ええと、今日は、このこのかたづけをして、明後日までにこの申し込みをして・・。
それで、あしたは映画のあれを見て、将来はあんな仕事がしたいな。‼
という事は、子供のあたしにはありませんでした。
待ち合わせの時刻に送れる。
試験の勉強はやりもせず、前日まで、毎日毎日、明日はできるかなと日を送る。
前日で全部詰め込んだらなんとかなるかなと、いつも考えている。
あたしが気にしない性格ではなく、これでも毎日じっとりと冷や汗をかきながらなかなか手が付かない有様でした。
あたしは、高校生活の3年間を、受験勉強をお父さんの言うとおりに実行した結果、様々な意味でバランスを崩してしまい授業中は眠り休憩時間は起きているの連続で終わらせてしまいました
それに、お父さんに常日頃、女子は大学に行く必要がないしうちは弟男子があたしの下に二人いるから、高校を卒業したら働けと幼い時から言われていました。
どうせ、女子はそのまま結婚するんだからと。
凄い昭和な話でした。
あたしは苦しみました。
ロケットを飛ばしたいのに、せっかく入学した高校の勉強に手が付かない。
高校に入ったら、授業中は眠くて起きていられなくなり、勉強もできなくて本も読めず、帰宅後は夕飯したら茶の間で毎日遅くまで家族とテレビを見て暇つぶし。
茶の間のお母さんのそばにいないといけない生活。会話はないけど。
そんな状況の中で、お父さんに大学に行きたいとは言えませんでした。
だって、ビリから数えたほうが早い成績でしたから、少しは良くなってからでないと、言ってはみたものの必ずお父さんにそれはこうだからこうでやめろと説得されてしまうからです。
お父さんは、見通しが悪いこととか、お父さんが考えて失敗と思う事にはOKを出さない人でした。
成績が悪いこと自体が、もうお父さんのダメ出しの理由になっているわけですから、最初から「あかん‼」のでした。
つまり、成功がほとんど約束されない限り、チャレンジさせてくれないと子供のあたしは思い込んでいました。
実際には、やってもみないことには結果がわかりません。
でも、やってみてダメだった場合は、ものすごくお父さんとお母さんに迷惑をかけてしまうし、どれだけ口をきいてもらえなかったりするのだろうと想像すると、子供のあたしには「言ってみる」の重圧は相当なものでした。
ですから、気軽に相談できるような家族関係でもありませんでした。
言ったら最後、説教かダメ出しか。
選択を迫られるものの、結果的には進路を強制的に決められるしかないと思っていました。
お父さんの説教は、長いし、「おまえはこういう理由で無理だ出来ないぞ。それでもその覚悟は相当なものだろうな。」と言われます。
「お父さんのいう事は間違っているか?」
ここで、やると言えればいいのですが、あたしの自己肯定感はすでにズタズタでしたから、完璧にできなそうもないと、自分の中で、無理無理無理無理無理~~‼の大合唱となっています。
あたしにできるわけがない。
こんな「女」でチビでブスで、お父さん譲りのわきがもあるし、歯並びもぐちゃぐちゃで、ド近眼で頭悪い奴‼
自分いじめの言葉のことならあたしは、凄腕のスペシャリストでした。
(いやあ、これ書いてる今のあたしが具合悪くなりそうな追い込み方でしたわ~。おえ~)
そんなこんなで、あたしは、散々と情けない自分と付き合っているうちに、大学のことは言えないままに就職することになってしまいました。
あとで、お父さんは、「大学に行きたければ行かせてやったのに。」
なんて言ってました。
ええええええええええええ
なら、どうして常日頃あたしをあんなに脅してたんだ‼って、恨みがましい気持ちになってもしょうがないですよね。
(だって人間だもの by相田みつを)
あたしは、どうして早くそう言ってくれなかったんだと怒り狂いましした。
でも、そんなことはお父さんには言えませんでした。
あたしの中では、弱い出来損ないで女の自分への怒り、罵り、強烈な落ち込みがあり荒れ狂うサイクロンが毎日吹き荒れていました。
あたしの中だけで・・。
それでも、小さい希望がありました。
お金をためてもう一度大学にトライしてみようと。
何でもよいから、本を読み始めました。
すぐに、お母さんが「今頃本読んで何するの?」とその日、家の中の掃除を手伝わないあたしに言い放ちました。
それからは、お母さんの前で本も読めなくなりました。
ドラマなら、ここで暴れて「あたしはロケット飛ばすんだからじゃましないで」って叫んで、一念発起なのです。
さあ、あたしの目覚めです。
てなかんじですが、あたしの自己肯定感は低く、強硬にそこを突破できませんでした。
それにお母さんは、家にはお金ないといつも言っていました。
だから、あたしは、沢山お金を残して家が破産しないように、ある程度家にお金を用意してからじゃないといけないんだと思いました。
良い子すぎです。
勿論、今振り返ってみると、なんとまあ幼い考え方なのだろうと赤面です。
親と対等に話したり、自分の気持ちや欲望を出すことができなかったので、本当にあの頃は大変でした。
自分を出すためには、まず第一に、家がなりたつように、あたしが家族に迷惑をかけないように、それだけは最低条件と思い込んでいたのです。
だって、女子は人間以下だから迷惑をかけてはいけないのです。
弟たちがこれから世の中に出るために、迷惑をかけてはいけないと本気で思っていたのです。
何時代や⁉
今なら、笑い飛ばします。
だって、結局、弟たちは自分の思いで動いたので親の考え通りにはならなかったのです。
弟たちは、荒れてしまって、その後あたしの家は嵐のような日々に突入したのですから。
そうやって過ごして、あたしは自分の欲望にたどり着かなかったりしながらもようやく仕事に慣れたころ、いたいけな23の年に、突然泣きたくなりました。
家に帰ってくるなり、沢山涙がこぼれてきて、「あたしは、何もしてない。何をしたらよいのかわからない。できもしない。」って、大泣きしました。
始めて、お母さんがどうしたのだとあたしの話を聞いてくれました。
あたしは、お母さんがけがや病気の多い人でしたから、健康な自分が申し訳なかったし、「強い子よいこ元気な子」をしていないといけないと思っていたから、弱い自分の気持ちなんて出してはいけないと思っていました。
あたしは、子供の頃からお母さんの保護者役もこなしていたのです。
(いろいろな配役があって、大変やったわ~。)
それで、あたしは、翌年の大学を受験してみたらと言われました。
「したいことをしてみたら」とやっと言われました。
ドラマなら、ここから奮起して・・。
となるのでしょうが、あたしはあまりにぶっ壊れていました。
勉強するために予備校に行くにも、「家を助けないで自分にお金を使ってはいけない。」と思い込んでいました。
自分で働いて得たお金なのに、自分に使ってはいけないと思っていました。罪悪感が出たのです。
それに、何か目新しいこととなると、恐怖が出てきます。
あたしへの躾は、余計なことをしないで、良い子でいることでしたから
問題を起こすなとも。
そんながちがちのソフトが入っていると、身動きが取れないのもうなづけます。
両親は、あたしが子供のうちは問題を起こさず家の中で取り持ち役を担ってほしい。
両親が大変な時には、助けてほしい。
とにかく、なにか変わったことをして弟たちに集中しているのだから煩わせないでほしい。
子供の内だけは、というくらいの考え方だったと思います。
でも、その強烈なソフトは、その後もあたしの中で生き続けました。
あたしが大人になっても、アンインストールされませんでした。
完全に、良い子ロボットです。
しかも、弟たちにほとんど両親が向いてしまい、あたしは、愛情をかけてもらったという自覚がありませんでした。
これが、わがままもなく(叱られるから)、感情も出さず(出せなかった)、わかった風なことを言って親に理屈を言う(感情を出さないし出せないから、理屈で説明するしかできなかった。)ものですから、本当に嫌われちゃって・・(笑)
そんなあたしをお父さんは、ロボットみたいだなぁと揶揄しました。
お母さんはあたしに言います。「弟たちのほうがずっと話がしやすい。」
今、思い出すと「ったく‼誰がそうしたんだよ‼」って、世界の中心で絶叫したいです。
弟達にでさえあたしを馬鹿にしました。
両親は、弟たちの前で、一回の躾で済むように強く、しょっちゅうあたしを叱りましたから。
トホホです。
あたしの苦しみは、家族のだれにも理解してもらえず、何にも報われなかったのです。
とにかく、そんな状況で受験勉強が手につかずあっというまに一年がたち、あと3日で受験日となりました。
毎日、あと何日、あと何日と数えて、短期間で合格できれば自分史上凄いしとも思うような毎日、数えても何も手につかずの日々が過ぎ、ふと気が付いてぞっとしました。
「3日で大学受験だなんて無理だよね・・・」
あまりにも、その考えが異常すぎて自分にぞっとしたんです。
もちろん、受験は失敗でした。
その後も、何かにトライしようとしては、恐怖に包まれ手が付けられないことが続きました。
ずっと長く、日常と違う事には震えるほどの恐怖が付きまといました。
多分、あたしはダメな人間だろう。
性格なんだろうと、思い込んでいました。
何かしようにも、自分が使えないから何も始まりませんでした。
ロボット「WAKO」は初期設定「良い子」のまま、延々とそのまま稼働することになりました。
ずいぶんと時間が流れ、【マインドフルネスタッピング(R)】と出会いました。
カウンセリングも長く通いましたが、どうしてもあたしの中から、アンインストールできない様々な思い込みが【マインドフルネスタッピング(R)】で手放していけるようになりました。
普通の回復方法では、どうしても、両親から可愛がってもらえない自分を肯定できなかったのです。
毎日、自分を鏡に映して「ありがとう。愛しています。」って毎日やっていましが、鏡の中の自分の顔ですらまともに見られませんでしたから。
変だな。通常は数か月で自己肯定できると聞いているのに・・・。
本当に、色々な方法スキルを試しても、よい結果がなかなか得られませんでした。
でも、マインドフルネスタッピングでアンインストールしていくうちに、
自己肯定感が、できたんです~
新しいことにチャレンジする恐怖も、その都度手放していきました。
自分を家族より先に幸せにしてはいけないという考えも、手放しました。
自分のためにやらなければならないことに手が付かないことも、手放しました。
本当にたくさんのマイナスソフトがありました。
まあ、マイナスの思込みやソフトが全然ない人は本当にまれではあります。
健康な人でも、ある時突然に事故や事件に巻き込まれて、自己を粉砕されることだってあります。
両親も、育つ過程で得た不全な行動パターンを繰り返したり、忙しかったり若かったりで子供のことがよくわからなかったこともあるのでしょう。
実際、「親業」を学んでいる人はあまりいません。
たまたま身近に手本となる人がいたからというだけにすぎないのです。
でも、手放すスキルがあると思うと楽です。
手放せばいいのだから。
こうしてやっと。ロボット「WAKO]は、少々面白人間かもしれませんが(笑)、人間「和光」となってきたのです。
色々ありましたが、今あたしは、通信大学の学生です
講義のあれもこれも面白そうだと首を突っ込むので、なかなか卒論のテーマが決まりませんからだいぶ時間がかかっております
でも、他の人と違う自分を受け入れてから、勉強は楽しいです。
好きなことばかりするからですね。
結論、全然優秀ではなさそうなのが「超」玉に傷です。(笑)
多分、振り返れば10代のころ、ちゃんと勉強して大学受験にトライしてみること自体が大事な経験になっていたとは思います。
例え、ロケットは飛ばせなかったとしても。
もう少し違う何者かになっていたかもしれません。
そして、こんなに沢山の時間をかけてやっと普通と思われるレベルの自分を手に入れたところで、あたしのこの大変だった人生は報われるのか?と考えています。
重い課題です。
でも、あたしのような体験をした人たちの力には少しはなれるでしょう。
幸せな自分の人生になるように、こっちだよと言ってあげることはできそうです。
そしてこの頃、なんだかんだ色々あるから楽しい人生だと思うようになりました。
何かになれなくても、その過程をいとおしく思えるのではないかと。
何もできずに、人生ができなかったあたしは、今はとにかく色々してやろうと思っています。
「好奇心が服を着ている」それがあたしの本質のようですからね。
通常セッション
1時間 2万円
w0318c@juno.ocn.ne.jp
参考:【マインドフルネスタッピング(R)】一般社団法人イーモアマインドクリエーション協会
※文中「わきが」について触れましたが、今では手術、薬剤・化粧品で対応、また、針による治療もあり、あたしは針で治療をしてもらい、ノースリーブも楽しめるようになりました。
治療に当たって下さり、今では鬼籍に入られました鍼灸師の渡辺先生に心から感謝を申し上げます。
悩みは、克服すれば強い人間となれます。でも、あたしは、場合にもよりますがその原因自体が無くなるほうがもっと良いのではと考えています。
だって、無いものには悩みようが無いからなんです。