タレントの上原美優さんの死から2011年5月15日で3日が経った。彼女の残した「最後のブログ」には今もファンからの書き込みが相次ぎ、コメントは1万件を超え、「ブログは残したままにしてほしい」という意見も出ている。
本人のブログ(5月10日付)には「リアルに私、恋愛が出来ない」「恋の仕方も、恋愛の仕方も、リアルにわかんなくなってる。てか完全焦ってるな私」などと書き込まれており、恋愛の悩みとも受け取れる記述があった。
この「最後のブログ」のコメント欄には現在、1万件を越える書き込みが寄せられている。「突然の出来事で今でも信じられません」「(亡くなった)お母さんにいーっぱい甘えて、のんびり過ごしてね」「貴女の純粋な心やあの笑顔に癒されていました」といったものや、「9回目の書き込みだよ」「ブログ、このままにしておいて下さい」「絶対、ブログだけは、残してネ」という意見も出ている。
上原さんが都内の自宅で首をつって発見されたのは、5月12日午前2時過ぎ、交際中だった男性が見つけた。男性は本人から「2時間だけ1人にしてほしい」と言われ外出。帰る前に電話を入れたが不在で、急いで駆けつけると、変わり果てた姿の彼女と対面した。部屋には殴り書きのメモが残されていたという。


http://www.j-cast.com/2011/05/15095572.html?p=all
テレビなどの取材に対し、上原さんの父親は亡くなる前日、電話でやりとりしたことを明かしている。それによると、彼女は「亡くなった母親のところに行きたい」などと言い、30分くらい喋ってから夜話そうといったん電話を切った。その夜また電話があり、ほがらかな調子で話していて、安心していたそうだ。
上原さんは鹿児島県種子島出身で、10人兄弟の末っ子。大家族の貧乏ネタを話題にブレークしたが、大の家族思いでも知られる。TBS系情報番組「サンデージャポン」の企画で2009年、タレントの西川史子とともに故郷の種子島を訪れた時、家族のことを「幸せな家庭でした。ちゃんといっぱいテレビに出て、お金がかせげるようになったら、(家を)全部改築しようねって約束しているんですよ」と笑顔で話している。

http://www.j-cast.com/2011/05/15095572.html?p=all
2010年4月に母親をなくした。出席したイベントでのやりとりの中で、「たまに母親のケータイに間違えてかけちゃったりするんですよ。だけど、ケータイがつながらなくて、なんとなくそれで(母親の死が)実感できたり」などと辛い思いを打ち明けていた。サンケイスポーツ(5月13日)や日刊スポーツ(5月14日)の記事では、関係者の話として、母親の死から立ち直れなかったことを死の要因として挙げている。
芸能人ブログでは、ほしのあきさんが「すごく頑張り屋さんだった美優ちゃん」、加護亜依さんが「時には顔がぼろぼろになるまで泣いて自分の悩みを打ち明けてくれたりした」と彼女の性格のことにふれた。そして、10日前に仕事場で会ったばかりだという西川史子さんは「サンデージャポン」(5月15日放送)で、次のように話した。
「テレビに出ることって、テレビに出ている自分と本来の自分とのギャップをどう埋めていくかということがあると思う。なんとなくタレントをやっている子だったら楽にできたかもしれないけれど、彼女はすごく頑張り屋さんで必死にやっていたから、うまくいかなかったり、何かあったりしたときに崩れてしまったのかな。でも、想像することは簡単ですし、それは本人にしかわからないことですけれど」


http://www.j-cast.com/2011/05/15095572.html?p=all
東京・新宿区歌舞伎町の飲食店で4月、暴走族の元リーダーの男らが、店に居合わせた知り合いの男性の頭を殴るなどし、けがをさせた疑いで警視庁に逮捕されていたことがわかった。
傷害の疑いで逮捕されたのは、暴走族の元リーダー・石元太一容疑者(29)ら2人。
警視庁の調べによると、石元容疑者らは4月8日、歌舞伎町1丁目の飲食店で、同じ店に居合わせた知り合いの男性に対し、「よく飲んでいられるな」などと言って、男性の頭を殴るなどし、全治1週間のけがをさせた疑いが持たれている。
その後、被害者の男性が警視庁に被害届を提出し、5月18日、警視庁が石元容疑者らを逮捕したもの。
事件当時、現場にはもう1人仲間がいたということで、警視庁が行方を追っている。

http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00199766.html
“貧乏アイドル”上原美優 「首つり自殺」の影に海老蔵事件?
週刊朝日 5月17日(火)14時42分配信

「彼女が売れ始めたころ、『貧乏』で『大家族』というキャラでネタも多く、重宝したんです。本人はまだテレビに慣れていなかったのか不安そうで、本番前に何回も予行練習をしていたのが印象的で……。普通の田舎のいい子という感じだったから、逆に芸能界に向いてなかったのかなぁ」

“大家族貧乏アイドル”上原美優さんの自殺の一報を聞いたテレビ局員は、そうため息をついた。

 5月12日未明、上原さんは東京都目黒区内の自宅マンションで、首をつった状態で見つかり、搬送先の病院で死亡が確認された。

 上原さんは鹿児島県の種子島出身で、10人きょうだいの末っ子。06年にレースクイーンとしてデビューした。09年に出した自叙伝では、暴走族だったこと、キャバクラに勤務したこと、失恋で自殺を図ったことなど、あまりに赤裸々な内容が話題となった。

 自殺の理由についてはさまざまな臆測が流れているが、明らかになっていない。日々のブログには明るく日常が綴られていたが、自殺の2日前に〈恋多き女だった私が、恋の仕方も、恋愛の仕方も、リアルにわかんなくなってる。てか完全焦ってるな私〉などと悩みを綴ったのが最後となった。

 昨年3月に母を亡くして以来、落ち込んで不安定だったという話もある。亡くなる前日、「もう種子島に帰りたい。お母さんの所に行きたい」と泣きながら電話してきたことを父親がテレビで明かしている。

 頑張り屋で寂しがり──。そんな人柄が語られる一方で、別の姿も見えてくる。上原さんと同年代で、同じく芸能界に身をおく女性は、こう話す。

「上原さんは西麻布や六本木の芸能人御用達のバーでよく飲んでました。でも、業界の女友達は少なかった印象です。タバコをスパスパ吸って、説教をしたりする男らしい性格でした」

 そうした場では孤立して見えた、と女性は続ける。

「面と向かってキツイこともハッキリ言うから、特にグラビアの女の子たちとソリが合わないみたいで、避けられてました。全盛期より仕事が減ってきたのを見て、仕事上近い関係の子が陰で『キャラ的に、もう厳しいよね』なんて言っていて……」

 昨年11月に起きた歌舞伎俳優・市川海老蔵の傷害事件で、「犯人グループ」との付き合いをウワサする声も上がっていた。

「上原さんは海老蔵事件の舞台となった西麻布のビルのダーツバーにも慣れた感じで出入りしていました。そういう人脈のウワサもあって、私の周りは深くかかわらないようにしていた。事件後、テレビ局が敬遠して仕事が減ったんじゃないか──などという説までまことしやかに語られていました」(芸能関係者)

 もっとも、所属事務所は「そのバーにも、しょっちゅう行っていたわけではないと思います。(事件の『犯人グループ』との)関係はありません」と言い、自殺の理由で思い当たることは「まったくない」という。

〈24歳思いっきり楽しみたいと思います〉

 誕生日にブログに記した10日後の死だった



http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20110517-00000301-sasahi-ent
上原さん自殺「津波衝撃映像が引き金?」芸能界に“震災被害”
夕刊フジ 5月18日(水)16時56分配信

 24歳の若さで自殺したタレント、上原美優さんは、さまざまな悩みを抱えていたと伝えられているが、「東日本大震災後に、津波の衝撃映像を見て、不安をつのらせていた。引き金になったのかもしれない」と話すテレビ関係者がいる。

 3月11日の震災後には、人気バンド「スピッツ」のボーカル、草野マサムネ(43)が、急性ストレス障害と診断され、公演を中止。「(震災の)想像を絶する被害の甚大さ、原発の深刻な状況などを目の当たりにし続けることで、本人に急激な過度なストレスが襲いかかり、精神的な障害にまで発展した」と公式HPで発表して話題になった。

 実際に被災していなくても、精神的に追い詰められている人をインターネット上では“エア被災者”と揶揄する書き込みまで現われる始末だ。

 「テレビの衝撃映像や、インターネットの仮想現実に囲まれた現代人特有の症状で、深刻です」

 こう話すのは精神科医の日向野春総氏。とくに感受性の高い人は要注意で、芸能人にも顕著だという。症状には3つのタイプがあるという。

 (1)常にテレビに出演する仕事の人は、震災の悲惨な映像を見て、自分もその場にいる姿を想像してしまう

 (2)ロケなど仕事で、被災した場所に行った経験のある人は、変わり果てた東北の景色を見ただけで、自分が体験したように感じてしまう

 (3)チャリティーやボランティアなどに自分が誘われなかったり、時間が割けない場合、行けないことによる懺悔の気持ちが強まり、自分を罰しようとしてしまう

 このように被災地以外でのPTSDの原因はさまざま。日向野氏のもとにも相談に訪れているプロダクション関係者がいるという。「治療は一筋縄ではいかない。様子がおかしかったら、励ましたりしないで、話を聞いてあげて、専門医に連れてきてほしい。アルコールは禁忌です。錯乱する可能性がある」と警告。「関東大震災や阪神大震災とも異なり、放射能という目に見えない不安も無意識のうちに追い詰めている。症状が出るのは、弱い人なのではなく、感受性が強いのだという理解が周囲には必要」と話している。


http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110518-00000016-ykf-ent
12日に都内の自宅マンションで首をつって亡くなったタレントの上原美優さん(享年24)の遺体は13日、鹿児島県内に住む姉の家に到着した。この日午後、上原さんを乗せた飛行機が羽田空港を出発。同県種子島に住む父親が単身、鹿児島空港で待ち受け、変わり果てた娘と対面した。

この日、50代の長兄が種子島の実家で取材に応じた。上原さんは10人きょうだいの末っ子。2人の年齢差は20歳以上。十数回しか会ったことがないが、最後に会ったのは母親の葬儀が営まれた昨年3月だった。

 上原さんが母親の死から立ち直れなかったのも、自殺の原因とみられている。「母親はスパルタ教育で厳しかったけど、固い絆で結ばれていたのでしょう」。最近まで一緒に暮らしていた姉が大阪に引っ越したことを挙げ「寂しさもあったのでは」と推測した。

 母親の葬儀で酒を酌み交わしながら「早く結婚したら」と勧めていたという。「絶頂時はいいけど、演技力があるわけでも学があるわけでもない。背伸びしていました。いっぱいいっぱいだってことは分かっていたから。無理しないで芸能界をやめて、結婚でもした方がいいと言っていたんですよ」。上原さんは「もうちょっと頑張る。仕事してお父さんを楽にさせてあげたいの」と話したという。

 上原さんは今年3月に行われた母親の納骨式で帰省する予定だったが、「仕事があるから」と欠席した。長兄は「きょうだいほとんど身を固めたから、妹もできる時に結婚させてあげたかった。(自殺は)突然のことで…。みんな驚いています」。淡々と語る口調は実感が湧かないようだった。

 上原さんの遺体は父親に付き添われて今日14日に故郷・種子島に戻り、同日夜、通夜が営まれる予定。


http://www.asahi.com/showbiz/nikkan/NIK201105140060.html
「芸能界でよく頑張ってやってきた」。葬儀で父の久男さんがまず口にしたのは、ねぎらいの言葉だった。
 故郷から遠く離れた東京で孤独と戦ってきた上原さんへの思い。続けて、志半ばで力尽きた娘に対する無念さもにじませた。
 「でも、もう少し頑張れなかったのか…。ファンや地元の方々にもっと恩返しができなかったかな。してほしかった」
 この日午前、上原さんとの最後の別れに集まったのは約70人。9人きょうだいがそろい、幼少時代をともに過ごした友人も駆けつけた。多くが悲涙に暮れるなか、久男さんは終始気丈に振る舞い、弔問客1人ひとりに丁寧に挨拶。だが心中は悲しみに沈んでいた。
 関係者によると、久男さんは13日に鹿児島で遺体と対面したときから、「何かしてあげられることはなかったのか」と何度も口にしていた。亡くなる数時間前に上原さんから電話を受けていたことにも、「切り際に『お父さん、早く寝なよ。おやすみ』と言われて安心してしまった」と後悔を募らせていたという。
 葬儀では、親交が深かった同級生の女性3人が遺影を前に弔辞を読み上げた。「いっぱい遊んだね。部活をよく一緒にさぼったりもしたね」と思い出を振り返り、「夢の中で会えたら会おうね」と“再会”を約束した。
 葬儀に参列した同級生の鎌田健作さん(23)は、「遺体の顔は眠っているようで、名前を呼んだら今にも起き出してきそう。今でも信じられない」とポツリ。「島外から駆けつける友人が多かった。わざわざ仕事を休んで来る子も。それだけ愛されていたんだなと思った」と話した。

http://www.sanspo.com/geino/news/110516/gnj1105160505012-n2.htm
上原美優さんの父 自殺の直前に待ち続けた娘からの電話
5月12日未明、東京の自宅マンションで、自ら首を吊って命を絶ったタレントの上原美優さん(享年24)。直前まで彼女は、父親である藤崎久男さん(79)と電話でやりとりしていた。このときの様子を久男さんに聞いた。
「亡くなる前日(5月11日)の午前11時45分ころ電話がありました。“種子島に帰りたい”とか“お母さんのところに行きたい”とかいうことをいって…。ず~っと泣くもんだから、これはなんかあるなっと思ってね。いままででいちばんひどく泣いていた。それでなんとかなだめてね。したら“種子島で生活する”っていい出したから、ぼくは“それじゃ明日、東京まで迎えに行く”といったの。それで“また夜にでも話し合おうね”といって一度電話を切りました」
まさに上原さんが亡くなる12時間前だった。久男さんはその日、日課の畑仕事もほとんど手につかず、あっという間に夜に。帰宅後も食事が喉を通らぬほどだった。
「いつでも電話に出られるように、ケータイを腰付けにしてたのよ。畑から帰ってから何度か電話したんだけど、出なかったので留守電残してたら、午後10時過ぎに電話がかかってきて、今度は朝と違ってものすごく朗らかな声で“お父さん迎えに来んでいいから。とにかく元気でいるよ。仕事にも行くから”というんで、ぼくも安心して“ゆっくりとお休み”といって電話を切ったんです」(久男さん)
久男さんは、毎日服用していた睡眠薬をここでようやく手に取り、休むことにした。結局、それが愛する娘との最後の会話となってしまった。
※女性セブン2011年6月2日号

http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20110519-00000003-pseven-int
●本当は助けて欲しかった?

 上原美優の自殺は原因が男性関係なのか、仕事なのか。誕生日から10日後、彼女はドアノブにベルトとスカーフを巻きつけて首を吊っていたという。

 気になるのは上原が10日夜にブログに書いた日記だ。「今日の空嫌いだったー」で始まり、「恋愛の仕方も、リアルにわかんなくなってる。てか完全焦ってるな私」と恋愛に悩む感情を吐露し、「皆さん今日の上原さんおかしいです」と精神状態が不安定な様子を語っている。明大講師の関修氏(心理学)が言う。

「10日も11日も東京は雨で、上原さんは灰色の空がイヤだった。情緒不安定な人が雨によって厭世(えんせい)気分になるのは精神医学の常識です。不安定になったのは恋愛で悩んでいたからでしょうが、仕事などでも心配事があったと考えられます。おそらく上原さんはマジメな性格で結婚願望が強く、“恋多き女”から脱皮して、一途に生きようとしていたのでしょう。だけど、なかなか理想の自分になれないので苦しんだ。そんなとき、人は恋人と仲たがいしただけで死を選んでしまうことがあります」

 関氏によると、木などの高いところにロープを掛けて首を吊るのと、ドアノブでは精神状態に違いがある。高いところに掛けるのはロープを直視し枝から外れないかを確認するため、覚悟を決めた計画的な自殺。

 これに対してドアノブは手間がかからずベルトなどが見えにくいため衝動的な自殺の場合が多いという。

「部屋で自殺したということは2つの感情が交錯していたと思われます。ひとつは自分を悩ませた人に自分の死を見せつけたいという気持ち。もうひとつはその人に助けてもらいたいという願望です。上原さんは交際男性が部屋に戻るのを待っていたのではないか。このように対立した感情が存在することを『両価感情(アンビバレンツ)』と言います」(関修氏)

 本当に死ぬつもりだったのだろうか。

(日刊ゲンダイ2011年5月13日掲載)

http://tv.jp.msn.com/columns/column.aspx?articleid=583221