みやがわデンキ、宮川雅子です。
昨日、水茎岡山城趾の話を少し書いたと言ったら、旦那が聞いていないのに岡山城についての話をした。
遠くにうっすらみえるのが、水茎岡山城です。
築城は南北朝時代、六角氏の湖上警備の城として築かれ、
戦国時代には六角氏の被官九里氏が城主でした。
室町幕府11代将軍足利義澄が伊庭氏、九里氏を頼り都落ちをしたようです。
12代将軍足利義晴が岡山城で誕生しています。
義澄は都に帰れることなく、この地で病没したそうです。
その後、伊庭氏、九里氏の連合軍が六角氏と戦をし、敗れたあと、廃城となったようです。
さすがに年の功です。旦那、詳しいです。
この手の話は嫌いじゃないので、最後まで聞きました。
『蒲生郡志』に書いたあると、旦那は言いますが、あんなに漢字ばっかりの書は、読めませぬ、、、