どうも、私は日記の公開が遅く
タイムリーにブログに乗せたいのですが、今回も今日ではなく
先月の11月18日から23日までのお話なのです・・。
先日事情がありまして、急遽行って参りました、
アメリカはSanta Barbara・・。
そう、近くに・・ネバーランドが有り
マイケルジャクソンの邸宅があるところです。 フォー!
マイケルのファンからすればメッカ?
とも言える場所です・・・(メッカとは言わないか・・)
で、その時の日記をちょっこと公開させて
いただきたいと思います。
そもそも何でアメリカへ??なんて、ブログで事情をお話すると
プライベートそのものが まる裸なのですが
この春 日本の大学を卒業した長男が、かねてからの夢を追いかけ、親不孝にも??!
アメリカに飛び立ったのが、さる6月2日の事・・。(blogにもありますが・・)
またその長男がこの度風邪をこじらせ
あちらで「セキ喘息」なるものを発症し・・というさわぎに?!
(ま、大丈夫だったのですが・・)
結果、孫が心配でたまらない、おんとし78歳になる義理母を連れ
いざアメリカへと、あいなった訳です。
まあ、これが・・・ツアーでしか旅行なんてしたことが無い私・・・。
まして 子連れ ならぬ高齢の親を連れage78♪♪
加えまして、サンタバーバラへ無事たどり着くには、
短時間のあいだに サンフランシスコ空港で国内便に乗り換え などと言う、
大技をやってのけなければなりません。
勿論 英語はおろか、近年は年のせい??で日本語もままならず
流暢なのはOSAKA弁のみ・・・・。
どないなるんやろぉー OH- DO NA I NA RU・・???
しかし、そんな事も言ってられず、
「案外海外でもOSAKA弁は通じるでぇ~」 などと言う、全く根拠の無い
関西人独特の?エールを唯一心の支えに??
関西空港を飛び立ったのでした
さて、不幸とは重なるものでして・・満席の機内の中、
長いフライト時間の間、映画でも見ましょうと、ビデオのスイッチをするも・・・。
ん?ん??・・・点かない・・えええっ・・・
そ、そんなはずは無い・・こんなに沢山ある機内席の
私のビデオだけ見れないなんて・・そんなことあるはず無い・・。
まずは落ち着こぉ~・・・・飛行機なんて・・これまでも乗ったことあるやん・・。そうやん。
そ、そう。きっと点く・・。お・ち・つ・い・て・・・再度・・・・・。・・・。し・・
しかし・・・あるんです。こんな事・・。
結果・・
Please Accept Our APOLOGY「我々の謝罪を受け入れてください」
と言うプレゼントカードを、それはそれは でっかぁーい外人の客室乗務員さんから頂戴し、
終始 太平洋の飛行機の位置確認のデータを眺めながら
約9時間エコノミーで過ごした訳です・・・ そう・・ ・・じ・ご・く・・
まあ、そんなこんなで、なんとか無事に78歳の義母と
サンフランシスコに到着!!
そこからは、恐怖の入国検査です。 で?なぜ恐怖か??と言いますのも
長男は、日本に居た時から 非常に髪のケアに敏感で
(と、言うのも彼の父方の親戚が←こんな??だった事もあり)
隔世遺伝の恐怖からか?異常に若い頃から、特にヘアケアには注力しており、
今回の私達の渡米にあたり
以下 Skypeでの会話
長男 「母さん、お願いがあるねん・・渡米するとき持ってきて欲しいものがあるねん」
私 「なに?」
長男 「あんな、こっちってな、サクセス売ってへんねん。
でな、もし売ってたとしてもおそらく高いからな、
悪いけどまとめて買って持ってきてくれへん??たのむわ」
私 「サクセスか・・わかった・・。」
で、その話を義母にしたところ、初孫にあたる長男が、かわいくてたまらない義母は、
義母 「よっしゃ。もてるだけ持っていったろー!!任せとき・・・」てな具合で
渡米当日用意した、義母のスーツケースの中には、なんと!
「花王サクセス」が6本もぉ~!!
そして、勿論息子が可愛い??!親ばかな私のスーツケースにも
なんと5本・・・。 でもぉ・・・・
でも・・・・これって・・・・・この荷物って・・・・どう見ても → 怪しい・・・。
スプレー缶11本って・・・どう考えてもまるで・・・・素人の荷物ちゃう・・・・・。
明らかに「sight seeing」の荷物でも無い・・・。
こんなん・・怪しすぎるし・・・・・。もしかして???? つかまる?・・。
ちょっとした・・・テロやん?!に間違えられるやん・・。
息子に逢いたいだけやのに・・・。
またしても・・
OH- DO NA I NA RU・・???
で、いよいよ入国審査へ
しかし、拍子抜けするほど意外にあっさり荷物は通過
はぁーーよかったぁー!!!
この後も、なんだかんだで、広い空港で迷いながらも、
何とか無事に国内線に乗り継ぎ、義母と二人、愛息が住む
アメリカはSanta Barbaraに
たどり着いたのでありました。
そして・・息子は風邪も治り、4人のアメリカ人とルームシェアをしながら
現地の大学へ元気に通っておりました。