卒業式の思い出 ブログネタ:卒業式の思い出 参加中

少し女子プロレスのネタが続くので息抜きにブログネタを1つ書きたいと思っています。まあエアポケット気味にネタ切れでもあるのですが。

最近母校の公式Twitterなるものを発見してフォローしてみました。別に意味はなく今どんな動きがあるのかなというのが中心なのですが、フォローし始めた直後おすすめユーザーの欄にずらっと在校生のリストが上がっていたのには驚きました。でもプロフィールを見ると32期下なんですよね。ほぼ私の父と私の歳の差位離れている訳です。いくらなんでもフォローはしません。余程外部で活動をしている人なら考えますけど。

さてそんな高校を卒業してから丁度1週間後に30年を迎えます。卒業式って小中高そして専門学校と経験してますけど、小学校はよくありがちな『呼び方』スタイルだった記憶しかなく、中学校は高校入試に失敗し2次募集でギリギリ受かったのでその手続きが重なりバタバタでしたし、専門学校はホテルであったのですが、それ程印象が残ってないですね。その代わり高校の卒業式だけは未だに印象に残っています。

何故なら自分が唯一主役のポジションでいれたから。今はどうか分かりませんが当時自分達の学年で生徒会長を務めた生徒が2年時に送辞を、3年時に答辞を読む事になっていて事前に学年主任の先生から歴代会長の書物を渡され、それをヒントに自分なりの言葉で披露する事になっています。

しかし性格的に未だにギリギリでないと書けない私にとって送辞の時はキツかったですね。期末試験の2日後か3日後に卒業式だってロクに文章なんて考えてない。テストからの半徹状態でなんとか書き上げて、確か亡き父に毛筆の清書をしてもらった記憶があります。

その分自分の卒業式は専門学校への進学は秋には決まり(これはいずれ書く事になると思います)、期末試験は3年生の場合受験の関係で1月末には終わるので、じっくり書く時間があったのでそれなりの物が書け、生徒会顧問の先生(その数年後に多分今の私より若く早世されてしまいました)にも「今までで一番の出来」と褒めて頂きました。

そして卒業式当日。学年一男女の仲が悪いと評判だった我がクラスで卒業文集を作ろうと前日まで終電ギリギリの作業をした中それでも結構早く登校。この時点では曇り空程度だったのですが、いざ式が始まる頃には季節外れの雪が降っていたのです。

先日の銭湯火事ではないですが、そんな事は露知らずの自分。卒業証書授与の後から緊張している中でいよいよ出番。そこでやってしまったのですな、雪の舞う日の第一声で『暖かくなってきた今日この頃』と。

当然、場内からは苦笑いが漏れる訳ですよ。だって後に退場する卒業生を迎えたのは一面の銀世界だった訳ですから。もっともアドリブが効かない自分の癖でのミス以外は無難にこなせたので後で周りからもお褒めの言葉は幾つか頂きました。

もっともこの展開にはもう一つ理由があり、送辞を読んだ翌年度の生徒会長がそれは酷いグダグダな挨拶を読んでしまった事もあります。割りとこの学年間は対立する事が多くその影響が出てしまったのではとも言われましたが。

今年もそうですけど、この年も記録的な雪の多い年でこの卒業式がホワイトデーですが、なんとそれから2週間後にも東京で積雪した記憶があります。

生まれた時からずっと東京に住んでいる私にとって、雪が降り積もる中での卒業式だからこそ30年経った今でも忘れ得ぬ思い出として記憶の中に鮮明に残っているのかも知れません。