1回目の救急車では、搬送するには至りませんでした。
【92歳で、倒れて額を打ったらしい、
今日よりも前の日に。
額と膝が赤い、ぐったりしている、】では
コロナ禍の最中で無理でした。(「緊急の」「若い人」が優先です。)
(まず、最初に、コロナ枠、は何回打ったか、最終はいつだったかを聞かれました。いかにそうした出来事が起きているかを象徴しています)
最初は普通に座るのも横になるのもダメだったので
後ろから抱っこしてたのですが
そのうち色々なことをし出して(あまりにもあまりにも、なので詳細は省略)
5時間後に
強い意識精神障害が起きているから、と
2回目の救急車
電話で探してくださって
5件目くらいに見つかった
大きな病院で診てもらえました。
1回目の病院の
一度だけの、
主治医の先生からの電話はこうでした。
(その時は、ただ”目を見開く”以外は無く、
人が話しかけても居ないようにしている。という状態でした)
母が、10年間脳梗塞で胃ろうの父を家で介護して
自分は管に繋がれたくない、と言っていました。と伝えると
「年齢から言って、
もうこれ以上良くなることはありません。
塩水だけの点滴をします。
そうするとだんだん痩せ細っていき、
あとは自然になっていく・・・
という経過をたどります。
昔はみんなそうだったんですよ。」
それで弟とお嫁さんと3人で施設の退去の準備をしました。
(私の管轄は

黙々と5時間6時間、仕分け、整理

が4日間)(後述の作業を足すと)
2週間経って
10年ほど前、義父の入院時にお願いしたことを思い出し
ボディトーク(という身体の魂の声を聞く技術)で
母の代理をして
ZOOMセッションをしてもらいました。
そしたら病院から
【名前が言える。はい。といいえ。を表現できている。車椅子に乗るリハビリを始めた】
!!!!

!!!!!


という連絡が。
業者に渡す前の荷物から
母の衣類
と下着
と生活の細々
を
引き上げ・・
このタイミングに
弟のお嫁さんのお父さんが亡くなりました。
母を運び込んだ病院の待合室で
「ICUからHCUに移った」と聞いていて
点滴していたけど急変して、気管切開していると続報が入り、
その後、です。
点滴・・・気管切開・・
終末期の医療
今朝思い出したのはこのページです
死ぬ時の苦しみ
・・・・・・・・・・・・・・。
2つ目の病院は
「食べられなくなって点滴をする時、管を入れる部分を少し切開します」に了解しないと入れないところです
・・・・・・・・・・・・。
。。。。。。。
母は・・・
車椅子に乗れないこともない、というところまでいきました
でもストレッチャーでしたが
転院した後も
周りの
看護師さんに
(可愛らしい小さい看護師さん、
お二人に)
とても優しくしてもらっています。


戦争で
人を人とも扱わない蛮行が行われているときですが

長く生きたお年寄りに
優しい
医療の現場で働く方々に
本当にお世話になり
愛を注いでもらっています。
ありがとうございます!
最初の病院で母の命を繋いだ点滴。
必要なときは、
是非。
その際は。
でも
必要ない時は
点滴は
控えめに。
![]()
![]()
![]()
![]()
![]()
![]()
![]()
![]()
![]()
![]()
![]()
![]()
![]()
![]()
![]()
![]()
![]()
![]()
![]()
![]()
![]()
![]()
![]()
![]()
