生きづらいし、細やかな感情がなかなか出てこないから何とかしようと思っていたあたしは、とにかく自分の欲求を出していくことにしました。どうするかって?
そうですね。自販機の前で考えて「今は何が飲みたいんだろう?」と聞く。「旅に出たいのかな?」とちょっと思ったら実行する。「ケーキが食べたい。二つ。」と仕事の昼休みに食べてみる。
とにかく思いつくままに、自分の心に尋ねて行動してみたのです。
そんなある時、宝塚劇場に行ってみました。あの「ベルばら」を観てみようと思ったのです。話がどんどん進んでいきます。男の子として育てられたオスカルが、それを父親に感謝するシーンでした。
突然に「お父さんが大好き」とあたしは感じました。どか~んと涙があふれて出てきて「あたし、女の子でいいよね」とこれまたどか~んと出てきました。
あたしの家の中は男尊女卑でした(親にそんな差別の自覚はありませんでしたが。)だから、自分なんか女の子だから人間として最低の生き物、出来が悪くて自分なんか消えてしまえといつも落ち込んでいたので、出てきた感情はものすごくショックだったのです。父親は、躾といって女の子のあたしも叩いたり猛烈に怒っていましたから、あたしは父を嫌っていたと思い込んでいました。
子供って、親が好きなものなんですよ。このあたしでも、普通に好きだったんだとびっくりしました。まあ、自動的に好きになるものなんですよ。子供の場合、生存がかかっているし。親に見捨てられたら生きて行けないですものね。
そんで、タカラジェンヌの美しい舞台とは全く関係なく、だらだらと泣きぬれて終演まで泣いてました。ホテルに帰っても、泣き続け「良く飽きないな」と自分に突っ込みを入れながら一晩中泣いてました。初めて本心らしい感情が出てきてすごく揺れてしまったのです。
新幹線に乗って翌日帰宅しましたが、それが、今度はおなかが痛くて痛くて、カウンセリングの先生に「センセ~これこれで、おなかが痛いんです。」っていって、カウンセリングに臨時にいって2時間はしゃべり続けました。カウンセラーはひたすら聞いてくれて意味づけをしてくれて共感してくれました。そうやって、あたしの人間らしい感情が少しづつ出てくるのを助けてくれました。
その後、困ったことに自分の意識がないのに勝手に体が動くことがあったこともありました。
映画館で、最後列にカップルが座ったんです。混んでいたので、私はそのカップルの斜め前でした。暗いからと、いちゃいちゃしてチューを始めたんですよ。まったく今どきの若いもんは・・。
とおばちゃんしていたら、突然、がつんとひじ掛けを殴って大きい音を出してしまいました。おおっと、まずい、体が動いちゃったよどうしようと思ったのですが、そこは、さすがに長年生きてるシーラカンスのあたしは、「あ、ぶつけた。いてて・・。」といって適当にごまかしたんです。
これからは、感情が出てきやすくなっているからそんなことが多くなるかもしれないと聞いていたので、大丈夫かなとは思いました。でも、出物腫れ物所嫌わず、つ~か、感情なんておならのようにいちいち考えなくても出るモノなんでしかたないんですよしばらくは警戒してましたけど。
そうそう、あたしのあだ名は、シーラカンスだったのです。いつ会っても、変わらないという意味で友達が付けましたが、二十歳の時には、近所のおじさんが「いくつになったの?高校生?」「いえ、違います。」「ああ、中学生ね。」「え」と言われるくらいの童顔だったので・・。ま、中身も幼なかったんですけどね。心の成長が止まっているとそのように幼く見えることもあります。
その後もベルバラを見に行きました。ひと月ほどの間に5回は観たかな。五回も見るといっちょ前の塚ファン気取りになりました自分が納得するまでがマイルールだったので、他人がどう言おうが関係ありません。言わなきゃわからないし。ただただ、あたしの回復、自分の生きづらさをなくすための努力でした。まあ、したいことをしたいだけするという事は楽しかったのでそれはそれでよかったからなのです。
したいことって、楽しい‼
そんなこと初めての体験でした。いつも、自分のためにお金を使っちゃいけないとか、自分の幸せよりまず家族の幸せが優先とか、振り返ると、ろくでもないことばかりで自分の行動を規制していたのですから。それだけ、あたしの意識は追い詰められていたのです。躾もほどほどにしましょうというところですか。
でも、どこの親も、親業というものを学んでいません。残念ながら、あたしのようなことは、割と多くあることなのです。たまたま、親が良い親に育てられたり、良い親を見る機会にあったりするとよい親業ができる確率が高くなるだけです。
この、ベルバラで出てきた感情を皮切りにして、徐々にあたしは、自分の感情というものに出会うことが多くなっていきました。
「このあたし」で生きていくことに段々なってきたのです。