私には、先生と呼ぶべき人物が二人いる。

宮本ひかる先生杉戸光史先生である。



杉戸光史の初期のペンネームが

宮本 光であり

それを継承したのが宮本先生なのだ。



ふたりは師弟関係であり

貸本漫画の末期から終焉後の

赤貧の時代を共に過ごし

生き抜いて来た


今日まで、そして明日から


未来永劫


偉大な先達なのだ!



そして両先生のアシスタントを務めた

私のペンネームが雅 光太郎なのである。




【光】は代々、受け継ぐものなのか?」




宮本先生は、コメント欄で

そう仰っていたけれど

偶然なのか運命なのか?



光太郎は私の本名なのである。




















それで、いまココ。

団子坂上大槻荘の杉戸先生の仕事部屋。


何をしに、訪れたのかと云えば


宮本先生に行けと言われたから

来てみた迄の事。


決して本意ではない。


採用されても、されなくても

どちらでも構わない気持ちでいたし


本当に、何の重みもヤル気も無く

軽い気持ちで来てみたのだ。



あの頃の私は、恐いもの知らずも甚だしい

何とも無鉄砲で生意気なガキだった。








『初めまして。雅と申します。』



『おう!こっちに来て座って』




座れと言われて、部屋の中を見渡すと

6畳間の窓に向かって

横並びに文机が三つ並んでいる。


この横並びの文机に関する

歴史も重みも、この時はまだ

知る由もなく

やがて追々知る事になるのだが


この時点では、そんな事も露しらず。



部屋の右手には本棚が有り

資料やら古臭いカメラやら

黒電話なんかが置いてある。



右側の机には杉戸先生が陣取り


真ん中の机は雑誌やら新聞やら

山積みで使える状態ではない。


部屋の床にも雑誌やら新聞やらが散乱

しており、足の踏み場もありゃしない。


空いている左側の机の左手にも

壁に窓が有り、ここに来る途中で見た

祠と御神木が見えていた。



その席の真後ろにモザイクタイルが

貼られた小さな流しと

一つ口のコンロがあった。



このコンロで夜な夜な

インスタントラーメンを作って食べる

事になろうとは…

この時は、まだ

夢にも思っていなかったのである。












着座して、持参した仕事道具一式を

机の上に並べながら杉戸先生の方に

ふと目をやると先生は真剣な表情で

原稿用紙(ケント紙)にネームを切っていた。



暫くの間、六畳の仕事場には

重苦しい空気が漂った。


直ぐに仕事を手伝わされるものとばかり

思っていた私は、面喰らってしまい

どうしたものかと途方に暮れていた。



すると突然、静寂を破り

先生が口を開いた。


━ビクッ━


いやー、驚いた

ビックリして先生の方を見る。



『じゃあさ、雅クン。これにホテルの背景を

3パターン描いてみて…ひひ』



そう言いながら先生は、ケント紙を

私に手渡した。


受け取ったものの、すぐには先生の

意図がわからずに考えを巡らせてみる。


すると閃いた!


なる程…採用試験てコトか?

私の実力が、どれ程のものか試そうと

いうわワケなんだな…。



真っ白な原稿用紙。


コマ割りも人物の描き込みも

フキダシもネームの書き込みも

何も無い


真っ白な原稿用紙。



暫しの間、この真っ白な原稿用紙との

にらめっこが続く。


要するに頭の中が真っ白なのだ。

普通ならこの時点で、プロ失格だろう。


本物のプロなのであれば、

何の迷いもなくスラスラと

注文された背景画を描けるに違いない。


いや、描けるんだってば!それがプロ。



しかし今の私にはイメージ

というものが、まるで湧いて来ない。



杉戸先生って、どんな絵を描くんだっけ?


そりゃそうだ杉戸光史の漫画を

真艫に読んだ事すら無いのだから…

話にならない。完全な勉強不足だ。



それ以前にスタジオにぶんのいち

宮本先生の原稿に背景画を入れた事も

1度たりとも無い!

情けない事に他人の原稿に背景画を

描いた経験が私には全く無かったのだ。



緊張して身震いがした。

ただひたすら、身動きひとつ取れない程。


自分の原稿を描くような気楽さは

そこには微塵も無い。




杉戸先生は黙っていた。

黙々と自分の原稿にネームを切っている。

私など、この部屋の何処にも

存在しないかの如く。



ひとつの部屋の中で何とも対照的な光景。



水を得た魚のようにスラスラと

ネームを切る、杉戸先生。


まるで蛇に睨まれた蛙のように

微動だにしない私。



どうしよう?私には、お見せする程の

実力もございませんのでと、先生に告げ

此のまま帰ってしまおうか?

否、それも癪だ。

そもそも採用されたくて、

ここに訪れたのでは無い。



そう考えてみると、急に肩の力が抜けた。



ここは、まず探りを入れよう。

部屋の中を見回す。

杉戸先生の掲載誌はどこだ?

おお!有るじゃないか!

1冊のコミックセルフを手に取り

ページを捲る。

ほうほう、ふむふむ。こんな絵柄か…。








どっぷりと日が暮れた頃

やっとの思いでホテルの背景を3カット

描きあげた。


大槻荘に到着してから4時間が

経過していた。




『先生!出来ました。』


待ちくたびれた杉戸先生は、

かなり御立腹の様子だ。



『おう、それじゃあ見せて』



自分的には、かなり杉戸先生の絵柄に

寄せたつもりで描いた。

旨く描けたと思っていた。

ところが…!



『おいおい、何だこの古臭い絵は?!』



『えっ…』



『手塚の時代じゃ、ねぇ~んだからよ』


と杉戸先生は仰った。



絵が古臭い…

手塚治虫の時代では無い!



頭をハンマーで殴られたようだ

衝撃が走った💥

返す言葉も無かった。



『大体、この3カット描くのにどんだけ

時間掛けてんだよ?描き込めばいいって

もんじゃあ、ネェーンだよ』



『あ…う…ひぃぃ…』



『まったく、宮本クンも、

とんでもねぇ事してくれたもんだ』




とんでもない事?


それはおそらく、宮本先生が

背景ひとつ真艫に描けないような人間を

デビューさせてしまった暴挙への憤り。



杉戸先生は美術学校を卒業してから

漫画家になったような人です。


それは絵の基本を徹底的に学ぶ為です。

基本の有る無しは、漫画も絵画も

関係ありません。


基本の出来ていない、私のような人間は

杉戸先生にとっては論外なのです。

そんな者を自分に押し付けてきた

宮本先生への、やるせない怒りが

含まれていたのだと思います。


その時、私は自身でも自分の事を

そのように考えていたのです。

はいはい、全くもってその通りで

ございます。

ここは、ひとつ顔を洗って出直し

ましょうかね。


当然、不採用だと思っていたので

挨拶だけして帰ろうと考えていると…




『オレのトコ(太陽プロ)では

宮本クンの会社みたいに月給制、給料

では、やってないからさ…ひひ。

背景1ページ埋めて500円、

1ページ仕上げて400円で、皆に

やって貰ってるんだ。』




『は?…あ…はい…?』

先生が何を言おうとしているの

未だ理解不能であった。




『そんな、スピードでプロとして

メシ喰って行けるのかあ?』



ですから、不採用ですよね…??

え…?違うの??



怪訝そうな顔をしている私に

更に、先生は続けた。



『まあ、しょうがねーなぁ、

最初は仕上げだけでもいいか。ひひ…

背景は、そのうち慣れてきたら描けば

いいんだからよ…ひひひ…

オレの原稿全部の仕上げやればよ、

何とか喰って、いけるだろーがよ!』



ん?ん?それは採用って事ですかね?


え~とスタジオにぶんのいちでの

今の給料は手取り8万円だから、

太陽プロでは、月に200ページの

原稿を仕上げれば、いいのか?


何だ大した事ないや…


《大した事無い》その時の私は

本気でそんな風に考えたのです。


全くもってアホの極みです。

確かに手取りは8万ですが、その他に

家賃も水道光熱費も会社持ちだという

事を、すっかり忘れているのですから…


実際には14万円くらい貰っていた

計算になるのです。



能天気な私は、この先にポッカリと

すぐに待ち構えている

地獄の入口に、まだ気付く事すら無く

じわじわ型に嵌められて行くのでした(汗)




『まあ、その~早く引っ越ししないと

宮本クンも困るだろうからなあ…ひひ』



そう言いながら先生は、茶封筒に入った

10万円を私に手渡してくれました。



『これは貸しとくから、少しずつ

返せばいいからさ…ひひ。引っ越しが

済んだら、またここに来て頂戴。連絡してな』






私は任務を引き受けた。

他にどんな選択肢がある?


だが覚悟は

おぼつかなかった。












その当時は考えもしなかったけれど、

杉戸先生が茶封筒に現金を用意して

あったのは、最初から私を雇うつもりで

いたと言う証なのではなかったのか?


初めから宮本先生との話合いで

筋書きは出来ていたのかもしれない。


かくして私は、北区十条の地に

引き越す事になったのである。











さらば!田端新町丹治ビル





丹治ビルとは…

東京都北区田端新町1丁目26番地に

かつて存在した3階建ての鉄骨造(S)

アパートです。

間取りは2DKなのにトイレのみで、

浴室は有りませんでした(1973年10月築)


最寄り駅は

JR山手線 西日暮里駅 徒歩15分。

京成本線 新三河島駅 徒歩8分の場所に

ありました。



そして…

大判おしぼり&モーニングが

最高だった

西日暮里ルノアールよ

さらば‼️



美味しいパエリアを

ありがとう

西日暮里アルハンブラよ

さらば‼️





写真提供:ポコさん




懐かしい『アルハンブラ』の深夜CM








ここまで、お読み戴き有り難うございました。


このブログは、『怪奇マンガのあなぐら』

管理人まっどどっぐ・がちょん さんのご厚意により引用許可を戴き実現しました。
心より深く感謝いたします。