みんな、生まれつきもってる物ってあります。
あたしだと、断然「好奇心」かな。
今はそう思います。
この好奇心があれば、あたしは、目がキラキラしてそれは何?って追っかけしていられるから幸せなんです。
例えば、以前某ボールルームダンスパーティーに行ったとき、それは初めての経験で、今まで生きててそんな世界があるなんてちっとも知らなかったから、すごく新鮮な世界でした。
第一、現代に童話の中でしか知らない舞踏会があるなんて信じられないって感じでした。
この世界は何をするところ?何があるの?ワクワクで、楽しそうで、珍しくて、わくわくわく
知らない世界には、不思議や知らないことがいっぱいです。
ゴージャスなお食事をしながら、プロダンサーのダンスを見た時には、うっひゃーすごい、面白い。
って、最初から最後まで、わくわく続きで、全体が8時間とかながーい時間でしたが飽きずに遊んでいられたものです。
そして舞台裏、これがまた面白いんです。
何かの裏側って、あたしにとっては、最も面白いものです。
あ、あの男性ダンサーは、靴の紐を結ぶのに、かがまないで足を挙げて片足で結んでるそんな小さいことを見ても、わくわくの私でした。
後から、この男性ダンサーに聞いたのですが、「すご~いダンサーって靴ひもを結ぶのでも片足立ちで靴ひもを結ぶのですね」
「え?いや、燕尾服のしっぽがダンス用は長いので、しゃがむと床についてしまうので・・・。」
「え~おっもしろ~い」という感じに、どんどん面白がって変なところまで、突っ込むような人間です。(笑)
でも、この「好奇心」だって、今はそう思うけど、以前は自分では全然良いものに思わなかったし、その前は自分にいいところなんてない‼と思っていました。
あたしだって、できる子でいたい。
ずっと前からあたしは思っていました。
キレイで背が高くて近眼じゃなくて女子じゃなくて・・。
頭がよくて、みんなに人気があって。
あたしの他の家族は、運動が得意で、字もきれいでした。
弟たちは、友達から人気があって何かの発表があると親がすごく後押しをしてくれる。
あたしも、そんな男子に生まれたかった。
何が悲しくて、女なんかに生まれたんだろうとずっと思っていました。
毎日毎日、考えていました。
たまに何かの拍子に、誰かに色白ですね、とか髪がまっすぐできれいですねとか言われると、すごくうれしくてお母さんに言いました。
めったにないので。
おかあさんに「あたしね、今日いろが白いねってほめられちゃった。うふ。」なんて中学のあたしが言おうものなら、お母さんの方が色が白いよ、髪が黒いのはお母さんのほうだとか、そう言われては、あたしはダメ子なんだと確認するような日々を過ごしていました。
(ちょっと、白雪姫の継母を思い出しますねお母さんはそんな気はないのですが、似てますね)
子供が褒められて、「良かったね」じゃないなんてお母さんもちょといじわるだよなとは思っていますが、あたしは、両親に褒められることがほとんどありませんでした。
必死に「良い子」をして気に入られようとしても、男の子の弟達に性別で叶いませんから、鼻から論外なんですね。
まして、あたしは背が小さくて、近眼で、美人じゃないので、どこも自慢できる感じじゃないし、他の女の子のように鏡にくいって外見を磨くようないわゆる「普通の女の子」ではなかったのです。
幼い時は、お姫様ごっこが好きで、毛布を体に巻きつけたり、着物を羽織って時代劇のお姫様のつもりで裾を引きずって歩いたりが大好きだったんですが、いつの間にかそんな普通の女の子を通り過ぎてしまっていました(笑)
質実剛健、とにかく正直にまじめに、他人をいじめることなく、いじめられることもなく、品行方正。
大人びた小難しい、小賢しいのが、あたしでした。
だって、両親の教えに従うと、まじめに余計なことをしない悪さもしない「親の役に立つこと」が家族の中で生きるためのたった一つの条件だと思っていたからです。
今思い起こすと、それ、悪くはないけど、もう完全に「あたし」は死んでいましたよね。
今のあたしを友人たちは言います。「突っ走り始めた和光は止められない。」と。
とにかく、何かしらのなぞ解きや面白さや不思議に出会うと、ダッシュで首を突っ込む、ある程度満たされるまで、どこまでも突っ込んでいくのがあたしの本性だと近年気が付きました。
本当は、この好奇心は、子供の時にあったものでした。
幼い時に、知らないおいちゃんに声をかけるような子供でしたから、お母さんは「こんなに好奇心が強くて大丈夫なのかな?」と思っていたと聞いたことがありました。
その時は、子供なんだから、当たり前なんじゃないかなと気にもしなかったのですが、やはり小さい時に持っていた性格というものは、基本、無くならないものだし、それが将来を決めたり考えたりするヒントになるのだとこの頃は思います。
沢山、カウンセラーと話をして、どうやら好奇心は私にとって性格というより生きるための燃料起爆剤モチベーションなんだと気がついたのです。
長い間、忘れて封じ込めていた「あたし=好奇心」でした。
掘って掘って発掘した「あたし」でした。
最初のうちは、回復のために好奇心が出たものに挑戦したり、行ってみたりしましたが、そうやって行動して見ると、楽しくてワクワクしだしました。
以前なら、それで面白くて突っ走ったらいけないとか大人げないとか自分で自制していたのです。
友人が、「我を忘れた」話をしてくれても、おとうさんに「我を忘れて何かをしてもいいのかしら?」と聞いて「そんなことは、しなくてよい」と言われました。
それで、やっぱりそうだよねと納得するようなあたしでした。
我を忘れるような、何かに入れ込むような経験をしたことがなかったのです。
我を忘れるほど、欲しかったり、楽しんだり、入れ込んだり、本来はそういうことが人生の勲章や宝物です。
人は、自分のしたいことを実現するために生まれてくるのだと、どこかの偉いお坊さんが言いました。
今のあたしは、このお坊さんに賛成です。
大賛成です
ただ、あたしは、このワクワクの好奇心を自分になかなか許せませんでした。
大人げないとか、心の奥ですごくブレーキをかけてくる何かがありました。
「こんなことしていいのかしら?」
「ぜったいに、はたからみたらおかしいよね」
「大人なのに、わくわくしてもいいのかな?」
ろくでもないブレーキのオンパレードでした。
いいのだと自分に許しても、どこかで止めてくるものがあるとき、あたしは、自分に言って聞かせました。
「いいんだよ」って。
そして、どうしても、踏み切れないときは、どうしてあたしは出来ないのか原因はあるのかと考えて、【マインドフルネスタッピング(R)】で、ブレーキを外していきました。
その結果が、今のあたしです。
この好奇心がそれで何かになるわけではありません。(今のところ)
もしかすると、一生何者にもならないかもしれませんし、得るモノもないかもしれません。
でも、わくわくと行動するあたしはとても幸せです。
出来が悪いといっても、パーフェクトな人間なんていないし、なにか他の個性に恵まれているかもしれません。
それで、何かのプロになって華々しく人生を送るかどうかもわからないけど、確かに「幸せ」な感情には包まれます。
自分だけの、個性やしたいことは誰かに認められなくても自分の幸せなんじゃないかと思います。
そのためにも、邪魔なブレーキは外しませんか。
ブレーキがなければ、ただただ、アクセルを踏みながら自分の人生を前進させる。
前に進むだけなんですよ。
レッツ、自分に直球です。
参考:【マインドフルネスタッピング(R)】一般社団法人イーモアマインドクリエーション協会