先日、giveについて書いていたら、色々思いついてきたので続き。
普段は英語講師として授業している立場ですが、ある時ふと
「私がやっている毎回の授業って、、、これって、、もしかして、私のステージみたいなものじゃない?歌のステージと同じような・・」
と思ったんですね。。
「目の前にいる人に届ける製品が、音楽であれ英語であれ、、見かけは違えど本質は同じじゃん!」
「その本質とは、こちらが届けるサービスを受け取ったお客さんが幸せになりますようにというもの」
「だったら、英語を通じて目の前の生徒が喜んでくれますように」
「英語が苦手でも、せめて元気になって帰ってもらえますように」
「・・という「心を込める」ということを、何より大切にやっていこう」
と、授業前に必ず祈るというか、念じるというか、歌のステージで習慣にしていた自分なりの「儀式」をして授業に望んでいますが「もしやこれは私なりのgive になってるんじゃないか??」と先日ブログを書いたときに気づいたのでした。
そうして続けていると、明らかに生徒の顔がニコニコしているのです。。
子供は大人よりも敏感で、こちら側の心を鋭く見抜くのです。
(もちろん、生徒みんなが私と相性の良いというわけではないけれど)
彼らのニコニコ顔を見ていると、こちらも嬉しくなって元気になります!
giveしているつもりが、逆にこちらがパワーや元気をもらったり喜びをもらったりするのです!
そうしているうちに、生徒だけではなく「私のクラスに来る全ての人が癒されたり、ちょっとでも元気になって帰ってもらえますように」と祈る範囲がドンドン広がって行きました。「この学校にいる全ての皆さんが沢山の幸せと喜びの訪れの多い人生になりますように・・」。目の前の生徒のニコニコ顔がうれしいので、私の周囲の笑顔を増やしたい、と欲張ってきます・笑。
そんなこんなで、いつの間にか自分の心を「皆さんが喜んでくれますように」とドンドン広げていくことによって(giveしていくことによって)、なぜか、自分自身の心が潤い、ホッとして、授業が終わると元気になって帰宅につけるのでした。
結局、giveしているつもりで何より自分が癒されていたのでした・・
実は、自分が与えられていたんだと気づきました。
give していると自分が与えられていくみたい・・・そんなカラクリを、音楽活動をしていく中で得て行きました。
歌は、大小ステージの場数をたくさん踏ませて頂き「目の前にいるお客さんに喜んでもらえるように、きてくれた皆さんが私の歌を聞いて幸せになりますように」と毎回念じ、本番では「心を込める」ということを現場でずっとやってきていました。。
もちろん、大きいステージなんて滅多になくあっても競争率が激しく、どうしても地元の民謡歌手が有利。
地元人ではない私は、どちらかというと立ち位置は弱く悔しい思いも多かったのでした。
しかし、それはしょうがない、、、単純に「私と場のミスマッチ」。ホントなら転職するのでしょうが、転職先がありませんでした笑。
なので「ステージの見かけで差別しない。どんな場でももらえるだけでありがたい」と思い直して上記の祈りもずっと続けて歌っていました。
明らかに、これは私自身の精神修行(give修行)だったと思います。
いいステージで歌おう、という事ばかり考えるのではなく「どんなに小さい場でもひとが喜んでもらえるような、いい歌を歌えるような風になろう」を信条にやってきてました。
本当にレベルの高いことを学ばせてもらった機会に、今はありがたいという気持ちしかありません。私が歌を通じて学ばせてもらった事は、歌のみならず全てのビジネスや物(事)に共通する一番大切な本質なんだと思います。
今の世の中、似たような製品が溢れている時代です。
しかし、そんな中でもお客さんが「また欲しい」と思う製品は、作り手の「この商品を使ったひとが幸せになりますように」という心がこもっているか否か、そこが一番のポイントなのではないか、と思うのです。
しかし、そんな祈りの心を忘れて、
●自分が(我)儲けたい
●自分が(我)認められたい
●自分が(我)成功したい
自分が、自分が、自分が・・・・etc
という、自分のことだけ、、ばかり考えているひとがその商品を作って販売しても、きっとその商品は良いものになりにくいのではないか、と・・。上記のような気持ちがあるのは悪い、という意味じゃなくてこんなの誰にでもある事なので全然良いのですが、今まで自分にだけ向けていた内向きのベクトルを、ちょこっとだけでも外側に向けてみるという練習をやってきました。
give and take じゃなくて
give and give
giveさえ考えていれば、、自分が得ようとしなくても、あとは勝手に不思議に与えられていくようでした。
そんな話を友人と語り合った時に「自分が出すばかりで報われなかったらやる気なくすじゃん」と言われ。。
「もちろん、その気持ちはよくわかるんだけど、、こういうのはその目先だけを見ていたら損に見えるかもしれないけど、、、長い目で見ていると、それ以上の物が、別の方向から突然与えられたりするもんなんだよね」と言いました。
Aにgiveして直ぐにAから必ず返ってくる、というもんでもなくて、c,d・・方向からやってきたりするものなのでした。
例えば、お風呂に浸かってお湯を自分の方に両手で持ってこようとしたら、その分のお湯が自分から逃げて行き、
逆に、お湯を押し出すように、していたら結局まわりから新しいお湯がドンドン流れ込んでくる、という・・
もう、、、本当にこの世の法則はシンプルです。
いかにして、お金・労力を爽やかに気持ちよく出せるか、そこだけ。
私たちが、シンプルな事をわざわざ頭を使って複雑に難しくしているだけなんだ、ということもわかってきました。つまり、「失うんじゃないか」という恐怖心です。どうやら、その恐怖心で自分から出さないように、出さないように、、と自分だけ得しようとケチったりったり、自分だけたくさん儲けようとしてため込もうとしている人は、結局失っていくようだ、というのも周囲を観察してわかってきました。
(かといって、自分の身の丈を超えてgiveする、という意味では決してありません。あくまでも自分に無理のないgiveの話です)
PS
最後に・・ここ最近また新たな気づきがありました。。
「giveすれば返ってくる、人の幸せを祈れば自分に返ってくる」とはいうけれど、実はこの人が幸せでありますように、と「祈れる人がいる事」そして実際「祈る、という行為ができる事」・・ただそれだけで、なぜか??なんだか嬉しくてありがたいな、と思える自分がいるのですよね