note -2ページ目

note

Diary

デザインの仕事をするなら,海外の人とやりたいな、と思っている。海外向け、だと違う。

 

グラフィックデザイン寄りのことが、やりたいのだと思う。

 

そう思ったのは、学校の課題でバナー作成をした時。電車の中で広告を見ていると、文字や情報が多く、しかもコンプレックスや不安を煽るような内容と感じるものが多くて、「自分もこんなふあなものを作るのだろうか。」と思うと気が滅入ってしまった。

 

全部がそうとは限らない、ということは分かっていても。

 

あとは、なんとなくなんだけど、細かいやりとりが発生しやすそうだなって感じがして。

 

日本特有の要望の多さとか、悪い面での細かさとか。そういうコミュニケーションが嫌だなって思って。

 

海外は海外で、思ったように進まないだろうし、人や国によっても違うだろうとは、もちろん思っている。自分との相性とか、自分にとっての心地よさの違いなだけ。

 

という、ざっくりとした方向の記録。

今月から職業訓練に通ってウェブデザインの勉強をしている。

 

これまで、デザインの分野に携わったことがなくて、むしろ文章と関わってきた期間のほうがずっと長かった。なれ、というのもあるだろうけど、やっぱりビジュアルよりは言葉の方が、自分のことやいろんなことを表現するのが、すごくラク。

 

でも、最近はビジュアル(むしろ動画に進んでいるけれど)の必要性も重要になってきて、やっぱりデザインも上手になりたいな、という気持ちと、やっぱ必要だなぁという気持ちになってきたのが、前職を辞める少し前。

 

 

私にとって、デザインとはなんだろう。

私にとってのデザインの立ち位置はなんだろう。

 

デザインを使って、何がしたいのだろう。

 

私はビジュアルで表現することは得意ではない。私にとってのデザインは、あくまで文章の補助的役割というか、メインではない。デザインを使って何かをしたいということはない。

 

デザインを仕事にしたいと思ったのは、在宅でできる仕事だからということと、フリーランスで働きやすい職種の一つだったから。

 

なのだけど、授業を受けるうちに、既に飽和しているところに入っていくのは、不利というか遅いというか、今更感があるなと考えてしまい、気持ちがスッと冷めてしまった。

 

デザインを働くための手段として考えているからなのだろうか。Photoshopを使って、写真を編集しするのは楽しそうだなと思うのだけど、「デザインの仕事」として考えた時に、どうも気持ちが前向きになれない。

 

バナー制作の時に、普段目にする煽るようなマーケティング広告のようなものを私も作るのだろうか。そう考えると、気持ちが冷めてしまった。もちろん、そんなものばかりではないとはわかっているけど。

 

あとは、canvaをはじめとするデザインツールが登場して、既に(程度の差はあれど)デザインを仕事にしている人が増えすぎている、というのもある。

 

デザイナーからしたら、デザインアプリとPhotoshopやillustrationを使ってのデザインは違うのだろうけど、あまりにもセミプロっぽい人が多すぎて、すでに飽和してるところに入るのも今更だなぁ。と考えてしまって。

 

デザインの楽しさって、なんだろう。

 

無理に仕事にしようとしてしまっているから、歪んでしまったのかな。

 

あぁ...まとまらないなぁ。

家に帰りたくない。

 

そんな日が来るなんてなぁ。と、ぼんやり考える。

 

 

同棲を始めてから12月で一年が経った。

 

引っ越すまでも大変だったけど、引っ越してからもいろいろいろいろいろいろ大変で、やっとこの家にも、2人の生活にも馴染んできたなぁと、日々の生活を愛おしく噛み締めていた。2週間前までは。

 

それが、まさか家に帰りたくないと思う日が来るなんて。いや、これまでも家に帰りたくないと思う日は、何回かあったかもしれない。なんとなく理由をつけてホテルに泊まったりしていたこともあったような気がする。

 

でも、今日はこれまでと違う気持ち。何が、という具体的な何かはわからないけど、なんとなく家の居心地が良くない。そもそも、今は家にいる時間自体が少ないのだけど。それがいけないのかもしれない。

 

 

職業訓練が始まり、7時過ぎには家を出て(先週までは6時台だったけど、心身ともに疲れ果てた)夕方に帰宅し、そのまま20時半過ぎまで仕事。夜ご飯を食べると翌日体調が良くないので、2人で「食事」をする時間もなくなり、同時にゆっくり話をする時間もなくなった。朝も早いので早く寝たい気持ちと、もっと喋りたい気持ちやストレスで結局23時くらいまでダラダラと過ごして眠れない。

 

日々の生活を大切にしたいのに。12月に仕事をやめてからの約2週間は上手くいっていたのに。職業訓練と仕事の無茶なスケジュールで、生活も2人の関係もあっという間に崩壊した。どう考えてもほぼほぼ私のせいなのだが。

 

「忙しくなるだろうな」ということは、なんとなく想定していたけれど、新しいことで不確定なことや、不満なことが多くて、ストレスは想定以上に大きかった。そして想定以上に、日々の生活と二人の関係への影響が大きかった。

 

毎日疲れた顔でいる自分も嫌だし、生活が雑になっていくのも嫌だし、愚痴と不満しか言わない自分も嫌だし、そんな私にうんざりした相手の顔を見るのもツライ。だから家に帰りたくない。

 

ほんの数日前までは、とても居心地の良い家だったのに。生活を大切にしようとしていたし、相手のことも大切にしようとしていたから、居心地の良い家に育っていったのだと思う。

 

 

「せっかく仕事をやめても、愚痴ばっかり」。

 

そう言われて、何も変わっていない自分に嫌気がさしてしまい、八つ当たりして喧嘩。それも家に帰りたくない要因。このままじゃ居心地の悪い家が、さらに悪化していくだろうなと思いつつ、どうにかする気力もなくて。

 

 

とにかく、仕事が忙しくなるのは本当にダメなんだなと思った。

 

そもそも、働くことが好きではなくて、日々の生活を大切にしたいという価値観があるにも拘らず、大切にしたいことを大切にできていない上に、価値観が合わない環境にいることが間違いなのだよな。

 

 

窓の外は真っ暗になっていて、外の地面には雨跡のようなもので光っていた。素材のせいかと思って天気予報を見たら、雨が降ってるって。えー...。しっとりと濡れた地面、傘をさして歩く人。

 

こんな夜遅くまで家に帰らないのは、どれくらいぶりだろう。家に帰らなくとも、出かけた時はたいてい最寄り駅まではすぐに戻ってきていたのに。今日は本当に家に帰りたくないらしい。

 

とはいえ、明日の朝も早いしお腹空いたし、ホテルに泊まれるほど今はお金を使えないので、そろそろ観念して帰らないとなぁ。

12月末で、4年と1ヶ月勤めていた会社を辞めた。

 

最後は、有給取得で一悶着あって、予定していた有給取得日より一週間短くなってしまったり、代休の取り方のタイミングが悪く、予定していた額より給与が少なかったりと、本当に本当にいろんなことがストレスでつらかった。

 

12月でも、ほぼ毎日晴天が続いて比較的暖かい日が続いていたのは、救いだったかもしれない。これが、天気も悪くて寒い毎日だったら、もっと気分的にツラかったと思う。

 

私は、この会社で何を成し遂げたのだろう。何かを成し遂げたのだろうか。

退職直近の半年は、社内環境が変わり、色々と生きづらくなり、気力も失われていき、自分の無力さを感じていた。

 

もっとやれたことはあっただろうな。と感じることはたくさんあるけれど、気力も体力も限界で、やろうと思っても現実は動かなかった(できなかった)ので、やっぱり辞め時だと納得した。

 

渦中にいた時は辛いと思っていたことも、割と忘れてしまうみたい。

自分では気づいていなかったけど。

仕事で書いているメルマガをリニューアル…というか、これまでなんとなく付け焼き刃でやってきたものを整理しようと思いながら早2週間。

 

毎週発行なので、ゆっくり考える余裕もなく、締切に迫られ、今週もまたなんとなく付け焼き刃のなってしまったなぁと落ち込んでしまう。

 

最近、過去のこの日にあったこととかがアメブロにも上がってきて、○年前はこんなことを書いていたのかぁ。今と同じ事で悩んでるなぁと、なんだかちょっと自分にがっかりしてしまう。

 

同じところを何年もぐるぐると周っている。引っ越したり、仕事が増えたりして、少しずつ状況は変わっているのに、なんで同じことで悩んでいるのだろう。

 

 

そして今日も、言葉が出てこない。

 

記事でもデザインでも、伝えたい人がいて、伝えたいこと(目的)があるのだけど、私にはそれが見つからない。

 

世間の、いわゆる、「読み手にとって有益になる情報を発信するべきだ」ということに囚われているからかもしれないし、読者がそもそも自分と合っていないからからかもしれない。

 

自分の考えや価値観と離れている人に向けて、一生懸命書こうとしているから、何も書けないのかもしれない。

 

 

既存概念をぶち壊せ。

 

 

この記事を書きながら、なんとなく頭に浮かんできた言葉。

 

こうしなきゃ!という既存の概念に対して反抗したいのか。反抗期か。元々か。