さらば蜷川 | みやのすけの映画倉庫/『ゴジラVSコング』への道

最初に蜷川幸雄に触れたのは日生劇場の『リチャード三世』だったか、それともコクーンの『桜の園』だったか。
特に『リチャード三世』は市川正親のピカロぶりと、明確に暴力をテーマにした荒々しい演出に衝撃を受けた。
シェイクスピアが全く古くないことをスタイルで教えてくれた。

しかし、私の「蜷川追い」を決定づけたのは大竹しのぶ主演の『メディア』であった。
水を張った舞台一面の蓮の花。
コロスをはじめ、登場人物が動くたび水面は波立ち、音を立てる。
それは登場人物たちの心の揺れのようだった。

最も圧倒的だったのは現代を代表する劇作家であるトム・ストッパードの9時間を超える大作『ユートピアの岸へ』
これは観客に対する挑戦でもあるから受けて立たねばならない。
当時腰痛を抱えていたが、70代のジジイには負けられない。
結果、それはほぼ出ずっぱりの阿部寛の熱演と共に、今までに体験したことのない熱量を持った劇空間として強烈に心に残った。
休憩時間にロビーで俳優の西岡徳馬が「こりゃ観るもんじゃない、出るもんだ…。」とひとりごちていたのが印象的だ。
なるほど、役者ならそう考えるだろう。

晩年(結果的にそうなった。観ている時はまさかそうなるとは思いもしなかった)は、翻訳劇を中心としながらも井上ひさし、唐十郎、清水邦夫、野田秀樹など日本の現代戯曲を積極的に演出するようになった。
蜷川はこれらの作品をセリフひとつ変えない演出で、見事に今に通じる舞台を作り上げた。
特に、かつて唐十郎と組んだ『盲導犬』『下谷万年町』の再演は、斬新なスペクタクルとして娯楽性を提示しつつ、その時代を知らない私に70年代アングラ演劇の熱気を追体験させてくれた。

そして何よりも忘れてはならないのが才能を見出し研磨する能力。
今その代表挌が藤原竜也なわけだが、それでもなお死の直前のインタビューで「皆さん、藤原竜也の演技にはもう飽きたでしょう。」と厳しい言葉を放っていた。
こういう人がいなくなると、俳優はいったいどこで腕を磨けばよいのかと思う。

それとは別に、蜷川の晩年に自分が間に合ったことを生涯の幸福と思う。