miyaツインズ、無事小学校に入学しました。
慣れるまでは、親子ともども目が回り続ける事でしょう。
新入生のDQNネームに期待していたけど、日頃DQNAMEを見てる身には(つまらん)ってな感じでしたが、それで良いのでしょう。爆走蛇亜とか居たら、吹き出さずに呼ぶ自信がない。
とはいえそれなりにキラキラだったし、3割くらいはフリガナを確認したかな。まぁ、こんなもんか、程度で。
女児の方がキラキラ率が高いけど、漢字1文字の名前は破壊力低めだとも思った。
ある組の名簿には「紡」「伶」「薫」「栞」なんて並んでて、ホッとした。
フリガナも確認し、「愛」と書いて「らぶ」みたいなのもなかったし。
うちとは関係ないけど、東大入学式での上野千鶴子さんの祝辞が話題になってたので、見て来た。
https://www.u-tokyo.ac.jp/ja/about/president/b_message31_03.html
後半の「恵まれた環境と恵まれた能力とを、恵まれないひとびとを貶めるためにではなく、そういうひとびとを助けるために使ってください」に、特に頷いた。
ネットで特にはびこるいわゆるマウンティング?自慢、罵倒が減り、少しでも息苦しさが減りますように。
今、「知識」自体は、ぐぐればすぐ出てくるから以前程価値はない。「令和」発表後、漢文をロクに知らない私でも即日張衡、王義之に辿り着くご時世。
成功者は、皆「恵まれている」よ。
中には「家族にも金銭的にも恵まれず、人の何十倍も苦労して勝ち取ったんだ!」っていう人も、居るでしょう。それでも成功に辿り着いたという事は、運や出会いがあったはず。
それを全部自分の力だと思い込んだ人は「自分でさえこんなに成功できた、成功できない奴は無能か怠け者、そんな奴らは野垂れ死んでも自業自得」って思ってしまうのでしょうね。
世間的に高名な人は、皆、「自分は、運と人に恵まれた」って周囲への感謝を口にするでしょう?世の中には、運や出会いに恵まれず(気付かず)、心が折れてしまう人の方が、大多数でしょう。自分だって一歩間違えばそうだったかもしれない事が分かっていれば、もがいている人、諦めてしまった人に対して、こき下ろして優越感に浸るのではなく、プライドを潰さないように手を差し伸べる人になれるし、財力・地位のある人でそういう人が多ければ、社会の雰囲気は良くなっていく。今の日本は残念ながら・・・
うちの双子は、昭和終盤なら平均的な中流家庭・・・平成終盤に生まれ育った彼らは、日本の中で、経済的には10人中3位くらいの、まあまあ恵まれた環境に居る。環境に感謝し、不遇に遭っても腐らず希望を失わず、もしも富や名声を手に入れたら、それを社会に還元する人に育ってくれたら嬉しい。
次に私が引き付けられたのは、「人間が生きているところでなら、どこでも生きていけます。あなた方には、東大ブランドがまったく通用しない世界でも、どんな環境でも、どんな世界でも、たとえ難民になってでも、生きていける知を身につけてもらいたい」という部分。
明日って事はないだろうけど、数年後は「平均的な日本人」が、ひょんな事から難民になる未来かもしれない。
先月、フィリピンのセブ島(というかマクタン島のリゾートホテル)とカモテス諸島に旅行する機会を持てた。マクタンのリゾートホテル内はともかく、カモテス諸島は、日頃、船橋市のまあまあ中心部で暮らしている私には(自然風景が美しい、観光客として遊びに来るのは良いけど、ここで暮らすのは無理)と感じた。でも、将来何かの縁でそこで暮らす事になるかもしれない。
まだ6歳の2人は、私以上に、一生を日本のそこそこ便利な地域で過ごすとは限らない。どこで暮らす事になっても、(ニッポンスゴイ、それに引き換えここは・・・)と不遇を呪い続けるのではなく、心に光を失わずに生きていける人になって欲しい。その為にも、ぐぐれば分かる知識を増やすだけでなく、見聞を広める事によって得られる、今は昔より軽視されがちな「教養」「品格」を身に付けて欲しい。
