「ストレスに強くなりたい」
そう思ったことはありませんか?

おなじだけのストレスにさらされても、病気になる人とならない人がいます。
しかも「ストレスに強い」という言葉には、「前向き」や「楽観的」などの良いイメージが、一方「ストレスに弱い」という言葉にはどことなくネガティブなイメージが付きまとう物です。
ストレスに強くなれたら、と考えてしまうのも無理はありません。
ですが、ここには一つとんでもない誤解が存在しています。

私達は、何故かストレスへの耐性を、忍耐力の有無とひとまとめにして考えてしまう癖があるのです。
そして日本人というのは、忍耐とか根性とか努力という言葉が大好きな民族なのです。
だから一昔前、社会に間違った誤解が生まれました。

それが「鬱病=甘え病」という、散々な認識です。

そのイコール部分をひとつずつ整理するとこういうロジックが見えてくるはずです。


ストレスで病気になる

忍耐力が足りない

根性で耐えるべき

努力で治すべき

それでも病気にかかるなら、それは甘えである


この論法から「鬱病=甘え病」は生まれてしまいました。
社会の風潮が変わりはじめ、だいぶ鬱病が病気であると認知されるようになってきましたが、これはとても根深い問題なんです。
心当たりのある方も多いのではないでしょうか?
この論法、何より病気に苦しんでいる本人が、時として自分を責め、傷つけるために使ってしまうのです。

一番最初にはっきりと宣言させて頂きますが、あなたは弱くありません。
甘えているわけでもありません。
実は、鬱病というのは弱い人がなるものではなく、強い人の方が患いやすいという、とてもややこしい病気なんです。

ちょっと冷静に考えてみてください。
鬱病に悩んでいる人は、とかく自己評価が低くなるものです。
「悪いのは自分だ」とか、「なんてダメな奴なんだ」とか、そんな風にしょっちゅう自己嫌悪にかられているかと思います。
これは、とても辛いことですよね。
自分をどん底まで責め続けるのは、本当に辛い作業です。

でも、気付いて下さい。
あなたが責めているのは「自分」です。

ストレスの原因を罵ることも、もちろんあるでしょう。むしろ、その方が自分のためにはいいんです。
怒りは気持ちのいい感情ではありませんが、自分を傷つけようとはしません。
怒っていた方が、よほど元気でいられます。

ですが、鬱病の方が一番時間を費やして責めるのは自分自身です。
甘えている人が、そこまで自分を責めるでしょうか?
そもそも、甘えというのは、「自分は何をしても許される」という、子供のような心理状態で生まれるものではありませんか?
矛盾していますよね?

そして、もう一つ。
今度は逆に考えてみてください。
もし、あなたがストレスの原因を罵り、自分は何をしても許されると本気で考え、悪い事が起きた時は全て人のせいにする……そういう甘えた人間だったとしたら?

あなたは病気になったでしょうか?

忍耐力があったから病気になるまで我慢を重ね、努力家だから自分の悪いところを改めようと欠点を見つめてしまっただけです。
それは、決して悪い事ではありません。
むしろ、とても真摯で純粋な考え方ではないでしょうか。

鬱病にかかる人は、決して甘えた人間ではありません。
心には何も問題がなく、無理に楽観的な人間を目指す必要もないんです。
ですが、自分を傷つける思考回路しか生まない病気は治さなければなりません。

鬱病は「心の病」と呼ばれますが、あなたの心は病んでいないんです。
むしろ心が純粋だったから、負の思考回路を生む病気に蝕まれてしまいました。
病気を理解して克服するために、この事をしっかりと覚えていて下さい。

心の病も、甘え病も、本質を理解していない人が雰囲気だけででっち上げた架空の病気なのですから。
鬱病の最大の原因はストレスです。
当たり前のことですが、ストレスが何もない状態なら病気にはなりません。
では、そもそもストレスって何なのでしょうか?

この言葉は元々物理学で使われるものでした。
本来は「物体に圧力を加えた時に生じる歪み」を意味する言葉だそうです。
空き缶を思いっきり蹴っ飛ばせば凹みます。
この凹みが「ストレス」です。

一方、私たちがよく使っている「ストレス」というのは、心や体が、外からの刺激によって歪んでいる状態を表します。
針でチクンと刺されれば「痛い!」と手をひっこめますし、汚れた場所に入らなければならない時は「嫌だなあ」と思いますね?
また、美味しいものをたくさん食べたら「幸せ!」となりますし、宝くじが当たれば「嬉しい!」と喜ぶはずです。
これらの反応を「ストレス」と呼びます。マイナスに傾くことだけではないのですね。
針のように、ストレスを引き起こすものを「ストレッサー」と呼びます。
ストレスが何もない状態というのは、なーんにも考えず、痛くもかゆくもなく、楽しくも辛くもない、白紙の状態なわけです。
俗にいう「無」の境地というやつですね。

では、私たちが普段使っている「ストレス」という言葉はどうでしょうか?
悩み事がある時、「はあ、ストレス溜まるなあ」と思いますよね?
暑すぎたり、寒すぎたり、どこかが痛かったりしても「ストレス溜まるわー」と思います。
「ストレス」は「溜まる」とセットで使われることが多いんです。

ここで思い出してみてください。

ストレスは歪み、外からの刺激に対する反応です。
人は生きているだけで、絶え間なく刺激を受け続けているんです。
外界からの刺激から、一切シャットアウトされている人などどこにもいません。

「暑い」「寒い」「眠い」「お腹が空いた」

これらは生物が生きていくために、なくてはならない「ストレス」なんです。

例えば気温50℃の砂漠に放り出されてしまったらどうなるでしょう?
「暑い」と感じることが出来なければ、日陰を探すこともありません。
そのままじっとしていたら、100%干からびて死んでしまいます。
永遠に起きていられる方が便利そうですが、もし「眠い」と思わなかったら?
人間の場合、徹夜は5日間で限界だそうです。
それを超えて起きていた場合、次の眠りは覚めない眠りになってしまうわけです。

「ストレス」がなければ、生き物は生命を維持することができません。

ですが、現代社会はどうでしょうか?
「ストレス」を押さえつけてばかりではありませんか?

病気でも休まなかったり。
痛みを鎮痛剤で誤魔化して堪え忍んだり。
涙が出そうでも笑わなければいけなかったり。

生きるための反応を、意思の力で我慢する。溜める。
それは、頑張って生きようとしている体を、ひどく混乱させる行為だとは思いませんか?

しかも、ここは日本です。
堪え忍ぶことを美徳とし、和と協調性を尊ぶ国です。
それは世界に誇れることかもしれません。
でも、世界には暑ければ休む国がたくさんあります。
その人たちと私達は、だいたい同じような作りの体をしています。大陸は違えど、猿から進化した人間、当然のことです。
南国やアフリカの方々の体型を思い浮かべてみてください。
同時に、服装もなんとなくイメージしてみてください。
その人たちのアスリートみたいな体や、がっしりとした体型は、朝から晩まで気温が40℃を超えてもスーツ姿で働く日本人より、よっぽど恵まれていますよね?

それほど強靭ではない体で、常に外界からの刺激を受け続け、反応は表に出しちゃいけない。

この歪み切った状態を維持し続けて、当然のこととして受け入れなければいけない。
これが「ストレス社会」ってやつです。

そして、ストレス社会から生まれた病気が、鬱病です。

生きようとしている体を混乱させ続けた結果、本能が一番避けるはずの「死」という選択肢が浮かぶほど生命維持機能が狂ってしまっただけなんです。

あらかじめ言っておきますが、狂った機能は調律すれば元に戻ります。

機能はなくなったわけではありません。
もちろん、機能が正常に作動しなくなったのは、あなた自身のせいでもありません。
社会そのものがすでに歪んでいるだけ。
まさしく「ストレス社会」っていうだけのことなんです。

病気を治すためには、まず原因となっている環境を把握してください。
ここは間違いなく「ストレス社会」ですよね?
そしてこの環境は、寒いところに居続けた人が風邪を引くように、居続けた人を病気にしてもおかしくありませんよね?

病気の自分を否定する前に、まずそのことに気付いてみてほしいんです。
そこから病気の攻略方も、この社会の攻略方も、少しずつですが見えやすくなっていくと思います。
鬱病の一番辛いところはどこでしょうか。

気分が沈んで晴れないところ。
天気が悪くなると、心臓がバクバク鳴りはじめるところ。
何も起きていないのに不安でたまらなくなるところ。
自分が嫌いになるところ。
死にたくなるところ。

ほんの一例をあげてみただけで、こんなに色々あります。
どれもこれも絶望感が漂っていて、嫌な気持ちになるものばかりです。

でも、当時の私が一番辛かったのは「治る方法がわからない」ことでした。

病院には行きました。
薬もたくさん飲みました。
鬱病に関する勉強もしたし、辛い時は無理せず休みました。
それでも治る気はしませんでした。
治る気がしないから、余計に不安になりました。
その繰り返しを5年。

今思えば、それも仕方のないことだったと思います。
自己肯定ができなくなるというのは、鬱病の立派な症状のひとつです。
「治りそうな気がする」そんなポジティブな考え方は病気がさせてくれないのです。

そこで行きついたのが「屁理屈療法」でした。

療法などといっておりますが、要するに、ただ屁理屈をこねるだけです。
ありとあらゆる知識を総動員し、ストレスのメカニズムや病気の原因を突き詰めて考え、病気が治りやすい精神状態を維持するために都合よく解釈しまくる。
それが「屁理屈療法」です。

鬱病にかかる人は、深く物事を考えてしまう傾向にあると言われています。
気楽に、悩まずに暮らした方が、心に負担はかからないとも言われています。
私には、あまり悩まず、負担をかけないように病気を治していくことはできませんでした。
考えすぎるがゆえに病気を抱え、病気のせいでまた考えすぎ、考えないように心掛けても考えてしまう自分にげんなりするばかりでした。
それならば、病気を研究するつもりで屁理屈を並べている方が楽だったのです。

闘病生活を思い出しても、もう鬱には戻らないだろう。
ようやく、そう思えるようになりました。
そして、今苦しんでいる人に、少しでも楽に今日を過ごしてほしいと思うようになりました。

私は専門家ではありません。
このブログに書こうとしているのは、治療法ではなく、今の気持ちを少し楽にするための雑学みたいなものです。
データ的な物、病気に関することでは一切嘘をつきませんし、可能な限り正確な情報を書いていきますが、それ以外の箇所では多分に推測や自己解釈もそれっぽく書くことになると思います。
読んで下さる方を騙して不快にさせるつもりは全くありませんが、研究に研究を重ねた真実でなければ受け入れられないという方は、これ以上は読み進めないで下さい。
とても無駄な時間を過ごすことになってしまいます。

逆に、屁理屈療法が向いているのは、以下のような方だと思います。

病気を客観的に捉えたい人。
自己否定が癖になってしまっている人。
考えないことがストレスになる人。
文章を読むと嫌なことを考えなくて済む、という人。

たいそう胡散臭い話ですし、実際に私は医師でも研究者でもありませんので「病気を治します」とは言えません。
ですが、病気に振り回されることなく生活するお手伝いはできるかもしれません。
考えすぎてしまうばかりだったあの頃の自分が、少しでも誰かのお役に立てれば幸いです。