住んでいる町で仕事をしているので、常に「自分は今どの立場か」を見失わないように心掛けている。
相談支援の会議に出る時は仕事の顔だけ。
子ども計画とか障害福祉計画の策定委員会では、保護者代表として。
私はたまたま結婚前から障害のある子や保護者の相談にのる仕事をしていたので、プロとしての線引きはしているつもり。
例えば、悩めるお母さんに対してハナから「うちの子の場合はね…」と軽率に言ったりはしない。
「うちの子」は単なる一事例にすぎず、ひとりひとり違うものなので。
と、原則はそうなんだけど、線引きし切れないこともありまして。
新しく近隣にできた介護事業所のヘルパーさんが相談員の集まりにご挨拶に来てくださったのですが、その代表の男性がそうちゃんが5歳からお世話になった方でした。
知った仲で和気あいあいとお話させてもらえて嬉しかったです。
強度行動障害のある人を対応できる事業所さんは少ないので、ほんとに頼もしい。早朝深夜、土日対応…相談員としてもありがたすぎる。
帰りに「そうちゃんは元気ですか」と声をかけられ、思い出の蓋が開いた。
心の中で、パカッて音がするように。
小さかったそうちゃんの手を引いて、ヘルパーさんたちが「行ってきまーす」って元気に歩いて駅に向かってくれたあの日々。その残像。
ああ、文にするだけで涙があふれる。
その時はお仕事中だったので、静かにそっとその蓋は閉めました。
感情の波はグッと押し留めて、続きの話。
施設で元気にしているけど、変化の少ない生活です。
いつかまたヘルパーさんにお散歩してもらいたいです。
「僕も会いたいです!」と言ってくれたヘルパーさん。
色々なことがありすぎた15年。
ほんとに調子が悪い時に、大学病院まで付き添ってくれたこともあった。
あの時はそのままそうちゃんが保護室に入院になって、私は病院に残り、一人で遠い道のりを帰らせてしまったのでした。
私の中では、一緒にこの難しい子育てを伴走してくれた同志の一人です。本当にそうちゃんは、たくさんの支援者さんに愛され守られて育ったと思う。
ああだめだ。
いっぺん蓋開けたらとめどなさすぎる。
わりと何でも理屈で考える方なんだけど、そうちゃんのことになると別で。
思い出が鮮明すぎるほど、重くて熱い塊が喉元より少し奥にドンと突っかかってしまうような切なさで涙が出る。
ちなみにこの塊、時間経過で小さくなると仮定はしている。なので、大きなアメをなめるように、ちょっとずつの涙で溶かして消化していくしかないと思っている。
まだまだだなー。私。
もっと修行しなきゃ。
全然関係ないけど、不登校支援を本格的に事業化できないか考えていて、脳が多動気味。
私がそうちゃんに直接やってあげられることはもうあまりないけど、そうちゃんにもらった力を借りて社会に恩返しすることはできる。
だから今は、お仕事頑張ろうと思う。これも脳内麻薬のせいか。ほどほどに、ですね。