「あなたが持っていて」と、少し前に1冊の本をお預かりしました。

 

少し前、学生の頃から視能訓練士としてお世話になっていた大先輩からメールが届きました。

珍しい人から連絡が来ると、少しわくわくした気持ちと、「何かあったかな」と少し心配な気持ちが綯い交ぜになるものですね。

 

もう使わないものがあるのだけど、よかったらもらってほしいという内容でした。

私はもう臨床を離れてしまっていたし、それを活かすことはできないから大学かどこかへという提案もしたのですが、「同じものを持っていないなら、あなたが持っていて」と言われてしまえば、断ることはできませんでした。

 

ほんとにお世話になったし、決して長くはないメール文の後ろに込められた気持ちがなんとなく強い気がしました。

 

「ものすごく貴重な本」というわけではないのだと思います。

多分それなりの数が刷られて、たくさんの人が参考にしていた専門書。

でも、まったく同じものを手に入れようとすれば、古本屋さんをまわったりしなければいけないだろうなと思います。

今は他の専門書と一緒に、私の部屋の本棚で休憩しています。

 

受け取ったとき、他の本よりも少し重たい感じがしました。

一緒に受け取ったものが他にもう1つあるのですが、それも合わせて本来の質量よりも少し重たい真顔

 

 

ところで、ここ数年「刀剣」に興味津々でして。

和物が好きだし、歴史も好きだしで、もともとベースはあったと思うのですが。

興味を持ったものはちょこちょこ調べたりしてるうちにずぶずぶっとはまっていってしまうのが常で、例によってずぶずぶっと(笑)

 

これが沼…にやりひらめき電球

そして星宿堂さんの茎キーホルダーを買うところまできました。

 

 

何人かの知り合いには、本物を買うのも時間の問題と思われているようです(笑)

 

 

話を戻しますねニコ

写真のキーホルダー(國廣の方)、届いた日はちょっとざわざわしていました。

「山姥切国広」のこの先について。

 

つい「すごいタイミングで来たね」と話しかけてしまいましたオカメインコ

 

 

twitterに流れていくいろんな意見を眺めながら浮かんだのは「私が預かった本」のことでした。

 

受け取ることを1度は断った理由は「活かすことができない」も大きいのですが、もう1つ。

「きちんと管理できないかもしれない」でした。

本だって湿度には弱い。適当に扱えば、すぐボロボロになってしまいます。

 

誰かから何かを託されることは、それがどんなものであっても軽くはないと思うのです。

誰かに託すのは、捨てられない(捨ててはいけないと思った)ものだからであって、物にも、託す相手にも何かしらの想いがあるはずで。

 

たった1冊の本。

それも、恐らくはたくさん刷られたうちの1冊。

 

それでも、私には少し重たかった。

先輩はそこまで重く考えていないかもしれないけれど、本の他に預かったもう1つはもう、先輩のアイデンティティみたいなもの(少なくとも私にはそう映っていました)で、それを預かることの責任は感じていて、覚悟のようなものも必要でした。

 

たくさんある本と重要文化財では、その価値は全然違うということはわかっているのですが、託す方も託される方も覚悟というか、それに近いものが必要な気がして、どちらの気持ちを考えても泣けてきてしまう…。

持ち主、使う人だけでなく、作った人の想いも入っているし。

 

物を大切にすることは、そこに関わった人たちを大切にすることでもあって、そこに想いを寄せることでもあるのではないかな。

だから、誰にとっても他人事ではなくて、ちょっと感情的にもなりやすい(のかな)。

 

「國廣」は、きっと悪いようにはならないですよね。

たくさんの人が気持ちを寄せているので。

 

いやー。

にっかり村にいたはずなのに、気が付いたら伯仲村に移住してしまっていた栃木生まれしんどい(笑)

 

miyukiコーヒー