妊娠した時、私は27歳でした。
1回目の妊娠は化学流産という結果に終わっていました。
でもそれほど悲観していませんでした。
医師から「よくあること」と言われましたし、すぐに生理がきたので、実感すらありませんでした。
ちなみに「検査薬で陽性が出た」と報告した相手は夫とそれぞれの両親だけでした。
「ダメだったよ」と伝える相手も夫と両親だけで済んだので、ダメージはゼロに近かったです。
そして2回目の妊娠。
結婚から1年たち、「そろそろ…」と考えていた時のことでした。
生理が遅れていて、妊娠検査薬で陽性が出たので病院に行きました。
ちなみに、私達が住んでいる島には小さな診療所しかありません。
産婦人科をみてくれる先生はいませんし、設備もありません。
そのため、妊婦健診のたびに、離島と本島をつなぐ船(1日数本しかない)に乗って本島に行きます。
港からはさらにバスに乗って産婦人科のある総合病院に行かなければならず、時間と交通費がかかることは地味な負担でした。
病院に行くと胎嚢と心拍が確認できました。
1回目の妊娠の時には見られなかったまんまるい胎嚢とピコピコ動く小さな心臓。
まだ人間の形になっていないのに、思わず「かわいい!」と言ってしまいました。
医師は「あら、島の人なの。じゃあ何度もこっちに来るのは手間でしょ?
もう予定日もわかるから、帰りに役所で母子手帳ももらってくるといいよ。
次回の健診からは母子手帳を持ってきてね」と教えてくれました。
エコー写真をもらい、次回の予約を入れ、お金を払って病院を出ました。
島に帰るまでがまんできず、夫に電話して「赤ちゃんいたよ!」と大喜びで伝えました。
夫も「おお~!よかった~!」とホッとしていたのを覚えています。
またバスに乗り、役所に行って母子手帳や各種リーフレットを受け取りました。
「お腹に赤ちゃんがいます」のストラップももらいました。
嬉しくて、帰りの船で開封し、すぐバッグにつけました。
帰宅すると夫が出迎えてくれました。
自営業なので自宅と職場が同じ場所にあるため、義父母もいます。
みんな口々に「おめでとう!」「よかったなぁー」と言ってくれました。
お義母さんは気を使って「もう今日はいいから、みやこちゃんのお父さんとお母さんにも報告に行ってきな!」と言ってくれました。
小さな島なので実家もすぐそこです。
私はお義母さんの言葉に甘えて自宅に帰りました。
実家も自営業のため、両親と兄が仕事をしていました。
「さっき病院に行ってきて、赤ちゃんが見えた!」とエコー写真を見せました。
母は「よかったねー!おめでとう!」と大喜び。
父は「俺もじいちゃんか。お前も早く嫁さん見つけろよ!」と、未婚で実家を継いだ兄をせっついていました。
兄は気まずそうにしていましたが、「体大事にしろよ」と言ってくれました。
本当に幸せでした。
心拍確認ができたら無事に赤ちゃんは産まれてくると思い込んでいました。
私は妊娠や出産について、あまりにも無知だったのです。
つづく