夏の怖~い話です
いえ、あたしの話なんですが。
仕事でちょっとミスをしたとき、あなたはどう思っていますか?
①やっちまったか、残念だが仕方がない。誰にでもあることさ。この先ミスをしないように注意したり対策をしよう。これは、自分の伸びしろだ。
②やっぱり、あたしはダメ人間なんだ。これってもう2回目のミスで注意だよね。どうして過ちを犯してしまったんだろう。なんて馬鹿なの?だからあたしなんて大嫌いなのよ。いなくなればいいのに。
極端な反応を書きましたが、あたしは断然、②のタイプでした。
人間は、基本的にミスをする動物です。
ミスをしてはいけない場所、例えば手術中のお医者さんや新幹線の運転手、高速道路のトラックドライバーなど、沢山の職業がありますが、どんなところにもミスは潜んでいて、様々な事故が起きています。
現場の皆さんがミスをしようとして起こすことは、大抵ありません。
どんなに注意をしていても、ほんのちょっとした瞬間にそれは訪れてくるものです。
ですから、現場ではあらゆる対策をしています。
大事なのは、自分を責めることではないのです。
あたしのおとうさんとおかあさんは、あたしのことをよく叱りました。
弟たちの前だろうが、子供のやる事でしたからそれをやってしまった時にすぐに叱られました。
お父さんの見ているテレビの前を、幼いあたしが横切った時、お父さんはガラスの灰皿を投げて顔をかすったので、あたしが泣き出したことがあるそうです。
いえ、さすがにこの時は、お母さんがお父さんの横っ面を張り倒したそうですが。あはは。
お母さんは特にあたしの細やかなところに、いつも一緒でよく気が付きますから、あたしは本当にいつ叱られるかわからなくて、いつも緊張している毎日でした。
だから、時々泊まりに行くおばさんの家で、従妹たちがおじさんやおばさんと家族みんなでゲラゲラ笑っていたり、おばさんに言葉をかけてもらうときはそれはもう嬉しくて、あたしはよその家に一人でお泊りに行くことがすごく楽しかったのです。
親の話によると、あたしは、2才の頃から一人でおじいちゃんの家に泊まったりして預けられることがあったとのことでした。
大人というか、おませさんだとも言われていました。
だって、この状態で無邪気に子供なんてしてられませんよ~。
子供だって、この家で生き残りをかけているんです。
親から離れたら子供は生きていけないんですから。
でも、よその家では、あたしは一人の子ども扱いでした。
自分の家で、お姉ちゃんだから我慢しなさいだとか、お母さんがこうしていたら、すぐに考えて次に何をして動いたらよいか考えなさいって叱られることはありませんから。
まあ、他人の子供を突然叱ったりする人もいませんし、お客さん扱いですからそれはそれは嬉しかったのだと思います。
だって、お母さんにもお父さんもかまってくれる時は叱られてばかりで、弟たちは同性同士でよく二人で遊んでいたのですから、あたしは家族の中で孤立と同じだったのです。
寂しかったですよ。
家族がいても。
子供ですしね。
親なら、子供をちゃんと躾けなければならないと思うところもあるでしょうし、将来にまで責任を負わなければならないのですから、当然のところはあるので仕方がないというか、程度問題ですが、あたし自身は、そんな親心とは別に委縮してしまったのですね。
しじゅう、何かしらと叱られるので、保育園から一人で帰ってきて、まだ誰も帰っていないときの少しの間のお留守番でも、緊張から解放されてとっても居心地がよかったのを今でも覚えています。
あたしには、弟が二人いたので、お父さんとおかあさんは、そちらに集中したかったようです。
あたしのような幼い子供でも、一人でも手がかからないようにしたかったようです。
後で聞きましたが、あたしが一回ギュッと叱れば同じことを繰り返さない子供だと気が付いたので、大したことでないことでなくてもぎゅうぎゅう叱ることにしたと。
両親の教育方針だったといいます。
弟たちのほうが、男の子だし、いたずらも凄かったのですが、(と、あたしは思っています。)なぜか朝から晩まで「よいこ」をしようと必死になっているあたしのほうが、良く叱られていました。
まあ、弟たちは叱られる時、いつも一緒に叱られていたので、あまり怖くなかったらしいですよ。
それから何年も経ちました。
高校の頃、あたしの家に友達が遊びに来てくれた時に、友達が帰りの列車に乗り遅れそうになりました。
あたしは、その時刻を聞いていたのに楽しくて忘れてしまったのです。
「ごめん。あたしが悪かった。ご面なさい。」と、内心メチャクチャ落ち込んで言ったときに、友達が、「和光のせいじゃないよ。自分が乗る電車のことなんだから。」と言ってくれました。
「え?そうなの?あたしは、悪くないの?」
あたしは、家の中で起きる色々なことの責任を、いつの間にか感じるようになっていました。
だって、いつ怒られるかわからないと、もう最初から怒られた状態でその気持ちになっているほうが、ここから先のショック耐えられるような感じがしていたからです。
最悪を想定して、責任を取って怒られた気分になっておく。
そんな感じです。
基本は、一回叱られた事はしない。
そして家の中で起きたことは、あたしに責任がある。
この感覚は、子供の頃からあたしの基本姿勢となっていました。
それが、カウンセリングの先生が、「和光さんは、家の中の取り持ち役を振られたんだよ。そういう役割ね。」と言われたときに少し驚きました。
あたしは女優
じゃなくて、あたしの家族の中での立場のことです。
おかあさんは、怪我が多くて耳に障害があって、あたしにはとても気が難しい。
おとうさんは、夜遅くまで働く努力家でしたが、烈火のごとく怒ってスパルタで女子のあたしをも叩くし長い説教をする人。
理詰めで、おとうさんの言葉を飲まない限り延々と続く説教。
弟たちは、男の子ふたりでいたずらっ子でよく手がかかる子供。
この家の中で、あたしは弟たちが問題を起こさないように見張るとか、お母さんの機嫌を取るとかお母さんが忙しくてできないところを手伝うなどの、家族の隙間をうまく埋める役割を振られていたそうです。
でも、子供のあたしがそんなにうまくできるわけがありませんから、その思惑とは別にうまくいかないことで、またもや親に叱られてしまう毎日でした。
そうしてあたしは、何か人のミスの責任を取ってしまったり、余計なおせっかいをしたり、自分のミスならば最大限の落ち込み方をして、「こんなあたしなんて消えてしまえ‼家族に嫌われるあたしなんて大嫌い‼」と考えることが普通の大人になってしまいました。
第一、自分のやることがうまくできて成功体験というものがあまりないので、自信もつきませんでした。
その後、自分や弟たちが大人になっても、できてしまったあたしのマインドは、あまりにも強固なもので変わることはありませんでした。
親は、弟たちを含めた子供をなんとか手がかからないようにしようとして手を打ったけど、大人になったらもういらないあたしのそのマインドはその後も動き続けたのです。
インストールされたソフトは、働き続けました
いやあ、今なら、「大変だったな。」と、この子供の頃のあたしを可哀そうに思いますが、何しろ子供って真面目ですからね。
すごく頑張ったなと思います。
頑張りすぎて、ちょっと壊れてましたね。
この頃は、そんなこともあったな~と思います。
辛い場面の感情は、どんどん【マインドフルネスタッピング(R)】で消してきました。
忘れようと思っても、辛い体験はなかなか忘れられなくて、心の底で通奏低音しています。
心の中に、意識上に挙げないだけでそこに確かにあります。
【マインドフルネスタッピング(R)】を、手に入れる前には、いろいろなことをしてきました。
その気持ちを、手紙にしてみました。
その場面を絵にかいてみました。
その場面の画像のフィルムを、頭の中で逆回しにしてみました。
その場面を思い起こして頭にくる人がいたら、椅子を一つ置いて、そこにその人が座っている想像をします。何でもその人に言って見ます。
どんなに罵ってもいいのです。思いっきり言ってみました。
どうしても怒りが収まらないなら、あたしは、お布団を丸めてぼこぼこにして、怒りのエネルギーを抜いたことさえあります。
怒りを感じるその人に、実際に何かをしたら、今度はその行為をしたことを、自分がつらく思うようになり、かえって傷を深くします。
だって、人を傷つけることはいけないことだとよくわかっているからです。
今度は自分が加害者になってしまいます。
お布団さんだろうが、クッションさんだろうが、ボッコボコにしてもいいから、怒りを捨てましょう。
感情は、脳の興奮です。
出してしまいまえばよいのです。
ポイ‼って。
勿論、安心安全な人に話を聞いてもらう事もよいのですよ~。
だけど、強い感情とともに頭に残った時は、なかなか無くなってくれないことがあります。
出来事があまりにも強烈すぎたり、おびただしい回数の体験だったりするからです。
それに、細やかに覚えてないことだって沢山あるのですから。
そんな時には、【マインドフルネスタッピング(R)】を試してみてください。
数分で、嫌な感情をなくしてあなたの心を軽くしてくれるでしょう。
怖い自分の中のホラーな感情を開放して、すっきりしましょう。
そんなこだわりのホラー感情がなくなると、すごく前向きに物事を考えだします。
これからの興味は、過去ではなく未来の物事になってきますよ
参考:【マインドフルネスタッピング(R)】一般社団法人イーモアマインドクリエーション協会