女は二度決断する


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〈予告〉





〈作品紹介〉

「愛より強く」「そして、私たちは愛に帰る」「ソウル・キッチン」でカンヌ、ベネチア、ベルリンの世界3大映画祭それぞれで受賞歴を誇るドイツの名匠ファティ・アキン監督が、ダイアン・クルーガーを主演に迎え、突然の悲劇で家族を奪われた主人公の女性が絶望の中で下す決断を描いたドラマ。ハリウッドはもちろん、フランスなどヨーロッパ映画でも活躍し、英語、フランス語、ドイツ語を操るクルーガーが、ドイツ語を使った演技に初挑戦し、2017年・第70回カンヌ国際映画祭で女優賞を受賞した。ドイツ、ハンブルグ。トルコ移民のヌーリと結婚したカティヤは幸せな家庭を築いていたが、ある日、白昼に起こった爆発事件に巻き込まれ、ヌーリと息子のロッコが犠牲になってしまう。警察は当初、トルコ人同士の抗争を疑っていたが、やがて人種差別主義者のドイツ人によるテロであることが判明。愛する家族を奪われたカティヤは、憎しみと絶望を抱えてさまようが……。(映画.com)

 

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この映画を観て移民問題、差別云々という文脈でしか語れない人はステレオタイプもいいところで、映画とは時代性と切っても切り離せない関係性であり、現代の抱える問題を描くことは当たり前を通り越して自然とそうなってしまうものなのだ。

 

この映画をよく『スリービルボード』と比較する例が散見できますがどうでしょうかね。はっきり言って『スリービルボード』のほうが“映画”としは優れてます。脚本や構成、演出に至るまで『女は二度決断する』より断然上手いです。しかし“作品”としてならば『女は二度決断する』のほうが優れていると思います。


この映画[家族][正義][海]3部構成で描かれるのですが、おもしろいことにパートごとに印象がガラリと変わる作りになっており主人公の悩みや葛藤もその都度違い観客の心情を幾度となく揺すってきます。だからこそ最後の主人公の決断に賛否が生まれてしまうのです。この映画の評価の相違はどのパートの主人公に感情が寄り添うかで違ってくると思います。しかし容易に“復讐”なんかで片付けるような人は何もわかってません。これは“復讐”の話ではありません。そして“決断”の話でもありません。“決断の先”の話であり。“テロリズムの向こう側”の話です。


明日もしくは今日にすらテロの被害に遭うかもしれない僕たちですが逆に僕たちがテロリスト同等の行動を起こさないと言い切れる理由がありますか。テロとは一方向から見れば“絶対悪”ですし許し難き行為ではありますが、見方を変えれば“正義”のための行為として賞賛さえされてしまう行為であり、時代や道徳的価値観の違いによってはヒロイズムにすらなり得てしまう。冒頭にも言ったように単に差別や移民問題を描く作品を2018年現在に作る必要はあるのか?多くの正しさがこの長い歴史において語られ続けたにも関わらず現実の状況はどうだろうか?私たちは正しさは知った、では正しさの限界(悪を裁けない)に直面した時に自分たちはどのような決断と行動を起こすのか?そしてその先に果たして正しさはあるのか?




現代に一石を投じる大傑作であり。語りがいのある重厚な作品です。未鑑賞の方はぜひ劇場へ。



P.S.


カンヌで女優賞に輝いただけありダイアン・クルーガーが本当に素晴らしいです。彼女の一挙手一投足を観るだけでも多分に価値はあります。


【補足】※旦那と息子が殺された“状況”と主人公が加害者(ネオナチ)に行った“状況”を思い出してみてください。なぜ監督はラストを他国であるギリシャにしたのかを。