前回からのつづきです。
読んでくださる皆さん、「いいね」を押してくださる皆さん、ありがとうございます。
ブログを書くためにあの時のことを思い出すのはとてもつらいです。
でも、読んでくださっている方や「いいね」してくださる方がいると思うと、頑張って続きを書こうという気持ちになれます。
私と同じような思いをする妊婦さんが少しでも減ることを祈っています。
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・ぴよちゃんの心臓が止まってしまうかもしれないけど、入院して現状維持。
・重大な後遺症が残るかもしれないけど、今から出産して救命措置。
私たち夫婦はとても残酷な決断を迫られました。
しかもゆっくり話し合っている時間はありません。
事態は一刻を争っています。
「…後遺症が残ってもいい。
今から産んで、ぴよちゃんを助けてほしい」
私は振り絞るように言いました。
夫は何も言わずに何度も頷きました。
夫の目には涙が浮かんでいました。
実は、私の母方の親戚には、とても重い障害を持っているお姉さんがいます。
意志の疎通が難しいうえに体の自由もきかないので、お姉さんは一人で生活することができません。
毎日、お姉さんのお母さんとヘルパーさんがつきっきりでお世話をしています。
ちょっと外に散歩に行くだけでも呼吸器(?)をつけて車椅子に乗って押してもらっています。
週に何度か通院していて、入院することもしょっちゅうでした。
もちろん仕事につくことはできません。
恋愛することも、結婚して子どもを産むこともできません。
本人がそれを理解しているのかどうかもわからないそうです。
心臓に疾患があるので、お母さんより長生きもできないみたいです。
お姉さんのお父さんは働いて生活費を稼ぐのにいっぱいいっぱいで、お姉さんのお世話はほとんどお母さんがしています。
だからお姉さん一家は親戚の集まりにもあまり顔を出しません。
私は母に連れられて何度か会いに行ったことがありますが、お母さんもお父さんもひどく疲れた様子で、私の母に愚痴をこぼしていました。
そんなお姉さん家族の苦労を知っているから、私は自分の子どもが障害を負うかもしれないことに対してとても臆病でした。
自分で呼吸もできないような状態だったら…
体が麻痺して寝たきりの生活になったら…
目が見えなかったり、耳が聞こえなかったりしたら…
心臓に病気があって、長生きできなかったら…
私は、ぴよちゃんの人生に、責任を持てるんだろうか?
そんな恐怖がありました。
赤ちゃんや子どものうちは、ママだったら誰だってつきっきりです。
でも、大人になっても毎日そばを離れずお世話しなくちゃいけない状態なんて、耐えられるんだろうか。
私は仕事に出られなくなって、夫の稼ぎだけでやっていかないといけない。
私より先に死んでしまうかもしれない子の介護に人生をかけられるんだろうか。
もしそんな生活になったら、弟や妹を作ることもできないんじゃないか。
そこに父親や母親の介護が重なったら、それこそ暮らしていけないんじゃないか…
不安ばかりが胸の中でグルグルしていました。
(この文章を読んで、障害を持っている方や、そのご家族の方は不快になられたことでしょう。
本当にごめんなさい。でも、これが私の正直な気持ちでした)
でも。
だからといって、今お腹の中で苦しんでいるぴよちゃんを見殺しになんて、できませんでした。
このままお腹に入れていたら心臓が弱って死んでしまうかもしれない。
いや、「かもしれない」じゃない。
素人目にも明らかにモニターの心拍は落ちていました。
いくら安静にしていたって、ぴよちゃんの心臓はいつか止まってしまうはず。
だったら。
助かる可能性に賭けて、産もうと思いました。
障害が残るかもしれない。
ぴよちゃんも自分もどうなるかわからない。
それでも、お腹の中で死んでいくのを待つよりはマシだと思いました。
このとき私は27週でした。
お産はまだまだ先のことだと思っていました。
心の準備なんてできているはずもありません。
母親学級だって終わっていなくて、お産の流れは教わっていません。
痛みの逃し方もいきみ方も何ひとつ知りません。
そんな状態でお産に挑むのは恐怖でしかありませんでした。
「…産みます。
産むので、この子を助けてください」
私が言うと、先生は「わかりました」と言って、てきぱきとお産の準備にかかりました。
つづく