こんにちは~(*^▽^*)


今日は雨が降ったりやんだりなこちら福岡です。

でも風が強いので、洗濯物がすぐ乾いてくれました。

雨が風で飛ばされてこないうちに取りこめてラッキーでした。




さてさて、先日のご報告よりこちら、

いろんな方からお祝いの言葉をいただきました。


リア友たちにも、そして親戚たちにも、ようやく報告できてホッとしています。

もちろん、今まで仲良くしてくれたブロ友さんたちにも。








そこで、以前から考えていたことを書こうと思います。



お進みいただける方のみ、以下の内容へとお進みください。












↓↓↓














































実は妊娠が分かってから、新しいブログを同じアメブロで立ち上げています。


調子がいいときも、そうでないときも、

なるべく今の状態を書き留めていこうと思いまして。


いち早く、アメンバーさんや近しい身内友人にはお知らせしていました。




こちらで広くお知らせできなかったのには理由があります。


とてもデリケートな生活が始まるので、

精神的にも肉体的にも安定した状態でいたかったからです。



ブログというのは不特定多数の方が行き来できます。

自由な交流が可能な一方で、とても残念な事態になることも多々あります。

それは以前のブログを閉鎖して このブログを立ち上げた原因の一部でもありました。


また、このブログに遊びに来てくださる方の中には、

ベビ待ちをされている女性や、二人暮らしがメインの生活をされている女性、

その他、さまざま事情のある方々もいらっしゃいます。

皆さん、とてもデリケートなお気持ちを抱えていらっしゃいます。


そうした皆さんのことをできるだけ考えたかったからという気持ちもありました。






でも、私にはすべての人たちに気を配るという心の余裕はありませんでした。


なぜなら、妊娠したときから 持病との新たな闘いが始まったからです。




アメブロで私の持病のグルっぽに参加したり、

偶然知り合った病気のある妊婦さんたちと交流したり、

初めての妊娠で分からないことを先輩ママさんたちに相談したり。


手いっぱいでした。



実際、持病からくるものなのか、手のこわばりは治まらず、膝はとても弱いです。

それでも前向きに。


「ベースケ(おなかのお子)が来てくれたからこその症状」


そう思えるのも、Jちゃん(旦那さま、29歳)や義両親、両親を始め、

たくさん支えてくれる回りの皆さんのおかげだと感謝しています。






いつ、こちらのブログでお知らせしようかなと、ずっと考えていました。

このまま産まれるまで、こちらのブログは何も言わずにお休みしようかなとも思いました。

たぶん、新しく作った妊娠ブログのほうがメインになるからです。


そんなとき、ある友達がメールをくれたんです。




「Mっきーと同じように、病気を抱えた人がこのブログを見てるかもしれないよ」


「病気を抱えていても妊娠できた、頑張っているっていうこと、なんらかの力になるんやない?」


「諦めていたり、泣いていたり、回りから責められたり・・・そういう人もおるかもしれん」


「だとしたら、今の状況を書き留めてその経過を見てもらうのもいいんやない?」




そのとき、思い出しました。

妊娠ブログのほうに寄せてもらったコメのこと。


持病を抱えていて、今まさにベビ待ちしている女性からのコメ。

婚約していて、病気を理解してくれるパートナーと一緒にこれからを考える女性からのコメ。

今は彼氏はいないけれど、持病と付き合いながら仕事や結婚などを悩んでいる女性からのコメ。


私が今まで辿ってきた道・・・至るところで共感でき、そして共感してもらっています。


「励みになります」


この言葉がとても嬉しく響きました。


私のほうこそ、そういう言葉がとても励みになります。

同じような女性がおるんやなぁ~って思うだけで、なんだかとても力強いのです。


病気って、たとえ同じ病気であっても症状は人それぞれ。

それでも、

「頑張る気持ち」は同じです。





私が14歳の誕生日目前に発病して、14歳の誕生日を病院で迎え、

県立病院から大学病院に転院してから今年で20年。

ついこないだ人生の半分お付き合いしてきたんだなぁ~って思ってたら、

あっという間にそれを過ぎて、もう20年かぁ。


発病時の入院中、母は毎日 ノートに私の病状を書き留めてくれていました。


とても簡単な内容で、

時間別の体温測定、トイレの回数、食事の量や進み具合、点滴の回数、薬の量。

どのくらい横になっているか、歩くときのふらつき、睡眠時間。

私との会話、見てとれる表情。

先生の回診、学生さんとの会話、診察内容、その他。


とても簡潔に、日記というよりはメモのようなかんじのもので。

大学ノートの小ちゃいバージョンのノートに、1ページが一日分で毎日毎日。


私の意識がはっきりし、母の付き添いがとれ、家に帰るときに、


おでんくん 「これ、毎日付けなさい」


そう言って手渡されたノート。

母らしい内容、母の性格そのものの内容に、少し笑いました。

それと同時に、

付き添いがとれて一人になってからは、今度は私が自分で毎日書き留めることができるように、

分かりやすく作っていてくれたんだなぁ~と思いました。


その淡々とした書き方に、母の押し込めたいろんな気持ちが見えた気がして、泣けました。



私の中ではいつまでも永遠に「おかん」ですが、

このときの母は38歳。

今の私と4つしか変わりません。

突然に娘が難病にかかり、完治しないと告げられて、どんな気持ちやったんやろか。

県立病院から大学病院に転院するということすら、田舎の家族にとっては一大事で。

弟たち二人もおったし、末の弟なんてまだ就学前。

それでも涙ひとつ見せなかった母でした。

(父はよう泣いてたけどな~)




そのノートが全部埋まる前に、退院しました。

自宅療養になりました。





今回、妊娠ブログを書いていて、そのときのことを思い出しました。

あのときの母の日記(メモ)のように、客観的な観察や事実のみではない私のブログ。

いや、そのほとんどが気持ちや感情やなんやかんや。


親子なのに、全然違うなぁ~(´∀`)


でも、あとで読み返して、そのときのことがよく分かるのは、

母のノートも私のブログも同じ。






もしよければ、新しいブログに遊びにきてください。



こちらから⇒「おかあさんになるんだ。」



こちらのブログは、お休みします。

どうぞよろしくお願いします。