和むのだった。


ある夜のこと、雨音が優しく響く中、一人の

女性が傘をたたみながら店に入ってきた。


女性は少し濡れた髪を整えながら、静かに

席に着く。

女性は椅子に腰を下ろすと、どこか遠くを

見るような目をしていた。

小さなため息が、雨音に紛れてこぼれた。


トムは女性の様子をしばらく見つめると、

静かにカウンターへ戻り、棚から一つの

カップを選んだ。


トムが選んだのは、淡いクリーム色に金の

月が描かれたカップ。

それは、この店で「心を癒す一杯」を淹れる

ときにだけ使われる、特別な器だった。


トムは挽きたての豆をそっとサイフォンに

移し、ゆらゆらと炎を灯す。

ガラスの中でお湯が沸き立ち、

ふわりと広がる香ばしい香りが店内を満たして

いく。


それは、まるで儀式のように静かで丁寧だった。


尻尾をゆるやかに揺らしながら、彼は仕上げに

温めたミルクを注ぎ、泡の表面に小さな月の

模様を描いた。


できあがったカップを、

トムは慎重に運び、女性の前へと置いた。


女性は驚いたように目を見開き、

「……どうして、私にこれを?」と小さな声で

呟く。


トムは答えない。

ただ、深みのある笑顔を浮かべるだけ。


その笑顔に触れた瞬間、

女性の胸の奥で固まっていたものが少しずつ

ほぐれ、

カップから立ちのぼる湯気とともに、

胸の奥の重たいため息が消えていくのを感じた。


彼女はそっとカップを口に運び、目を閉じて

一口含む。


「……あたたかい」


その言葉は、雨音に溶けるように静かに響いた。