コロナ感染が拡大する中、
豪雨がようやくおさまったと思ったら、
やっぱり蒸し暑いですね~。
天気が悪かったせいで、
身体がちょっと涼しさを知ってしまったから、
これでも豪雨前の暑さに比べたら全然マシなのに、
暑い暑いと言ってしまう欲の深さ!
人間って(私って)弱いなぁ
さて、今日は夫の命日です。
もう二年とはね
お盆のお参りも重なるから
三回忌は7月末に執り行いましたが、
ご他聞にもれずコロナのため
親戚も最小限だけ来てもらい、こじんまりと。
二年前の今日の事は、
(正確には二年前の昨日のことから)
ほぼ毎日思いだしてます。
8月21日、
午前中、
普段とても御世話になってるかたへの贈り物を買いに
一人で京都の大丸に買い物に行き、
昼過ぎに帰ってきましたが
夫はその日は休みでしたが出かけていて、
その後職場の人と懇親会があると言っていました。
で、私も夕方からまたもや
ボランティアの用事でちょっと遠方まで車で出かけ、
帰ってきたら夜10時ごろでした。
夫も帰っていました。
つまり、その日は朝出かけて以来
その時間に初めて夫と顔を合わせたわけです。
で、しばらくしたら、なんとなく、
なんか調子が悪いと夫が言い出し、
じゃあこんな時間やけど念のために
救急外来で診てもらう?ということで、
自分で車を運転して
(運転できる、大丈夫!と本人が言ったので)
一人で30分かからないくらいの赤十字病院へ行きました。
救急外来が混んでいたらしく、
深夜2時前に帰ってきて、特にどうということもなかった、
というので、
じゃあとりあえず明日かかりつけ医に
また診てもらえば・・・ということで
一旦お布団に入りました。
ああ!
寝る前に一度トイレの前で
バタンと倒れたんです。
えー?どうしたん?!
と思う間もなくすぐに普通に戻って
救急車呼ぶ?と聞いても
いや大丈夫 との答え。
本人がそういうなら、と
床についたのです。
ところが、
明け方5時くらいに
やっぱりなんか具合悪いから
病院が開くまでまてない、
もう一度行く、
なんかおかしい、なんかおかしい
と夫が言い、
今度は私が運転して夫は後ろの座席に
乗り込みました。
つっかけでいいか?やっぱり靴履かないと!
とか、普通に会話しながら乗り込み、
家を出て、ガラ空きの国道を走り、
途中で
病院の診察券、これ。 と私に渡し、
保険証これ、と私に渡し。
ハイハイ。
なんて会話をしながら
バイパスに入ったあたりで、
突然夫がウーーーンと呻きだしました。
え?
ちょっと!
どうしたん?!
〇〇くん!!
〇〇くーーーーん!!
(我が家では夫の事を名前で呼んでます。
あ、蛇足ですが子どもの前では「パパ」または「オヤジ」です)
アカン!!
こんな様子で病院まで無理!!
すぐに、バッグからスマホを取り出し
119に!!
その「1 」「1 」「9 」が、
なかなか押せない!!
手が震えて。
もちろん運転中。
やっとつながり、
状況を説明し、
「運転中ですがどうしたらいいですか?!」と
訊いた。
たぶん怒鳴ってたと思う。
そしたら、
「すぐバイパスから降りてどこかわかりやすい所に停めて
待っててください、もう向かってますから。」
との返事。
ちょうど出口があったため、そのとおりに降りて、
道路の脇に停車し、指示通り心臓マッサージをした。
ちゃんとできたかどうかなんて、わからないけど、
一応頑張った。
そうこうしてるうちに救急車が到着し、
車をそこに置いたまま救急車に同乗して病院へ行った。
病院には、そのすぐ近くに一人住まいをしていた娘が
もう着いていてくれた。
そこから息子たち(長男は台湾、次男は寝屋川)に連絡し、
今、心肺停止状態で、まだ頑張って対処してもらってる、と伝えた。
みんな、びっくりして言葉が出ない。
娘や息子は、みんな、あとで聞くと、
うちの老犬、トイプーのモコのことだと
思ったらしい。
長い間お医者さんが頑張って下さったようで、
待ち時間が延々と続いた。
でも、私は
もう、あの
うーーーーーん
と言ったときが
夫の最後だったのだと思った。
あまりの急逝に、
まったく実感がわかず、
どういうこと?
え?
何したらええのん?
今何をせなあかんの?
ばかり考えていたように思う。
その間に寝屋川の次男も着いた。
あちこちに連絡もした。
親戚や、私の知り合いもみんなびっくりしていた。
昨日一緒に飲み会した職場の人が
たぶん一番びっくりしていた。
検死の警察官が自宅も入られた。
もちろん建前だけかもしれないが、
死因もはっきりしなくて、
病院側から
「解剖すればわかるかもしれません」
と言われた。
家族で相談して、解剖はしないことにした。
先生から死亡と告げられた時も
看護師さんがかわいそうにと背中をさすって下さったときも、
まったく泣けなかった。
変。
なにか変。
そんな気持ち。
今でもふりかえって
「鬼嫁か、私」と思う。
その後、台湾にいた長男がその日のうちに帰宅し、
次男や娘も一緒に私を気遣い、
近所の人や親せきに助けてもらいながら
数日かかってすべてを終えた。
その後のこと。
ちょうどその日から10日後、私が息苦しくなってしまった。
苦しいし病院行こうかなぁ、と言ったら、
まだ帰宅したまま家にいた長男が
めっちゃ心配したらしい。
まさか母親まで急死するんじゃないやろな!
と思って青ざめたらしい。
病院に行ったら、
心臓弁膜症です、と言われ、
9月末に入院、10月1日に手術
なんてことになった。
そんなこと、あるねんな。
なんてひどい年や
試練多すぎ最悪
でも、
あれからもう二年かぁ。
早いなぁ~。
おかげさまで、今は元気にしてます。